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第99話 豆粒

 宗田そうだ千尋ちひろ以下、荒くれの破落戸ごろつきども、天野あまのの里に到着す。


 急いだとはいえ時刻はすでに夕刻になっている。

 赤々と燃え広がるような日の光を受けて居並ぶ『軍』──


 千尋の予想をはるかに上回る数であった。


(いやはや。百名以上はいると思っていたが……これは下手すると、数千人規模の軍勢ではないか?)


 この世界はそもそも人口が少ない。

 その中でも天女教は最大の組織である。宗教的権威であり、なおかつ、各地の領主から年貢を取り立てる立場──と、天女であるミヤビが言っていた。

 そういった性質を持つのだから当然、兵力はあるだろう。


 しかし千尋の前世にいた一揆衆のような『その教えを信仰している農民が武装して集まり蜂起する』といった属性の兵力ではなく、『揃いの武装をして列を整え指揮官に従う軍勢』という兵力が、果たして全部で何名いるだろうか?

 天女教という組織の巨大さを考えても、全部で一万にはのぼらなかろう。


 だがここにいる軍勢、二千は超えているように見える。

 千尋らの立ち位置から見えない場所まで考えれば三、四千はいそうだった。


 大規模動員どころの騒ぎではない。全軍出陣と言えそうな有様である。


(ミヤビの差し金か? ……まぁ、あの潔癖さ、何か琴線に触れる行為を天野の里がしているならば、この出兵もありえるか。しかし、妙だな。ここまで兵を遣わすのであれば、本人が出てきそうなものだが)


 天女教的に、天女というのは人前に姿を現さないものであるらしい。

 が、それはそれとして、ミヤビならば、ここまでの大規模出兵を決意したのであれば、無理を言ってでも当人が先陣を切りそうなものである。


(ま、そのあたりの意図は終わってから分析すればよかろう。ともあれ──)


 千尋は、軍を遠目に見たまま、背後の荒くれどもへ声をかける。


「怖気づいた者、引き返すならここが最後だぞ」


 鼻で笑う声がする。

 充分な返事であった。


「そうか。では──」


 千尋が刀を抜く。

 背後でも、次々、武器を抜く音がする。


「──突っ込めェ!」


 千尋以下、七名の荒くれ、および十子とおこ

 二千名に突撃。


 馬鹿馬鹿しい人数差である。

 いくら軍の警戒が天野の里を向いているとはいえ、二千名の前で九名は豆粒にも等しい。身じろぎ・・・・だけで知らぬうちに潰れる、豆粒である。


 十子もまた冷静ではなかったが、千尋の行動には違和感を覚えていた。

 というのも、千尋は戦いを好むが、無謀な挑戦を好むようには思われないからだ。

 強者へ挑むことに命を懸ける。そのことに迷いはなくとも、二千名を相手に九名で突っ込むことが『戦い』にもならないことぐらいは、もちろん理解しているはずだと、十子には思えてならない。


(『突っ切るだけ』なら勝算がある、っつー話か? それとも、あたしには想像もできない何か秘策がある? ……あるかもしれねぇな。けど……一番、この行動の動機としてありそうなのは……)


 荒くれども。


 ……おそらくだが、隠密行動をしようと思えば、できたのだろうと思う。

 敵は二千名である。天野の里は一方向を除いて森に囲まれた地だ。軍勢を広く展開できそうな場所はここだけであり、ぐるっと回りこめば森の方に抜けられる。


 地形については十子の方がもちろん知っている。とはいえ、千尋はそういうところに目鼻が利く方であると思う。

 それでも迷いなく突撃を選んだのは……


(荒くれどもが望む『戦い』がこうだったから、なんだろうな)


 千尋は十子からすれば、わけのわからないところで博打をする。


 だが、付き合いが長くなるにつれ、だんだん、基準みたいなものも、わかってきた。


 千尋は、命を懸ける者の心に寄り添う。


 非合理な比べ合いに付き合ったり、勝利ではなく勝負を志すような行動を選んだりと、それが敵であれ味方であれ──というかだいたいの場合は敵なのだが──命を懸ける者たちが、最大限に乗れる・・・ようなシチュエーションを提供したがる。


 ぐるっと回りこんで森に潜んで抜けることの方が、たやすいだろう。

 だが、勢いに乗った破落戸どもが、それでは満足すまい。


 ここは間違いなく、命を懸けるべきところではない。

 だが、それでも千尋は、この危険な手段を選んだのだ。それが一番、気持ちよく命を懸けられるから──


 ……というように、十子は思っていたのだが。


(…………ん? なんか、これ……)


 敵は強い。

 武装も整っている。

 指揮するための序列もきっと整備されているのだろう。


 だが……


 背後から斬りかかる千尋らに、対応できていない。


 千尋が先頭を走り、『軍』の体勢を崩していく。

 それに続く荒くれどもが、体勢の崩れた者を斬り、千尋に続く。

 進路は軍の内部を掘り進むようなものであり、危険極まりない。四方八方から槍の穂先がこちらを狙っている。


 狙っている、のだが。


 突き出せない。

 薙ぎ払えない。


 ……十子の千尋に対する分析は正しい。


 一方で、千尋の方には、十子の知らない行動の合理性がある。


 そもそも──


 二千人の軍隊、たった九名の暴徒と戦う想定をしない。


 もちろん相手が距離をとって包囲し、槍の穂先をこちらに突き付けるような場を用意されてしまえば、九名などあっけなくすりつぶされる豆粒である。

 だが、列を成してどこかに注目を向ける軍勢の、列の中に入り込んで駆け抜ける。この動きを続ける限り、この九名、すりつぶされる豆粒ではなく、引っかかってなかなかとれない魚の小骨へと変わるのだ。


 ゆえにこそ拙速が求められる。


 九名の馬鹿がこっちに突っ込んで来ます、と準備されてしまえば勝てるわけがない。

 だが、まだこちらを相手にする準備を整えていない相手を背後から襲い、軍隊が包囲している先へと突っ切ろうとする行為、愚かすぎて対処が難しい。


 九名は二千名を倒すことはできなくとも、二千名の間を通り抜けることはできるのだ。

 ゆえに千尋は先陣を切り、自分たちの進路にいる者の体勢を崩すことのみをする。七名の荒くれどもも、千尋を追いかけ、邪魔な者を斬るのみ──自制とか、戦術意図の理解とかではなかろう。ただただ単純に千尋の背を追いかけているだけ、結果的にそうなっているだけ……


 千尋がそうするように誘導しているから、それに無意識に従っているだけ、である。


(……いや、怖ァ)


 最後尾にいる十子、意図を察して身震いする。

 何が一番怖いって、いくらそういう計算があったとして、『こうすればできるんで、実際に武装した二千名に突っ込んでみてください』と言われて実際にできる者、この世に一体何名いるというのか。

 千尋は迷いなくやってのける。……剣客という生物はやはり、何かが壊れているのだ。


(それに続くあたしも、染まってんだろうなぁ)


 こんな状態で走りながらあきれる余裕さえあるのだから、相当に染まっている。

『塔』での経験が役立っているのは大いにあるだろう。千尋についていけばとりあえず間違いない、というのが刷り込まれている。


「先頭が見えたぞ!」


 千尋の声に、荒くれどもが沸き上がる。


 ここまで進めば相手も『背後から何かが来ている』ことを察して構える。

 だが、こちらは足を止めれば死ぬ。ゆえに、同士討ち覚悟の槍の穂先が来ても、腰の剣を抜いて斬りかかる者がいても、服を裂かれても皮膚をかすられても、肉を斬られても、とにかく止まらず進む。


(すげえな、なんだろう、この感覚。……本能的なモンかなぁ)


 十子は刀鍛冶であり、侠客でもないし、剣客でもない。

 だが、体を刃物がかすめて、血が流れても、痛みも恐怖も感じない。

 それはきっと……


(男についてくってのが、なんかあたしらの根底に刻まれた『喜び』なのかもしれねぇな)


 この世界において、男というのは、女を狂わす存在である。

 発言、行動、そして、命。男の存在によって道を誤る者、誤っていた道を正す者の数は知れない。

 現天女、ミヤビでさえも、その苛烈な行動方針の根底には『兄の死』がある。


 加えて、


(千尋ってぇやつが、どうしようもなく、女たらしなんだよな)


 迷っていた者の迷いを晴らし、弱い者を強くする。

 敵味方問わず、千尋の言動で思い切った者は数多い。


 そうして、千尋を追って走っているうちに──


 軍を抜ける。


 先頭を突破する。


 その先に天野の里が見える。


 あとは中まで走りこんで行けば、もはやそれは勝利であった。


 ……だが。



おいた・・・はそこまでですよ」



 慈愛に満ちた、笑むような声が、千尋たちを出迎えた。


 その声とともに目の前から唐突に軍勢が出現する。


 本当に唐突であった。

 今の今まで、確かにそこには何もなかった。

 だというのに、湧くように、あるいは、唐突に焦点が合ったかのように、出現した。


 穂先をそろえた槍衾やりぶすま

 その軍勢の中央に立つ──


 淫靡にはだけた巫女装束を着た、豊満な肢体の女。

 瑞々しい唇が特徴的な、なんとも色香にあふれた顔立ちをした、波打つような紫の髪を持つその女は──


「はぁい、これより先は、わたくし、青田あおたコヤネが通しませぇん。おいたをする悪い子は──」


 巨大な、柄と刃が同じぐらいの長さの刀──長巻ながまきを振り上げ、


「──お尻ぺんぺん、してあげましょうねぇ」


 ゆるいしゃべり方に見合わない剛剣を振り下ろし、大地を震動させる。


 それはまぎれもなく絶大な神力しんりきの成せる業。

 青田コヤネ。


 千尋の見立てでは──この軍勢の指揮官に、違いなかった。

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