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第102話 帰宅

 天野あまのの里、十子とおこ岩斬いわきりいおり


 里から離れたところにぽつんと立つ、やや小高い丘の上のそこ。

 かつて剣が大量に突き刺さっていたその場所は今……


 要塞と化していた。


「はぁい、沈丁花じんちょうげお姉さんが戻ったよー。お客さんを連れてね」


 土嚢どのうを積んでその手前に木板を張り作り上げた城壁。

 門は一つきりだが、大きく堅牢である。心理的にも、『ここを無視して周囲の壁を登ったり崩したりするよりも、ここを抜いてしまいたい』とぎりぎり思える程度の大きさであり、実に絶妙であった。


 そういった壁と門が二重のくるわを描いている。

 この廓、中心にある十子の庵から等距離をぐるりと囲むようなものではなく、近かったり遠かったりと、なんらかの意図を感じさせる形状となっていた。

 おそらくは互いの飛び道具のための調整であろう。


 そして二つの門を入って中へ踏み込めば、そこには簡素だが丈夫そうな庵が複数建っており、ひっきりなしに煙が上がって、次々に武器や防具が量産されているところであった。

 畑らしきものまで整備されている。完全に長期籠城、それも援軍を見込まず、耐え抜いて耐え抜いて相手が折れるまで戦い抜いてやる、という気炎を感じる要塞であった。


「……大人しくやられるとか、捕まるとか、そういうことはねぇと思ってたが……キマりすぎだろ」


 この様子には十子も唖然としたあと、『つい』という感じで笑みを浮かべた。

 確かに天野の里の人たち、覚悟が決まりすぎである。


 しかしこれには沈丁花が「いや~」と声を発した。


「最初はねぇ、天女教が相手でしょ? 素直に降ろうっていう声も大きかったんだよ」

「……そうなのか?」

「いや、そりゃそうでしょ。天女教が軍勢を派遣してきたらさ、こっちが悪いことしたのかなって思うのが普通だよ。それに、あの数だよ? 心を折られる人が出ても仕方ないと思うけどねぇ」

「ああ……まあ、そうか……」


 十子は『毒されてるな』と感じ、笑った。


 というのも、天女教はウズメ大陸を支配する組織である。

 大陸にある各領地は領主大名の自治権が強いものの、それでも天女教と領主大名との意見が食い違った場合、ほとんどの人は天女教の方に従う。

 天女教に『敵』だとみなされること、ウズメ大陸で生きていけない悪と言われることに等しい。そういう感覚が、普通だ。


 この感覚の厄介なところは、実際に悪いことなど何もしていなくとも、ああいった権力があり、多くの者が信じているような巨大組織に悪とみなされると、『何か悪いことしたのかな』と思ってしまうところにある。

『何か悪いことしたのかな』は、その後に『悪いことはしていないはずだから、堂々としていればきっとわかってもらえるはず』という考え、それに、『悪いことはしてしまったのかもしれない、そういえば……』という不安を呼ぶ。


 こういった心情になると『とりあえず大人しく言うことを聞く』というのが最善手に思えるものだ。


 だが十子、『後ろ暗いところなんかありゃしないんだから、当然、抵抗するべきだ』と思っていた。


 これは完全に千尋に毒された考え方である。

 庵にこもっていたころの十子であれば、きっと、なんとなく・・・・・で天女教に従い、すべてを差し出してしまっていたことだろう。


「で、そんな時だよ。三太夫さんだゆう殿が一喝してね。そんで、徹底抗戦になったわけさ」

「……ばあさんに気に入られたみてぇだな」

「君の祖母なの?」

「いや、里全体の母親みてぇなもんっていうか……難しい関係だな、外のやつに話すのは」

「ふうん? 気に入られた、っていうのは?」

「その刀のこしらえ、ばあさんの作だろ」


 十子が指し示す沈丁花の刀、以前は飾り気のない、鍔なし、木鞘に柄巻もない木の柄であった。

 しかし今は黒光りする鞘に包まれ、鍔がつき、柄も新調されている。


 片手で突くことを想定された柄は一部が太くなって握りやすくされており、鍔は拳全体を守るような形状で、金属が網目状に配置された設計は、軽いまま丈夫さを損なわず、皮膚感覚にも配慮した逸品である。

 いわゆるところの『レイピア』とか『エストック』の拵えである。が、この時代のこの土地の人はそういったものを知らないので、これは正解を知らないまま『使い手と刃物に最適な形』として、三太夫が編み出したものと言える。


「……昔っから器用なんだよなぁ、あのばあさん」

「岩斬ってのはみんなそういうもんじゃないの?」

「いやあ、拵えを作る技術、鞘を作る技術、鋼を打つ技術、鋼を磨く技術、全部別物だぞ……使う素材だって鞘は木と革だし、鋼を打つ感覚をそのまま持ってけるモンじゃねぇよ。同じ鋼を使う『磨き』だってな、砥石が一体何種類この世にあるかわかるか? 十や二十じゃきかねぇんだぞ。それを適切に選ばないと刃紋を消しちまったり、大変なことになるし……」

「へぇ」

「若い時分は『岩斬史上最も器用』みたいな評価だったらしいからな。けどまあ、性格の方が不器用なんで、なかなか、気に入ったヤツにしか拵えを作ったりはしねぇんだわ」


「誰の性格が不器用だってェ?」


「げ」


 十子が見る先、十子の庵の入り口あたりに腕を組んで仁王立ちする女傑がいた。

 里長、元岩斬の天野三太夫である。


 白髪頭の女傑、動きやすいように腕あたりを紐で縛った灰色の着物姿で、ずんずん十子へ近づいてくる。


 そして、十子の肩に手を置き、


「お帰り、ひよっこ。ずいぶんいい時期に戻ったもんだねぇ」

「……ああ、ただいま」


 抱き合った。

 ウズメ大陸においても『抱き合う』というコミュニケーションはめったにとられない。それは深い親愛の情を示すものであった。


 十子は照れたように体を離し、


「……で、いったい何があったんだよ。なんか、『男隠しの罪』とか言われてたみてぇだが……」


 首こそそちらへ向けないが、視線は千尋へと向きそうになっている。


 三太夫は「はん」と鼻で笑う。


「連中のいちゃもんなんかまともに取り合う必要はないよ。……アンタの庵を借りるよ。アンタと、沈丁花と、あたしと、そこの子で、内緒の話をしたい」

「……ああ」


 三太夫──

 千尋、というよりも、『十子が刀を打つべきと思った人物』のことを、男だと知っている。


 ……だからこそ、この土地が『一時的とはいえ、男を不当にかくまっていた』というのが、まんざら嘘でもないとわかっているはずだが。


(いちゃもん、か。このばあさんは、はっきり言うねぇ、相変わらず) 


 堂々とそう言い切ったのには、なんらかの根拠か、確信を感じさせた。


 内緒話のために、庵の中へと入っていく。

 ……そういえば、スイに壊された壁が直っているなと思いながら、懐かしき我が家に、十子はいよいよ、戻った。

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