「突然だよ。突然、なんの事前通告もなく、『軍』が来た」
当時、すなわち、天野の里が、
「連中はいきなり大勢で土足で上がり込んでね、家を壊したり、田を焼いたり、やりたい放題さ。んで、そういうことをしながら、あたしらには降伏すれば悪いようにはしない──ハンッ。今思い出しても虫唾が走るね。『悪いようにしない』だなんて、焼き討ち狼藉をするような連中がどの口で言うってんだい」
「で、連中が大義名分にしてるのが『男隠し』か?」
「そもそもねぇ、天野の里は、当時の天女様に『
「まぁな」
そういう人たちと付き合いがあったとは言えないが、確かに里の中には男がいた。
十子は
「で」
三太夫の目が、千尋へ向く。
千尋。
一時は立てないほどであったが、今は歩けるぐらいには回復している──
──と、思われている。
……これは十子らが気づけないのも無理はない、『感覚でつかみにくい男女の差異』ではあるのだが。
男性の死因の中には『回復力およびそもそもの体力が少ないことを女の側がわからなくて、配慮できなかった結果』のものも存在する。それぐらい別な生き物であり、女にとって『傷を伴わないダメージはいくらか休憩していれば自然と回復していくもの』なのだが、男はそうではなく……
千尋も当然、回復していない。
していると言えばしているのだろう。『平気そうに歩くことができる程度には』だが。しかし、その体にはいまだに巨人に踏みつぶされたがごとき苦悶が根強く存在していた。
三太夫が目を向けた理由は、そのダメージを理解してのものではなかった。
既婚者かつ人目利きもある程度できる三太夫をして、その内側の痛手を悟らせないぐらいに、千尋の『弱みを見せない技術』は熟達しているのだ。
「そういや挨拶もまだだったねぇ。ウチの色ボケが世話んなってるようで」
「いろぼけ?」
「十子色ボケのことだよ」
「だから色ボケって言うんじゃねぇよ!」
「ハンッ。……この四人の秘密として明かすがね、十子の横にいるそいつ、男だよ」
「おい、ばあさん!」
十子の視線が向いた先にいるのは沈丁花である。
この庵の中には千尋、十子、三太夫、そして沈丁花がいるのだ。
だが沈丁花、「ああ」となんでもなさそうに声を発し、
「いや気付いてたけどね?」
「はぁ!? お前、斬り合ってたじゃねぇかよ!? 男だと思ってたのに斬り合ったってのか!?」
「そうだよ? ……正直なとこさぁ、斬り合って気付かないサグメとかハスバとかいうの、ちょっと鈍すぎなんだよねぇ。いや、それとも鈍いんじゃなくて、『誇り高い』のかな? ま、そうだよねぇ。天女教でそれなりに上り詰めた人らがさ、『男を相手に戦って負けました』なんて──周囲に言えないどころか、自分自身に認めさせることさえ難しいもんねぇ?」
「……」
「こーんなカワイイ子が女の子のわけないでしょ? 普通気付くって。偏見だの誇りだのに邪魔されなきゃね。これまで旅してきてたんでしょ? 何回か気付かれたんじゃない?」
確かにその通りだった。
その後も危うくバレかけた、というかたぶんバレていたことがある。……宿屋などでは十子が明らかに、千尋を『男扱い』してしまっているので、そういう態度から察せられたこともあったように思われるが。
「で、だ」三太夫が話題を戻す。「……千尋っていうのかい? そいつが男だったから、この里が襲われてる──ってのはね、ありえないよ」
「なぜそう言える?」
問いかけたのは千尋である。
あるいは自分が責任を覚えなくていいようにとの気遣いかとも思ったが、その気遣いは受けられないという想いもあっての問いであった。
だが三太夫、くだらなさそうに鼻を鳴らす。
「そりゃあ、連中がそこらに火を放ったり、庵を打ち壊したりしたからだよ」
「……なるほど」
「なんだい、頭が回るじゃないか。……本当に『男を隠してる』と思って、その保護に来たんならね、そんな乱暴なことはできないはずなのさ。何せ、火を放ったり、家を壊したりして、うっかり男が巻き込まれたらどうすんだい? そういうのの余波で死ぬぐらいに男は弱いんだ。それとも、そんなこともわからないのばっかり集めた乙女の軍勢なのかね。だとしたら──救いようがないねぇ」
当たり前だが、三太夫は今回の行動を行った天女教にかなりの怒りを覚えているようだった。
言葉の端々、目つき、吐息にまで深い怒りがにじんでいる。
「だからね、『男を不当に隠した』っていう話に心当たりはないんだよ。里の者にも確認した。あの有様じゃあ、『隠してる男』を逃がす余裕もないだろうし、天女教連中の行動が、はからずもあたしらの無実の証明を手伝ってくれたってわけだよ」
「で、あれば徹底抗戦に迷いはないのだな」
「『迷いのない者だけがここに残った』が正しいね」
「……そうか」
「まったく、馬鹿な子らだよ」
三太夫の手が何かを探して着物の合わせを探る。
だが、見つからなかったらしく、ため息をついた。
「
「そのことなんだが……徹底抗戦は、正しいんだよな?」
言葉を発したのは十子である。
だがこれは『素直に天女教に従った方がよかった』という意味ではなく、
「詳しいことはわからねぇが、政治的にまずい立場に立たされてるのはわかる。ここまで抗戦せず、話し合いをしたがる連中の気持ちも、まあ、よく考えりゃわからねぇわけじゃねぇ。……っていうかたぶん、旅をする前なら、あたしも『抗戦』には反対だっただろうしな」
「……そうだろうねぇ」
「ここまで激しく戦うより、逃げるなり、潜むなりした方がよかったんじゃねぇかっていうのも、ちらっと頭によぎるんだ」
「じゃあ、はっきりと言ってやろうか。『それはない』よ」
「……」
「頭じゃわかってんだろ? 無抵抗で救える命なんかないのさ。連中がもし、ちっとでも穏便に、『疑いがあるから調査にご協力を』なんていう意思があったとしたら、いきなりあの人数で来て、焼いたり壊したりはしない。連中はなんらかの目的で天野の里を滅ぼそうとしてて、大人しく従ったらこっちに待ってるのは『死』か『隷属』なんだよ」
「……だよな。そう言ってもらえてよかったよ。けど」
「なんだい、グダグダと後ろ向きな子だねぇ!」
「いや、けどさ。……どうやって勝つつもりなんだ? 籠城にも限度があるだろ? それに……こんな砦、あのコヤネってやつを前には、薄紙みてぇなもんだぜ」
そこで三太夫がまた「フン」と鼻を鳴らす。
「そうだねぇ。連中、なんの目的があるのか、攻め切ろうとしない。……まるで軍勢の動きの確認でもしてるみたいだよ。コヤネってやつも滅多に先頭に出ないしね。ま、指揮官なんだからそれが普通っちゃ普通だけど」
「……」
「どうにかこうにか、天野の里に潜んで軍勢にちくちく痛手を与えたら、里の中からは出て行った。でも、里の外で囲まれてる限り、いつかはこっちが干上がる。……向こうもあれだけの数をずっと展開してるわけにゃあいかないだろうけどね。人数がいれば飯を食う。飯が尽きれば死ぬ。互いにそうだ」
「だったら……」
「だから向こうは、干上がる前に決着をつけに来るだろうねぇ。っていうか、干上がるならこっちが先だと思うよ」
「……」
「だから、こっちは勝ちに行かないといけない」
「……二千人を相手にか?」
「四千人だそうだよ。そんだけの数の無駄飯ぐらいを置いとける余裕があるらしい。あやかりたいもんだねぇ」
勝ち筋の見えない戦いが、どれだけ勝ち筋のないものかを、具体的にされていくような想いであった。
十子の心にのしかかる絶望は重い。自分たちより長く激しく戦ってきている人たちが折れていないので弱音は吐かないものの、『どうすりゃいいんだよ』という気持ちになってしまうのは、仕方のないことであった。
だが、
「勝機はある」
千尋の言葉に、その場の全員の注目が集まる。
「十子殿に、俺の刀を打ってもらうのよ。……刀があれば、負けん。『女を斬る刀』さえ、あればな」
根拠、らしきものはなかった。
ただ一人の剣客が、ただ女を斬れるだけになったところで、この絶望的な戦局がひっくり返るとは、到底思えない。
だが……
「いいねぇ。グダグダ難しく考えるより、その方が単純でいい」
三太夫が笑う。
十子へ向けて、
「十子岩斬。アンタは、刀を打ちな」
「……いや、それでいいのか?」
「それでいい。それじゃなきゃあ、いけない。……アンタが信じた男の言葉だ。アンタが信じなくてどうするよ」
「……」
「そもそもね、軍師面してあれこれ言うより、あたしらは刀鍛冶だよ。『最高の刀を打つ』。慣れない軍略だの用兵だのについてあれこれ考えるよりも、よっぽど力の尽くしがいがあるってもんだ」
『最高の刀が出来た。だから、勝った』。
現実がそんなにシンプルだったらどんなにいいだろうと十子は思ってしまうのだ。
思ってしまう、のだが。
「……そいつは、確かに、『いい』」
……もとより夢見がちな女だ。
自分の打つ刀が、この絶望的な戦局を覆す。
その『熱さ』を前には、『現実的』なんていう冷や水は、あまりにも無力であった。
「ああ、いいぜ。やってやる。……刀を打つ。最高のヤツをだ」
ぱぁん、と拳を掌に打ち付けて、十子岩斬が宣誓する。
かくして、戦略とも呼べない戦略が決まる。
十子岩斬が最高の刀を打つ。
そのための時間を稼ぐ。
天野の里。
刀鍛冶の里の決死の抵抗が、こうして始まった。