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第104話 欲望

 青田あおたコヤネ。


 大長巻おおながまきを扱う剛力の者。

 天野あまのの里に天女教の軍を率いて攻め込んだ者。

 千尋ちひろの刀を砕いた者にして……


 先代天女の御代みよから仕え続けた天使である。


『属性』を帯びた神力しんりきを使う一族の出身であり、神力出力自体も高く、昔から神童ともてはやされる。

 しかしある性質・・・・を危惧した青田一族の当主によって、精神修行のために天女教に巫女としてあずけられる。


 天女教の巫女というのは『高貴なる家柄の者が家督を継がないと内外に明言するためになるもの』であり、『食いつめや孤児などの経済困窮者が保護を求めるためになるもの』であり、『性質が粗暴であったりその他問題があったりする者の心根を叩きなおすために入らされるもの』である。


 青田コヤネが天女教総本山に巫女として入った理由は、一番目と三番目の複合であった。


 青田家は八代前の天女に認められ『青田』の姓を授かった家系であり、とある特殊な土地を治める領主一族でもある。

 その家でコヤネは次女として生まれたのだが……


 コヤネは、幼いころ、姉を死なせている。


 その時に起こった事件は公式には『犯人不明』として終わっているのだが、その直後に当主がコヤネを天女教総本山に入れたところから、事実関係が推測できる。

 傍目には事故であった。仲のいいと言われていたコヤネとその姉とが川辺で遊んでいたところ、姉の方が川に落ちて溺れた。

 コヤネは助けを呼んだが間に合わず、姉は溺死、というのが事件の概要だ。


 子供同士の遊びの中での悲しい事故である。

 強いてこの事故に責任ある者を挙げろと言われれば、それは幼い姉妹の安全を守るべく周囲についていた者どもであり、それら者どもに姉妹の安全を任せた、青田家当主だ。


 実際、犯人は不明、というより事件の概要だけ聞けば『いない』のだが、この事件をきっかけにその時コヤネらの警護についていた責任者は責任をとって自害している。


 悲しい事故だ。間違いなく。


 だが、コヤネは……


 姉の死の直後、親に言われたことを、今もまだ思い出す。


『お前は欲望が強すぎる』


「……ふふ」


 頭の中に響く、母親のあのいかめしい声に、顔。


 夜。コヤネは己の天幕・・の中でつい、過去の記憶を思い出して笑ってしまった。


 天幕。

『陣幕』ならぬ『天幕』だ。


 テントなどをイメージすればわかるが、天幕の設置というのは、『簡単と言えば簡単だが、大変と言えば大変』といったものである。

 特に、現在、コヤネがいるような、『幕僚ばくりょうを入れて会議をしても充分に余裕があり、天井もコヤネの大長巻(三メートル超のもの)を立てて持てる』といったサイズのものは、設置が大変で、撤去も大変といったものに分類される。

 もちろん巨大建造物の一種であるから持ち運びもそれなりに大変になる。布などは畳んで持ち運べるがそれでもかなりの重量になるし、骨組みなどは折り畳みもできない上に丈夫さが必要なので、結構な大荷物だ。 


 天女教の軍勢を引き連れて、まったく戦争など想定していない天野の里に攻め寄せていながら、天幕を持ってきており、設営している。


 つまりコヤネ、この戦いが『すぐに終わるもの』とはまったく考えていなかった。

 糧食もかなりの量を確保している。


 実際、いきなり内部に浸透して里に火を放ったはいいが、天野の里人の即断かつ苛烈な抵抗によって里の中からは追い出されてしまっているし、里長の元岩斬いわきり三太夫さんだゆうを含め、里の重要人物の確保もまだできていない。


 では、これが『天野の里は苛烈に抵抗するだろう』という予想でしてきた準備なのか?


 ……そうではなかった。


「思ったよりもいい練兵・・になっているようで」


 青田コヤネにとって、天野の里攻めは、『演習』である。

 食料や設備の確保・運搬を含む戦略段階から、大規模部隊を展開しそれを運用する戦術。実際に命の懸かった戦いを兵に経験させ感覚をつかませるための戦闘。

 天女教がこのような軍事行動をとっていたのは、すでに百年以上も昔のことになる。平和な世が続き、天女教の軍勢は『いざという時の武力』として精強ではあったが、実戦経験というものが足りていなかった。


 その経験を積ませて──


「これなら……天女様を攻める本番でも、うまくやれますかしら」


 天女を攻める。

 なんのために?


 ……それこそ、コヤネが天女教に入れられた理由。

 ただし、青田家当主である母から『天女教を支配せよ』と言われているわけではなく。


 ……幼いころ、姉を死なせたコヤネの心の中に、ずっとずっと巣喰っているモノがある。

 なぜ、姉を死なせた──殺したのか。


 その理由こそが、『欲望』。


「……長らく天女教で修業を積んで参りました。先代には本当によくしていただいて……わたくしも、いわゆる『真人間まにんげん』になれたものと、そう思っておりました。けれど……ミヤビ様。あなたがいけないのでしてよ? 『女性は強くあるべきだ』だなんて。あなたも・・・・女性・・なのに・・・。強く、品格に見合うように強く、お役目に見合うように強く──だなんて。じゃあ、あなたは天女にふさわしいほど、お強いのかしら?」


 修業生活と、『天女代理の高位神官』という役割をしていた天使としての暮らしの中で、コヤネは自分がすっかり穏やかになったと思っていた。

 先に生まれたというだけで青田家の当主の座に座るであろう姉がどうしても許せなくて、これを事故に見せかけて殺した。その時からこの心の中に巣喰っていた『欲望』。それがすっかり消え去ったと、そう思っていたのだ。


 だが、今の天女であるミヤビに、気付かされた。

 コヤネの中にある欲望は、まったく消えていなかった。


 その『欲望』は、権力欲か?

 ……もちろん、それもある。一言で言うならば、そうなるだろう。


 けれどもう少し解像度高く、詳しく語れば、その欲望の正体は──


「わたくし、昔から……人のモノほど欲しくなりますのよ。ねえ、ミヤビ様。どうして可能性を示してしまわれたの? あなたが『立場にふさわしい実力を』だなんて言うから、わたくし、思ってしまいましたの。『じゃあ、実力さえふさわしければ、天女の座だって手に入るのではないか』って。……手に入ると思ってしまったら、もう、ダメですのよ。あなたの座る座が欲しい。だから……いただくことにしますね」


 ──略奪。

 奪い取りたい、という気持ちこそ、コヤネの内側に生まれつき巣喰う『欲望』の名前であった。


『お前は欲望が強すぎる』と母は言った。

 その母は、コヤネが天使になり実家にあいさつに向かった先に、コヤネの中の欲望がすっかり消え去ってなくなり、かつての罪を洗い清め、これからは静かに生きていくものだと思ったらしい。

 次の当主になるんだ、と従姉妹いとこを紹介された。


 コヤネは、母と従姉妹を、死なせた。


 そうして青田家を取った。取ったが……その直後にどうでもよくなってしまい、当主の座を適当な傀儡に投げ渡した。


 昔からそうだ。

 権力が欲しい。人の権力が。自分のものではない権力が。

 人のものだから、欲しい。


「天野の里を篝火に。鏑矢かぶらやを放ちましょう。天女様。あなたの座が、たまらなく欲しいのです。ねぇ、実力さえ示せば、くださるのでしょう? でしたら、わたくし、誠心誠意、実力を示しますわよ?」


 天野の里の抵抗は激しい。いい練兵になるだろう。

 このまま天野の里をとったら、なし崩しに天女教総本山を攻めてしまおう。兵の中には戸惑う者もいるだろう。しかし、一度手を汚させてしまえば、あとはやるしかなくなる。大丈夫、その手段で自分の家もとったのだから、裏切るつもりがない者を裏切り者にして、行きつくところまで走らせる手段は心得ている。


「……ああ、楽しみ。天女の椅子は、ずっといたくなるぐらい座り心地がいいものだといいのですけれど」


 美しい女は艶やかに笑った。

 その笑みは、どこか、人のモノではなかった。

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