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第107話 沈丁花の戦術

 三つの戦場のうち、最初に戦端を開いたのは、沈丁花じんちょうげのいる戦場であった。


 天野あまのの里、三軍とも、目的は『十子とおこ岩斬いわきりが刀を打つまでの時間稼ぎ』。

 ただし副目標として『敵の数・士気をくじく』というものがある。

 そうして、『これは可能そうなら』というまず達成できそうもないが一応の目標として設定されているものに、『敵軍を突破して敵大将の青田あおたコヤネを倒す』というものがある。


 この戦い、まず、人数差が圧倒的に、敵有利なのだ。


 これを覆すためにはどうしても『大将首』が必要になる。


 天女教の軍勢が完全にワントップである様子なので、もしも敵総大将をとれればここから勝利も可能であろう。


 だがもちろん、敵大将のコヤネは大軍の後ろにいるし、そもそも本人が強い。

 これを狙うのは自殺行為でしかなく、いかに沈丁花が博徒であろうとも、さすがに賭けぬ目であった。


 ゆえに、沈丁花の動きは、こうなる。


「嫌がらせ、していこうねぇ」


 ハラスメントである。


 軍と軍との戦いにおいて、ハラスメント行為というのは馬鹿にできない効果を発揮する。

 軍が人の集合体である以上、『嫌なこと』はしたくないものだ。特に士気が低ければ、ハラスメントによって敵の動きを操ることさえ可能となる。


 とはいえ沈丁花、別に軍略を理解してこういったことをしているわけではない。

 彼女がしているのは、あくまでも『博打』である。


 博打、とは何か?


 もちろん沈丁花の好む博打というのは、互いの勢い、質、量、それから条件がそろった上で、完全に運否天賦うんぷてんぷが問われる、そういったものである。

 だが、『博打』と一口に述べてもその内容は異なる。


 多くの者のイメージは『運で結果が決まる、一発逆転の手段』が博打だ。

 だが博徒はもっと解像度高く、細かく『博打』という概念を見る。


 そうしていくと、博打の多くは、運では・・・決まら・・・ない・・ということに気付くのだ。


「沈丁花さん、敵がまた来ます! 今度はさっきより多い!」

「じゃあ、そろそろ決まるねぇ」


 隘路あいろから湧き出る敵、こちらの数倍の数である。

 質も悪くはない。『専任軍人』というものはこのウズメ大陸にほとんどいないが、その『ほとんどいない』中で数少ない専任軍人こそが、天女教のこの兵力である。

 多くの『兵力』は必ず何かを兼ねる。軍事行動を起こしていない間に、一日中訓練をして、それで生活していける者というのは本当にわずかなのだ。


 だが天女教には多くの人材が集まり、多くの寄進も集まる。それゆえに軍隊を維持することが可能。

 兵の個々の質では沈丁花より弱い者が多かろう。だが、『軍』としての仕上がりは、天野の里衆を率いた沈丁花の軍をはるかに上回る。


 だが、沈丁花の目に、相手が勝つ目は見えていない。


「博打ってのはさ、相手と自分とで同じ量の制限を負ってるんなら遊戯として成立するんだけど、相手より制限が少ない状態だと『いじめ』になっちゃうんだよねぇ。つまりさ、『自由』が少ない方が不利になる。だから、相手の自由を奪って、こっちの自由を増やしてやるのがいいんだよ」


 戦場──


 隘路あいろである。

 山と山の隙間。『ここ以外の攻め手がない』というわけではないが、軍隊を並べて攻められるのは、沈丁花の担当箇所ではここしかない。


 だから沈丁花は苦笑するのだ。


「博打で『自由』を減らす方法はいくつもあるよねぇ。っていうかね、たいていの勝負慣れしてない女はさ、自分で自分の自由を減らしちまうんだ。ようするに『こうやって勝とう』っていう、勝ち方を決めちゃうやつだねぇ。『ここまで張ったんだから、このぐらいは稼がないと』『この勝負なんだから、この目を出して勝たないと』『大勝ちしたいから、人が賭けてないほうに賭けないと』──いやいや。そんなんじゃ勝てる勝負も勝てないよ」


 隘路から敵が攻めてくる。

 三度ほど撃退している。敵は大軍とはいえ、道は狭い。一度に通行できる数は限られる。

 沈丁花たちは相手が隘路から出てくるところを左右から攻めかかり、撃退するだけでよかった。質も量も相手に及ばなくとも、勢いだけでもどうにかなる範囲である。


 なぜか?


 相手が、こちらを侮っているから。

『この程度の少数に対して、全軍をぶつけるまでしなくていい』という決まりを手前勝手に作っているから。


 ……だが、それで幾度も撃退されれば、相手もだんだん、カッカしてくる。

 全力で叩き潰してやる、と強者の余裕に基づいた考え方をする。


 山を登って回り込むだの、少数を送って様子を見るだの、あるいはコヤネのような強者が突っ込んでくるだの、いくらでもこの道を抜く手段はあるだろう。

 だが、とれないのだ。理由はいろいろ想定できる。そのすべてを一言で言ってしまえば──


「ようは『誇り』ってヤツだ。これがね、だいたいの博徒を破滅に追い込む。『こうやって勝とう』『このぐらい勝とう』なんて決めちまって、冷静に見れば勝てる、冷静に見れば得をとれる、だというのに『こうやって』『このぐらい』に及ばないと満足しない。満足しないとどうなるか? 大勝ちを狙って張る。大勝ちを狙って張ったら……」


 これまで沈丁花は、あくまでも、隘路から出てきた敵の先端を挟み撃ちにして撃退し、追い返すことだけをやってきた。

 兵に兵をぶつけるという手段である。嫌がらせだ。だって、専任の軍人が槍を並べて進軍して、素人集団にいいようにやられるなんて、絶対にストレスがたまるに決まっている。


 こうなると鼻息荒く、『大軍で正面から叩き潰す』というような勝ち方を達成しようと躍起になる。


 そういう時にこそ、


「……ま、カモだよね」


 相手の視野が広い時には絶対に通じない、『やられたら嫌だから、想定しておくべき手』が効く。


 隘路である。

 山と山の間の道である。


 こういった道で大軍がやられて嫌なのは、もちろん──


 ──岩を落とすという罠だ。


 当然ながら最初は警戒している。

 だから、相手がカッカして前のめりになるまで待った。


 博徒のカンで必ず効く瞬間まで待ったこの一手、相手に甚大な被害を与えることに成功する。


 岩が相手軍を上から潰し、進軍のための道をふさぐ。


 相手大軍が悲鳴をあげ進軍を停止するのを見て、天野の里衆が沸き上がる。

 ときの声が響き渡り、罠にかかった天女教軍の士気を落とす。


「沈丁花さん、軍師の才能がありますよ!」

「いやぁ、そいつはちょっと買いかぶりすぎだねぇ」

「そんなことありませんって!」


 この戦術による勝利は、天野の里衆の士気を上げ、沈丁花への信頼を高めるに至った。


 だが、沈丁花は、天女教軍を見る。


(『熱』が高まったねぇ)


 当たり前だった。少勢かつ専任軍人でさえない鍛冶屋の集団に、軍人がここまでいいようにやられたのだ。

 岩をどかし、救助と治療を終えれば、これまで以上に苛烈に攻めてくるだろう。

 それを可能にする物量があるし、沈丁花の想定しえない戦術を用いるだけの教養もあろう。


 青田あおたコヤネのワントップ軍隊。とはいえコヤネより一段低いところに指揮官ぐらいはいる。さもなくば三正面作戦などできない。

 そしてそういった指揮官たち、名の知れた者ではなくとも、精鋭ではあろう。


 精鋭が本気になる。


(さぁて、今の手で二日は持ちそうだけど、あと二日、どうなるかねぇ)


 ここから先、軍略を知らず、戦闘の素人しか兵としていない沈丁花にとって、まさしく賭けになる。


 そして博徒・沈丁花、賭けは望むところだ。

 勝ちの目がない賭けはただの自暴自棄であり、それは博打でさえないが……


「……まあ、次の手を考えようか。まだまだ、楽しめそうだからねぇ」


 ……沈丁花にとってここからの展望、いまだに博打である。

 ゆえに、彼女の頬には楽し気な笑みが浮かんでいた。

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