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第108話 神代の天才

 天野あまの十子とおこ岩斬いわきり

 刀鍛冶の里である天野の里において、一世代に一人しか襲名できない『岩斬』の名を持つ刀工である。


 彼女の目には炉の中に白い炎が灯っているのが見える。

 どのような世界であれ、ある一定以上の位階に至るには、努力だけではなく才能が必要になる。

 才能というのは通常、定義も曖昧で、多くの場合は『その者が天から付与されたセンス』ではなく、『第三者が成功者が成功した理由を語る時に使う代名詞』といった用法で使われる言葉でしかない。


 だが、神力しんりきのあるこの世界において、才能というのは、誰の目にもはっきりと見える。


 それこそが十子岩斬が炉に灯した白い炎。科学なる指標においては高熱であるというだけの色はしかし、神力があるこの世界において『神の息吹が宿った炎』と言われる。

 天野の里の、代々の岩斬でさえ、一生のうちで一度灯せるかどうかという、この色の炎……


 天野十子岩斬が灯すのは、人生で二度目であった。


 一度目はもちろん、処女作である『乖離かいり』を打った時。


 そして二度目が、今。


 宗田そうだ千尋ちひろの剣を打とうという、今である。


「……」


 最初は低温で炙るように。

 叩いて延ばして、形状を整える。

 整えたら、水に入れて急冷却。鋼の中に入った脆い部分を砕き、強い部分だけを残す。


 刀の強さは『硬さ』ではない。

 刀の強さは『柔らかさ』だ。


 粘り、と表現される形質。硬いだけのものは脆い。だが、粘りのあるものは、柔らかく、砕けない。

 ……強さがすべてではない。いや、強さは一種類だけではない。

 いくら熱され、冷やされ、何度も何度も過酷な状況に行き遭いながら、決して砕けぬもの。それこそが、『強いもの』だ。

 最高の柔らかさを持つ芯を備えた刀は、強い。


 熱しては砕き、砕いてはまた熱し、そうして鍛え上げられた鋼を叩く。

 完成するころには、三貫十kgもあった鋼が、十分の一ほどの重さにまで減る。


 少しずつ少しずつ、熱によって鋼の最もいい部分だけを残し、叩いて形を整え、折り重ねて強くしていく。

 根気のいる作業だ。己の神力による炎とはいえ、術者が熱さを感じないわけではない。

 刀鍛冶の中にはこうした熱や炎、それに飛び散るとろけた鋼の火花などによって、片目を失う者も少なくない。


 どのような道もそうだが、多くの者は、こうした地道な作業に耐え切れない。あるいは、こういった作業をやりすぎてしまい、『いい具合』で止める目がない。

 だが十子岩斬、天才鍛冶師である。

 彼女が鋼を叩く時、生まれつきの感覚が、『ここまで』を教えてくれる。


 そして十子岩斬の何よりの天才性、それは、鍛冶を楽しむことのできる精神だ。

 それゆえに、彼女は、他の者が嫌気を覚えるような地道で地味な作業を飽きることなく続けられる。


『ここまで』がわかる感覚。そして、『ここまで』に至るまでの作業を楽しんで行える心。

 それこそが天才性。


 だが、岩斬の天才性は、まだある。


「……なるほど、そういう形か」


 始めてすぐのころにはもう、完成図がわかる。

 焼き入れをした刃紋さえ、彼女にはもう見えている。


 これは紛れもなく異能。尋常な鍛冶師たちが冗談だと思うような、一世代に一人の天才性であった。


 とんてん、鋼を打つ音が鳴り響く。

 もはや十子岩斬のいおりは里から離れた場所にぽつんと建つものではない。天野の里衆が周囲で武器や防具をあつらえたり、農作業をしたり、あるいは砦の増築作業をしている。

 声が響く。音が響く。

 だが、十子岩斬の世界には、鋼を打つ音しかない。


 ここは、男が弱者、女が強者の世界。

 神の威を宿した女が支配する世界に、『女を斬る剣が欲しい』とほざく馬鹿者がいる。


 そして、十子岩斬──

 その馬鹿者のために剣を打つ、大馬鹿者であった。


 ただ『打とう』とするだけの大馬鹿者ならば、世にそう少なくはないだろう。

 若いころにかかる流行り病のようなものだ。『この世にいまだないものを生み出したい。いや、自分なら生み出してみせる』という思い上がり。多くの『この世にまだないもの』は、『思いついたが費用対効果や実現性から生み出される前にあきらめられたもの』、あるいは『人には不可能なもの』である。


 神力のない男が、神力に守られた女を斬るのは、不可能なものであった。


 だが、ここに、不可能を可能にする奇跡が成されようとしている。


 ここが時代の転換点。

 この世にある武器・兵器。そのすべてが、この時を境に『過去』になる。


 その兵器の名は、砲ではなく、銃でもなく、もちろん、戦闘機や戦車、ミサイルなどといったものではない。

 過去にももちろんあって、今も普通に存在する。

 けれど、その質、中身がまったく新しくなる。


 その兵器の名は、『刀』。


 人が一人でふるう、古代より幾度も技術的革新を続けられ、今なお存在する兵器が今、また一歩、大きく進んでいく──



 天野の里、里長三太夫さんだゆうの布陣する場所。


 ここは軍隊が充分に展開可能な広さがあるだけに、三太夫の軍も、相手天女教の軍も、互いに総力戦が可能になる。

 しかし総力でぶつかっては三太夫側がひとたまりもない。

 そこでとった戦法というのが、地の利と土地勘を活かした『ゲリラ戦』であった。


 図らずも沈丁花じんちょうげが行っていたのと同じ、相手にストレスを加えることを主眼に置いた戦いだ。

 正面に三太夫を含む少数を配置し、物陰などから伏兵を出して相手軍の横腹を突つく。

 すると相手の意識が乱れるので、そこを狙ってある程度ぶん殴ったら、逃げる。

 そういうことを繰り返すことにより、相手の進軍を遅延することが可能、なのだが……


 一日戦い、夜。


 天女教の軍勢が退いていったのは、ここが天野の里であるので、里衆に夜襲をかけられてはたまらない、といった理由からであった。

 実際、内部深くまで天女教軍を入れてしまい、いきなりそこらに火を放たれたあと、三太夫ら天野の里衆は地の利を活かした夜襲によって天女教の軍勢を里の外に追い出している。その時の深刻な痛手の記憶がまだ新しいので、天女教軍は夜には兵を退くのだ。


 つまり、一日を乗り切った、ということなのだが……


「……里長、大丈夫ですか?」


「……ああ」


 側近として横に置いている若者に声をかけられた三太夫。その返答の声は、疲労でかすれていた。


 一日中ゲリラ戦を行い、敵の正面に立って引き付けては、相手が乱れた隙を突いて叩き、すぐさま逃げるという運動戦を続けた。

 とうに刀鍛冶も引退し、里のまとめ役として頭脳労働ばかりになっていた、ウズメ大陸の平均寿命から考えれば高齢に分類される三太夫には、さすがにキツい一日だった。


「アンタらが気張ってんのに、あたしが泣きごとも言ってらんないからねぇ。……けどまあ、老いは感じる。昔だったら一日走り回ってもなんてことなかったはずなんだけどねぇ。今はもう、強がるだけで精一杯さ」

「……」

「ま、でも四日だ。四日も経てば勝つさ」

「それは、十子が刀を仕上げるから、ですか?」

「刀鍛冶の里だっていうのに、こいつを信じない連中もいるねぇ」

「……その」

「わかるよ。剣一本で大軍を蹴散らすなんざ、神話さ。世の中ってぇのは、そううまいこと奇跡が起こるモンじゃない。『刀が出来れば勝てる』っていうのはね、おためごかしだと思ってる連中も多い。っていうかまあほとんど、そうだろうさ」

「……」

「けどねぇ、あたしは信じてるんだよ。心から」

「『神話』が起こることを、ですか?」

「そうだよ。神代の天才が二人いる」

「……」

「十子岩斬の才能は、里の開祖以来のモンだよ。……あたしも岩斬だったからわかる……っていうのは傲慢かもしれないねぇ。あの子は、あたしなんかとモノが違う」

「……わかりました。ウチの岩斬を信じましょう。けれど……もう一人の天才っていうのは?」

「こっちは、あたしにゃわかんないんだけどねぇ。ま、天才のことがわかるのは、天才だけさね。ウチの天才が認める剣士なんだ。神代の奇跡ぐらい起こしてもらわにゃ困る」

「……ええと」

「とにかく『刀が出来りゃ勝つ』ってことさ」

「……わかりました。里長がそうおっしゃるなら、私も信じます」

「いやあ、信じなくてもいいよ」

「ええ?」

「ただ、その時を待ってりゃいいのさ。信じなくてもその時が来れば、きっと『神話』を目の当たりにする。それを楽しみにしてるだけさ」


 その物言いは、ただ『信じろ』と言うより、よほど強い信用を人に抱かせるものだったらしい。

 異らしきものを唱えていた里の者も、「それは楽しみですね」と力が抜けた様子だった。


(まあだから、納期に遅れんじゃないよ、十子。……あたしの方は、長くはもたないからね)


 疲労と手傷で崩れ落ちそうになる体を支え、懐についつい煙管きせるを探す。

 老境の三太夫にとって、長い長い四日間。その一日目がまだ、終わったばかりだった。

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