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第138話 速度と力

「馬鹿じゃないのか!?」


 十和田とわだ雄一郎ゆういちろう、渾身の叫びである。


 ここまで来た経緯を軽い気持ちで聞いたのが馬鹿だったのかもしれない。

 いや、軽い気持ちではなかった。なんというか、そもそも、気持ちが入ってなかった。


 雄一郎はストレスに弱い生き物である。

 だから『宗田そうだ千尋ちひろが男』という事実を告げられたショックでなんだか頭が呆然としてしまい、その事実を受け入れられないあまりに、どうでもいいことをぺらぺらと聞いてしまったのだ。

 心の弱い者は『受け止める』ということができない。雄一郎は強くなろうと志す身ではあるが、まだその強さは途上にある。なのでついつい逃避行動として『いったん脳みそが聞かなかったことにして、まったく新しい話題を始める』ということをしたわけだった。


 だが、目も覚めた。

 二人の『隠密行動』が馬鹿すぎたから。


「え、じゃあ、ここまで来るのに道中の女を全員倒したってことか!?」


「いや全員ではないぞ。こちらを発見しなかった者にはわざわざ手を出してはいない」


 これは乖離かいり


 そして、


「だが人員が半分ぐらい減っているので、そろそろ異常に気付く頃合いではないか?」


 これは千尋。


 雄一郎はまた叫ぶことになった。


「バッッッッカじゃないのか!? 倒すなら全部倒せよ! 見つかるだろ!」

「はっはっは。元気がいいなあ、雄一郎」

「元気がいいんじゃないよ! 機嫌が悪いんだよ!」

「確かに決闘の権利を奪ってしまったのは申し訳なかった」

「そうじゃないよ馬鹿! あのさぁ! ……あのさぁ、ああ、もう、僕はさぁ……くそ、くそ、くそ! 言葉にならない! とにかくなんだ、ここまで来たんだから僕を助けろよ! いいな!!!」

「お、おう」


 なんだか幼子が泣く直前に『ぐっ』と顔に力を入れる、そういうたぐいの迫力が雄一郎から発せられていた。

 このたぐいの迫力はさすがに千尋もひるむ。何せ、斬るわけにもいかないからだ。


 雄一郎がへそを曲げて黙ってしまったせいか、はくが話しかけてくる。


「……兄さん、その、再会を喜びたいところだけど」

「ああ、そうさなァ。こちらも、こうして会ってみれば、謝罪をはじめとして言うべきことが山のように浮かぶ。だがまずは──大奥を取り戻さねばならん」

「……異常に気付く頃合い──ってわかってて、放置してたんだよね?」

「うむ。ちょっとした賭けではあるが、俺とそこの雄一郎はな、賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんで大勝した賭け上手よ。さて白、そなたらを発見できたのは幸いだった。この『大奥』の男どもが集められている場所などはわかるか?」

「え、うん。わかると思うよ。たぶん……『サクヤ』って人が侍らせてるみたいで、全員そこにいると思う」

「おお、本当に『サクヤ』であったか。しかも、男どもと同じ部屋にいる? ははは。こいつは重ね重ね僥倖ぎょうこうだ」

「……それで、どうするの?」

「うん、我らの侵入に気付いた敵がな、敵の本丸まで報告に走るだろう? もしかしたら、兵を集めてくれるかもしれん。そこをな、これから急襲して倒そうと思っている」

「はい?」

「これからな、急襲して──」

「いや言葉はわかるよ。意味がわからなくて……あの、サクヤって人は『天使』なんだよ。すごく強いんだ」

「そうだな、楽しみだ」

「…………えーっと」


 白の視線がすがるように乖離を見た。


 乖離はうなずく。


「お前の兄は、私と出会った当初から割とこういう男だ」

「…………」


 白が複雑な顔をして黙り込んでしまった。

 男どもが何も言えなくなったので、乖離が千尋に話しかける。


「千尋、楽しみにしているところ悪いのだが、サクヤは私が倒す」

「ほう、なぜ?」

「部外者のお前より天使の私がケリをつけるべき道義的責任がある。あと、天使が天使を倒した方が、その後、ミヤビ様と奥の男性との関係修復が円滑になる。それから」

「それから?」

「おそらく、お前が楽しめるほどの相手ではない。この道中で確信した」

「ふむ。そこまで言われてはまあ、引き下がるしかないか」

「すまないな」

「何、構わんよ。もともと天女教のケンカに乗っかっているだけだ。しかし、本当にそこまで簡単な相手なのか? 同期の天使、つまり『武を専門にする天使』が出たころからの天使なのであろう?」

「まぁ、普段であればあのぐらいの強者相手には、少し出方をうかがって戦うのだが」

「俺の時もやっていたな……」

「一刀だ」

「……ふむ?」

「その刀とお前の仕上がりに感化された。一刀で斬り伏せる。だから、お前はそれを見ていてくれ」


 乖離は興奮している様子ではなかった。

 大言壮語を吐いている様子でもなかった。

 ただし、やる気が充溢していた。どこか眠そうな気配を発することもある女だが、今は、指先にまで気力がみなぎっていた。


「わかった、見せてもらおう」


 だから千尋は、心意気に応える。

 乖離は、『乖離』を構える。


 長刀が持ち主の気に応じて、ざわめいていた。



「ハァ~!? もう、なんなんだしマジでぇ。侵入者ァ!?」


 大奥の、男性同士が交流するために造られた大広間。


 その中心で男性たちに奉仕をさせながら、サクヤが苛立った声をあげている。


 ゆるく波打つ茶髪の女は、右手にムチを握りしめていた。

 その鋼鉄の糸をより合わせて作り上げたムチ……


 その鋼の製法、ウズメ大陸のものではない。


 外の大陸からの輸入品であり、ウズメ大陸にはない独特の製法で作り上げられた、いわば『舶来品』である。


 そのムチを握りしめたサクヤ、不意に立ち上がると、ムチを振るう。

 空気が裂けた音があたりにいる者の耳をつんざき、畳に深い裂傷が刻まれる。


 男性の半数はその音だけで気絶してしまい、もう半数は腰が引けて、あるいは抜けて、動けなくなってしまっていた。


 それら男性を振り返ってにらみ、つい、にらんでしまったのを恥じるかのように笑顔になり……

 また前を向いて、サクヤは部下どもに叫ぶ。


「ほんっと使えねぇなお前ら! アタシがさぁ、信じてあげてんじゃん? 任せてあげたんじゃん。だっていうのにさぁ、あたしの信頼を裏切るわけ? 許せねぇよなぁ? 信頼を裏切ったら、命で償えっていつも言ってんでしょ!?」


 サクヤの人心掌握術。

 痛みと恐怖による支配。


 サクヤは怒りやすい。だが、一瞬で冷めて、優しく接する。

 また、自分の『身内』以外には常にトゲトゲした態度だが、『身内』に入ると優しくしてくれる。

 ……いわゆる『普段は怖いけど、自分にだけ優しい人』という像による恐怖と安堵の使い分け。それを天然の『キレやすさ』と『飽きっぽさ』でやっているのがサクヤという天使だった。


「だいたい誰なんだよ大奥に襲撃とかかますアホども! そいつら見つけたら殺すなよ! あたしが百叩きにしてやっから!」


 激した声で騒ぐ。


 その時──


 交流のための大広間のふすまが、吹き飛ばされてくる。


 サクヤの部下が投げ出されるように広間に入ってくる。

 そうして、そいつを投げ飛ばした──吹き飛ばしてふすまを破壊した、侵入者。そいつは。


「百叩きか。できるものならやってみるといい」


 眼帯をつけ、毛皮を羽織った大柄な女。

 ──天使・乖離。


「乖離ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」


 サクヤが目を見開いて、大声をあげる。


 乖離はうるさそうに目を細め、「なんだ」と問いかけた。


「てめぇは! てめぇは! いっつもいっつも、あたしの邪魔をしやがって! あたしになんか恨みでもあんのか!?」

「邪魔をした記憶は一切ない。たとえばいつの話だ?」

「いつもだよ! 生きてるだけで邪魔なんだよてめぇは! 今も! あたしが! 楽しんでるってのに! 邪魔ァしやがって!」

「またいつもの『中身のない話』か……」


 乖離はうんざりしていた。

 天使なので天女ミヤビへの報告のために寺院へ戻ることもあるのだが、そのたびにサクヤには絡まれていた。

 何やらお仲間を引き連れて狭い通路で道をふさぎ、よくわからない難癖をつけてこちらの時間を浪費させてくるヤツ──というのが、乖離から見たサクヤの印象だ。


 だが、その評価はサクヤからすれば心外甚だしいようだ。

 怒りのボルテージが上がる。


「中身がない!? てめぇの理解力がないだけだろ!? だいたい──」

「ああ、すまないが」

「──あぁ!?」

「お前のことは一刀で片づけると約束している。あまり時間をかけるつもりもないので、雑に処理させてもらおう」

「…………………………そっか。殺すわ」


 サクヤの声が急激に冷える。

 同時、彼女の手が残像も残さず消え去る。


 次には連続してパンパンパァンという破裂音が鳴り響いた。


 サクヤがムチを振っているのだ。

 ただそれだけ。だが、神力で強化された女が振る鋼鉄のムチは、音速を超えて衝撃波をまき散らす。

 ただ振るだけで形成される、鋼鉄のムチの結界。

 近づくことはできない。それどころか、あまりの速度に、攻撃されても見えない。


「てめぇは原型残らなくなるまで挽いて・・・やるよォ!」


 この武器を振らせてしまった時点で、サクヤの勝利は揺るがない──


「やはり──」


 ──ただし、このムチの結界。


「──お前はつまらんな」


 音速を超えて振るわれる鋼鉄のムチの軌道を読めて、鋼鉄のそれごと相手を両断できる者にとっては、なんの意味もない。


「………………あ?」


 サクヤが見たのは、半ばから断たれる己の得物ムチ

 そして、


「……え?」


 ずるり、と。

 横にズレて、それから、落下していく、視界。


 その視界でとらえる乖離は、刀を片手で振り切った姿勢でいた。


 いつ近づかれたのか。いつ刀を振られたのか。

 まったくわからないまま──


 天使・山里やまさとサクヤは、乖離の宣言通り、一刀で、絶命していた。


 あまりの速さに、刀には血さえつかない。

 サクヤが死んだあと、遅れて、何もない首から血が噴き出す。


 乖離は背後を──千尋を振り返り、


「これが、私の速度と力だ。しっかりと見たか?」


 千尋は笑った。


 うずうずとしながら、今は、笑うしか、なかった。

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