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第140話 正しさ

 乖離かいりがさっさと行ってしまった。


 宗田そうだ千尋ちひろはその背をうらやましそうに眺めている。

 なぜさっさと行かないのかと言えば、報告と確認の必要があったからだ。


「ミヤビ殿、状況も落ち着いたところで──」

「あの、天女の血筋の二つの家から宣戦布告されている最中で、今も交戦真っ盛りどころか、我々が『大奥』をとったことで、相手からの攻めが激しくなるかもという状況なのですが。というか乖離はあんなに馬鹿でしたっけ? なんで一人で行ったの? 天女の血筋のお膝もとに攻め込むっていう話なんだから、てっきりこれから軍団の編成をするものと思っていたんですが?」

「──聞いておかねばならんことがある」

「わたくしの今の長い発言、そんなに無視していいものに思えますか?」

「そうだなァ。まぁ、そうだな」

「……もう、それなら、いいです」


 何言っても無駄なので、という意味だ。


 しかしやるべきことははっきりしており、担当する人員も決まっており、『今』は交戦していないので、この状況の中では比較的落ち着いた状況だというのもまた事実であり……


 千尋はこれから、死ぬ可能性が高い場所に行く。

 だから、今、確認せねばならなかった。


天野あまのの里のことだ」

「……管理能力不足と言われれば返す言葉もありません。ですが、それは、わたくしの指示ではない。天野の里にはなんの咎もないことを、天女自らが保証しましょう」

「ああ、だがな、謝罪は俺に向けるべきではない。俺が危惧しているのは、こうだ。『再発は防止できるのか』」

「……」

「これからすべてがうまく行ったとしよう。すると、天女教の内部がすべてミヤビ殿の手持ちになる。だが……このたびの天女教の分裂の原因はどう考えてもそなたの『正しさ』にあり、『正しさ』の結果、そなたから離反できそうだと思った連中が勝手をした。そうだな?」

「……そうですね」

「天野の里の安全を守るというのは、まぁ、俺の使命とは言えんだろう。しかし、この刀のことを含め──」腰にある細女断うずめだちを叩き、「──天野の里には恩がある。一宿一飯どころではない。なのでな、ここで、いかにして『天使の暴走』を防ぐ目算があるのか、それについてたずねておきたい」

「……人の心の問題、ですか」

「そうだ。そなたは、人の心に寄り添うことができないと見える」

「なかなか言いますね」

「そういう者はいるのだ。共感能力に乏しい者。それゆえに、人が『当然、気にするだろう』と思うところを気にできず、意外な反発を生む者。頭がいいゆえに他者を愚かだと見下してしまう者。力があるゆえに弱者に寄り添うことをくだらないと思ってしまう者。誰もが強くなれるわけではないこの世界で、強くなれないことをすべて努力不足だと断じてしまう者──」

「かなり言いますね……」

「まぁ、ようするにだ。己の性質がゆえの現状だが、今後、どう対策をするのかうかがいたい」

「……考えていない、と言ったら?」

「斬るしかなかろうな」


 この発言、あまりにも気負わず、普通に口から出たため、緊張できたのは『千尋慣れ』している面々だけであった。


 この場にいた者の中では、ミヤビ、それから十子とおこのみ。

 ミヤビの側近である巫女が三人ほどここにいるが、それらはこれまでの通り『天女様には無礼だが、ミヤビ様が楽しそうにしているので、まあいいのかなと思っている軽口』だと思った様子──というか、何を言われたのか、そもそも理解していない様子であった。


 だが、ミヤビの緊張にあてられ、巫女たちもまた、緊張を高め、次第に、何を言われたのかを頭に浸透させていく。


 ミヤビが、しばしの沈黙のあと、口を開いた。


「……千尋はわたくしに厳しいようですが、わたくしのことが嫌いなのですか?」

「これを『好悪』の問題にすり替えるほど頭は悪くなかろう? わざとやっているのであれば、『そういう態度をとる者』と判断し、あきらめる」

「……考えていません。そもそも、人の心の問題です。わたくしが正しかろうが、間違っていようが、そういう手合いは一定数出る」

「天に立つ者として正しい意見だ。地平に立つ者として、そういった考えの者が上にいるのは危険と断じるしかない」

「……」

「斬るしかないのだ。政治を行う者は、政治で対処をするのであろう。知恵者は、知恵で対処をするのであろう。同じように、人斬りが剣で対処をする。そういうたぐいの問題だ」


 さすがのミヤビも頭が回っていなかった。

 片手で頭を押さえ、片手で千尋に『待って』と告げる。


「……唐突すぎて、さすがに今すぐには答えられません」

「いや別に、今すぐ答えろとは言わん」

「……はい?」

「そもそも『人の心の問題』で、今すぐ回答を出し、それに俺が『よし!』とうなずいて解決──などという話でもなかろう。というか……ははは。人の心の問題に、正解を知るがごとく『よし!』と俺がうなずくならば、一体俺は何者だ? それこそすべての答えを知る神のごとき者ではないか。俺は神ではないし、そなたも、神ではないぞ、ミヤビ殿」

「じゃあ、どういう意図の質問なのですか」

「『自分が誤っているかもしれない』という考えを、常に頭のどこかに置いておいてほしい」

「……」

「相手にしているのが、命を持つ人間だということを、忘れないでほしい」

「……『考え続けろ』ということですか」

「そうだ」

「考え続けた結果、また、同じようなことが起きたら?」

「まぁ、それは仕方なかろう。努力が及ばんことはいくらでもある」

「……」

「だがな、そなたが『考えない者』ならば、同じことがまた必ず起きる。同じことが『必ず』起きるならば、天野の里を襲ったような問題を解決するためには、『必ず同じことを起こす者を斬る』しかない。……いやこれはあくまでも、人斬りの解決法だがな?」

「努力し続けろと? 自分を疑い、正解できたかどうかもわからない、正しいかどうかも永遠に確信できないまま、それでも、正解を探して考え続けろと? 正解にたどり着けても、それをまた疑わねばならないのに?」

「そうだ」

「……『正解』は、『安心』ですよ」

「そうだな」

「永遠に安心しない人生を送れ、ということですか」

「そうだ」


 地獄のような要求だった。

 あまりにも厳しすぎる。絶対に千尋は自分のことが嫌いなのだろう──

 とは、思わないけれど。


 ミヤビは愕然とした。

 愕然としながら、理解した。


『正しい』。


 正解のない人生を送ることは、厳しすぎるけれど、確かに、そうすべき、正しいものである、と。……理解せざるを得なかった。


 しかし千尋、手心というものがない。


「とはいえ、断固たる自信を持っているように見えない者に人はついて来ない。そして上に立つとなァ、どうしても、『決断』の必要性が生じる場合があるし、何より、優柔不断にあれこれ方針を変更するのも、これもいけない」

「…………八方ふさがりじゃないですか」

「人生はそういうものだ」

「……ムカつく!」

「だがな、本当にそういうものだ。苦しいだけが人生だと言っても過言ではない。……だからな、生きている者は、偉いのだ」

「……」

「そなたの悩みを俺が応援しよう。そしてな、たまにはすべて忘れて、暴れてもいい。だが、多少暴れたら、あとはまた、悩むことを億劫がって、やめないでほしい」

「さもなくば斬る?」

「ああ。さもなくば斬る」

「千尋、あなたはもしかしたら最悪の存在かもしれません」

「割と言われるなァ」

「……正解のない人生を歩めと言うなら、わたくしが間違ったら、必ず斬りに来なさい」

「あいわかった。……とはいえ、俺は俺の正解を押し付けるだけで、別に天上にある『すべてを知る者』ではないぞ」

「正解のない人生にも一つぐらい指標があっていいでしょう?」

「……それもそうか。やれやれだ。人に指標にされるというのはなァ。どうにも好かんが。……ともあれここまで言ったのだ。足元ぐらいは掃除しておいてやろう」


 千尋もまた、ミヤビに背を向ける。

 乖離と同じように──背を向けて、


「サルタ院を掃除して参る。遠くを見るそなたが転ばぬよう、足元の石をどけておこう」


 そのまま、歩き出す。


 しばらくミヤビらは呆然とその姿を見送りかけ……


「千尋、ちょっと待ちなさい」

「うん?」

「…………いや、だからなんで単身で向かうんですか。馬鹿なの?」


 軍団を編成させようという心遣いをすっかり無為にされかけて、ミヤビは「ムカつく」とつぶやいた。

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