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第142話 碁盤斬り

 宗田そうだ千尋ちひろの目にする光景、


(いやァ、白と黒が入り交じり、そろってこちらに攻め寄せる。碁盤に第三勢力として加われば、このような光景になるのやもなぁ)


『大奥』を抜けて、サルタ院へ進む道すがら。

 サルタ派の巫女の白い装束と、暗殺者集団『地虫』の黒い装束。これらが入り乱れ、入り交じり、千尋を狙って攻め寄せる。


 集団の相手は青田あおたコヤネとの戦いでもやった。

 だが、あの時の集団は止まって、並んでいた。

 今相手取る集団はこちらを警戒しており、発見次第斬りかかってくる。

 しかも正規兵と暗殺者とが混交し、その攻め手も多彩である。


 白黒入り交じる碁盤に一人攻めかかる。


 集団と接する、その一瞬前──


 千尋はぺろりと唇を舐め、


「では──碁盤斬りと参ろうかァ!」


 気合一声、刀を振るう。


 十子とおこ岩斬いわきり習作・・刀、細女断うずめだち

 うっすらと桜色を帯びた刀身が走るたび、花の散るような色が空に尾を曳いた。


 時刻はいつしか夕刻になっている。

 山中に差す茜色はむしろ平地よりも赤々としているように感じられた。山の落とす影が入り交じり、サルタ院に不気味な暗さを落としている。


 千尋が進む先はその暗闇である。

 桜色の尾を曳きながら人斬りが進むたび、血が吹雪くように散っていく。


 多人数を相手に少数で挑む時、やはり重要なのは速度だ。

 千尋は女すべてを真正面から相手していられない。男の骨格・関節・筋肉にはどうしても限界があり、その限界を技術でごまかすことはできようが、それは『ごまかしている』だけ。

 だからこそ、最善手は『早期決着』──『パッと走って、ダッと抜けて、ザクッと敵大将の首を落とす』。これに尽きるのだ。


 居並ぶ巫女や暗殺者を斬り捨てて進む。

 重要なのは『斬り捨てる』ではなく『進む』こと。相手が女であることも加味し、道中すれ違う敵どもすべてを丁寧に殺しているほどの猶予はない。とにかく敵大将の首をとる。それのみを考え進んでいく。

 倒していかねば帰り道が大変になるが、まぁ──


(帰りは、帰りに考えればよかろう)


 ……この思考で、生き残ることを別にあきらめていない。

 本気で『帰りに考えてどうにかしよう』と思っている。十子などが聞けば『人斬りがよ……』と言うような思考であった。


(とはいえ、敵の質がいい。この日に備えて練兵をしていたか。人数こそ天野あまのの里を攻めた連中の方が多いものの、少数精鋭、といったところ。いや……美味しい戦いだなァ、これは)


 千尋は前世において、他流派の門弟に囲まれたこともある。

 それとて百名はいなかっただろう。しかもだ。時代が時代であったので、甲冑で武装などということもなかった。せいぜい、服の中に帷子かたびらを着込むという古風なことをやってのける者がいたぐらいであり、帷子一枚程度、当時の千尋からすれば薄紙も同然であった。


 だが今、すべての女が、威鎧おどしよろいでも身に着けているかのように堅牢。

 この名刀をして、刃筋の立て方、力の入れ方、斬り込む部位を間違えれば跳ね返され、折れるかのような敵が、集団で向かってくる。


 ……男なら、こういった妄想をしたことは、誰しも一度ぐらいあるだろう。


 居並ぶ鎧兜の軍勢。

 一斉に放たれる矢。地を震わせる騎馬突撃。

 その前にただ一人立ち──


 すべてを斬り伏せる。そういう、妄想。


 それが今、叶おうとしている。


「まったく、ありがたいちまたよなぁ!」


 刃を振り上げ、振り下ろす。

 その時の踏み込みで、同時に前へ進み、進むと同時に刃を振り上げる。


「はっはっはァ! 碁盤より少しばかり硬いか!?」


 一刀一殺──とまではいかないのがこの世界の女の生命力。神力しんりきなる奇跡をその身に宿す、千尋からすれば妖魔鬼神も同然の存在である。

 百鬼夜行を斬り進む。


 足を止めず、回り、前後左右迫った敵をとにかく斬る。命まで届かずとも動きを止めるような一刀を入れる。

 くるくる回りながら前へ進むその姿、踊りのようであった。

 しかし動作ごとに桜色の光が空に尾を曳き、血の花が舞う様子、ただの踊りではありえない。


「囲め囲めェ!」


 ただ襲い掛かるだけではダメだと判断したのだろう。

 早い判断だ。千尋が戦い始めてからまだ一分と経っていない。

 だが、遅い決断だ。すでにこの時間で千尋が斬った人数、二十を超える。


 天女教の兵である。

 しかも、サルタなる『天女の血筋』を守る精鋭どもなのであろう。

 おまけに、サルタが『いきなり思い立った』のでもない限り、いずれミヤビに反旗を翻すために訓練をしていた者どもなのであろう。


 強いに決まっていた。

 だから、彼女らは、『ただ一人で進んでくる馬鹿』に対して、警戒が足りなかった。


 仮に千尋が千尋ではなく、匂い立つような神力を放つ乖離かいりであったならば、敵も最初から列を成して対応してくれたのかもしれない。

 それを思えば少しばかり惜しくも感じる、が。


「思えば俺の妄想は、いつも、『一人でどう戦うか』であったなァ」


 包囲が完成されていく中、千尋は足を止めていた。

 疲れて足が止まってしまった、のではない。


 包囲の完成を、待っている。

 強壮な女どもが、自分に槍の穂先を突き付けるのを、待っている。


「前世の俺は誠、妄覚もうかく者であった。ありえぬ状況を想定し、それが実現した際にどう対応するか──一人でどう対応するか、そればかりを考えていたのだから」


 包囲が完成する。

 槍の穂先が千尋を取り囲む。


 包囲する人数が多い。

 だから、槍の穂先は千尋が一歩踏み込んで触れられるよりは遠く、千尋が行動したならばすぐさま突き出されて全身を串刺しにできる程度には多い。

 理想的な、長物を使った者たちが、短い武器しか持たぬ者を包囲する距離だ。


 先にミヤビの手の者にしたような忍術も扱えまい。向こうには暗殺者がいる。一人に意識を集中したが最後、暗殺者に首を掻かれるのが落ちであろう。


 この状況で、どうするか。


 千尋は──


 腰から鞘を抜いた。


 見事な装飾の鞘である。

 もともとはほんのり桃色がかった光沢を放つ白い革を張っただけのもの。

 だが、千尋が寝込んだことにより、歴代岩斬随一の器用者三太夫さんだゆうが、その器用さをいかんなく発揮し、花吹雪の絵を描いてくれた。


 芸術品のような鞘──

 だが、岩斬の名を持ったことがある者が想定する『刀』とは、観賞用の芸術ではなく、実戦に耐えうる実用品である。

 その思想は、鞘にも現れている。


 鞘とは、何か?


 単に刀を納めるホルダーにしかすぎないのか?


 ……そうだ。多くの場合は、そうだ。だが……


 鞘は、居合においては『鞘走り』という技法を行うための、刀の発射台である。

 そして何より、実戦を見込むならば……


 剣が折れたとして。

 あるいは、今のように、片手にもう一刀欲しくなるシチュエーションが来たとして。

 そういった用途にも使える頑丈さも備えたもの。それが、元岩斬三太夫の作り上げた鞘である。


 千尋は、ただ、歩いた。

 素早く進もうという意思もなく、槍の穂先を回避してやろうという備えもなく、ただ適当に目についた穂先に向けて歩いた。


 あまりにも普通に歩いていくので、相手の穂先がこわばる。

 こわばったあと、突き出される。


 千尋は目を閉じていた。


 そして体に動きを任せる。


 左腕が勝手に動き、何かを払う。

 右手と足が勝手に動き、払ったものを抑える。


 同時に左足が踏み込み、鞘による突きを放つ。


 目を開く。

 女の喉を、鞘で突いていた。


 ……かつて、乖離の喉を木の枝で突いた時、なんの痛手も与えられなかったが……


 今、目の前の女には、鞘による突きは通るらしかった。

 あるいは、木の枝などとは比べ物にならぬほど、この鞘が優れているお陰だろうか。


 突き相手のえづく声を聞きながら、体はすでに動いている。


 突きの反作用を活かして体を回す。

 すぐさま横にいる者の首を薙ぐ。

 槍が狙いを修正し、再び・・千尋に突き出される──


(なるほど、すでに全方向から突かれていたか)


 目を閉じて己の肉体に対応を任せた一瞬、どうにも全方位から槍が突き出されていたらしいことを遅れて知る。


(俺は……ああ、なるほど、前に進む動きで斜め方向に動き、逸って突いた者の突きを鞘で払い、刃で抑え、それから鞘で喉を突いて、包囲を抜けたのか。そして……)


 己の動きを俯瞰する。


 突き出される槍を体を回してかすめ、肉体で巻き込む。

 たいが崩れた者を引き込むようにして、他の者にぶつけて、崩す。

 包囲が崩れた心身の隙を突いて、手近な者の手首を斬る。

 手首を斬られた者が落とした槍を蹴り上げ、他の者の動きを牽制する。


 牽制で生じた隙に、また斬り込む。


(受け、崩し、斬る。なるほど基本に忠実だ。だがもう少し、新しいことを試してみてもいいのではないか?)


 己を俯瞰しながら、己に提案をする。

 と、肉体は思考の提案を受けて、冒険を開始する。


 そこからの動きは軽業であった。


 前世の重い肉体ではやろうとも思わなかった動き。

 突き出される槍を跳ねてかわし、そばにいる女の体を蹴って跳び、別な相手の頭にとびかかって視界をふさぎつつ足で首を締め、突き出される槍に刀と鞘で対処する。

 締め落とすと同時に頭から落ちるようにだらんと体の力を抜きつつ女の首を解放。地面に頭頂からぶつかる前に低い場所で一回転し足から着地。同時に横へと一回転しながら包囲する者たちの脛を斬る。


 低く速く回転する。

 低い位置に敵が攻撃を向ければ高く跳ぶ。


 高く跳んだところを突かれそうになれば、その攻撃に剣を合わせ、その反作用で空中で方向を変える。


「なん、だ……なんだ、その動きは……!?」


 そうして数が減らされていくと、もう、千尋の動きに対処しきれない。

 人と人との間を、跳び、潜り、跳ね、回転して斬り刻み、脚で締め落とし、剣を向ければ空中で方向転換どころか加速をしていく者──


「……よ、妖怪……」


 もはや人間とは思えない。

 それが、神力の気配を発していないとくれば、なおさらである。


 千尋が次に着地したころ、周囲には巫女たちと暗殺者たちが転がっていた。


「……全部倒すつもりはなかったが、結果的にそうなってしまったな。ま、ともあれ……」


 移動しながら敵を相手しているうちに──


 たどり着いた。


「サルタ院、推して参るぞ」


 このたびのクーデターの首謀者と思しき者が潜む院。

 建築の様式としてはミヤビ院と変わらぬ、黄金の尖塔を備えたその白い建物──


 大きな門が、ぎぎい、と。

 千尋を招くように、開き始めていた。

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