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第144話 アワサク

 宗田そうだ千尋ちひろがサルタ院の前にたどり着くと、唐突に扉が開いた。

 そうしてそこから出てくるのは、真っ白い巫女装束をまとった女ども。


 そろった列。きらめくばかりの白い装備。それぞれが業物であろう槍、薙刀、刀──

 何より一人一人の顔立ちでわかる。


 これまで戦っていたのが『精鋭』であるならば。

 今、サルタ院から出てきたのは、『最精鋭』の近衛であろう、と。


 近衛ども、周囲の状況にはとっくに気付いていただろう。


 状況──

 すなわち、千尋が、ここに出たサルタの手の者どもと斬り結び、斬り結び、斬り結び、その果てに壊滅させた、という状況である。


 周囲に転がる女どもが見えていないはずがない。その中でただ一人、刀を構えて立つ千尋が見えていないはずがない。

 だが、無反応。列を乱してこちらに応じようとする者、周辺状況を見て混乱する者、誰一人存在しない。


 ……いや。

『軍列の中には』、誰一人存在しない。


 千尋は、足元から迫る、ぬるりとした不気味な気配を察した。


 下がりつつ足元を斬る。

 ぎぃん、という鋼にぶつかる音がして、衝撃が手に返ってくる。

 その衝撃を殺しながら大きめに下がり、構え直し……


 そいつと対面した。


 黒い衣装をまとった女だ。

 全体的には『忍び』に見える。だがしかし、千尋の前世にいたような、茶色い衣で闇夜に潜み、屋敷に侵入狼藉などを働くシノビとはまた違う。

 口元こそ黒い布を巻いて隠しているが、衣装の方は胸と腰回りをわずかに隠すのみであり、素肌に鎖帷子をつけているのだろう、白い肌の上に千鳥格子のような模様がびっしりと走っていた。


 得物は剣が二つ。左右の手にそれぞれ帯びられている。

 だがしかし、その剣、異形であった。反りがあまりにもすさまじい──というか、刃の半ばが、『ぷくり』と焼いた餅のように膨らんでいるのだ。

 千尋の知識にはないが、それは『ショテル』と呼ばれる半月型に湾曲した剣身、その内側に刃を持つ刃物であり……


「異形、とはいえ十子とおこ岩斬いわきりの作でもなさそうだ」


 千尋の細女断うずめだちの一撃をアレで受けたのだろう。

 刃の一部に裂傷が走っていた。


 いかに細女断が現在の十子岩斬の最高傑作とはいえ、相手が同じ刀工の作であれば、『人』を断つつもりで振るった刃が、『鋼』にあそこまでの傷を負わせることはありえない。

 鋼の質という意味では、千尋の圧勝。ただし……


「……というか、斬った感触が何やらおかしかったなァ? 刀の作り方ではあるまい」

「……」

「なんだ、無口なヤツだな。ともすれば最後に言葉を交わす相手になるやもしれんのだ。互いに気持ちよく死ねるよう少しばかり話さんか?」


 ……『地面から出現する』不可思議な業。加えて千尋の刀を、あの脆い剣で受けて、刃部分にわずかな裂傷を負わせるのみにとどめた手腕。

 間違いなく、手練れである。


 千尋は肩をすくめた。


「せめて名ぐらいは聞いてもいいか?」

「アワサク」

「なんだ、しゃべれるではないか。俺は千尋と申す」

「……いい、名だろう」

「む? ああ、いや、そうだな、俺にはそういったことはよくわからんが、名は、本人が気に入っているのが一番だと思うぞ」

「サルタ様にいただいた名だ。……それで、お前は」

「ん?」

「お前は、サルタ様の兵を、倒し、転がし……サルタ様から、不当に・・・奪った・・・な」

「……いやァ、まあ、そうかな?」

「サルタ様から奪う者、万死に値する。──死ね」


 どぷん、とアワサクの体が沈む。

 足元が急に海にでもなったかのような急激潜航。面妖も面妖、あまりにもおかしな妖魔鬼神の技である。


 当然ながら千尋が力を込めても地面に体を沈めるなんていうことはできない。

 相手は自在に地面に潜れると思ってよかろう。千尋はそういう相手からの攻撃をかわし、地面の中に逃げる相手を斬らねばならない。

 あまりにも理不尽な勝負に──


(だが、この世界の女は『こう』だからいい!)


 ──千尋は歓喜した。


 地面からショテルの切っ先が飛び出す。

 千尋は跳び退きながら刃を振るう。今度は『鋼』を断つつもりの振り方だ。


 地面から魚のように跳ねあがりつつ、アワサクがショテルを振るう。

 すでに間合い外にいた千尋の剣と、アワサクのショテルとが交錯した。


 剣は確かにショテルに当たった。

 だがしかし、アワサクの腕前は相当なものである。ショテルに千尋の剣が触れた瞬間、刃を回して峰で受け、千尋を斬ろうとしていた軌道を曲げて、ショテル破壊を避ける。

 しかもその動きで逆に千尋の刀をひっかけて奪おうとまでしてくるのだ。


(指先にまで気力が充溢し、充溢した気力を活かす技量がある。地面に沈み移動し一方的にこちらを狙う神力の使い方。そして当然、腕力、耐久力も優れている。これは──)


「──ははははは! 楽しいな! 本当に、楽しいちまただ!」


 千尋は笑い声をあげる。


(さぁて、俺はどうする? 地面からの攻撃を避けることは可能。何せ、下からしか来ないのだから。だがしかし、相手には兵力がある。こいつ一人が挑みかかってきている現状であれば千日手に持ち込むこともできようが、こいつに意識を割かれながら集団の相手は厳しい。そもそも、今の俺には体力的制約もある──か。なんと悪い条件だ。この上なく面白い)


 その状況で、自分はどうするか?


 ……『塔』でのことを思い出す。

 あの場所で出てきた前世の自分は、確かに『強敵』であった。

 だが同時に、『あの頃の自分』を見ることで、忘れかけていた様々なことを思い出させてくれる師匠でもあった。


(今の俺にも、使えるか?)


 千尋が意識するのは、『奥義』だ。

 流派を興すため、技法に名付けをする必要性があった。

 だが奥義と呼ばれる技法には、あらゆる技法・神髄が利用されているため、それらすべてをくっつけて呼ぶとあまりにも長くなりすぎる。それゆえ、象形から名づけるしかなかった。


 技法・神髄。

 それらはいわゆる『技術』ではある。

 だが、同時に、剣技には力というのも無縁ではない。いくら奥義を極め、神髄をその身に宿そうとも、腕力のまったくない者に剣を振ることはできない。人を斬るには、人を斬る力か……


 人を斬れるような刃が必要だ。


(俺には相変わらず力も体力もない。だが……今の俺には、この刀がある)


 ……ゆえに、構える。


 その構え、中段構えに近いが、切っ先を目線の高さに合わせるいわゆる『正眼』ではない。

 柄頭もへそではなくみぞおちあたりにあり、何より、刃が地面と平行になっている。

 切っ先はもちろん真っ直ぐ前へ。……どこからどう見ても、『これから真っ直ぐ剣を突き出しますよ』という構えであり、刃が下を向いているので、ひら突きへの変化も見込んでいない。『貫き通す』という意識のあまりにも強い構えであった。


 欺瞞ではない。実際にこれからやることは、『突き』だ。


 アワサクとの戦い──


 相手は地面に沈み、泳ぎ、攻撃の時にしか出てこない。

 しかし攻撃の時には高く跳びあがるため、そこに突くべき隙はある。

 しかししかし、技量のせいでショテル破壊を狙った攻撃を受け流され、その受け流しに千尋の剣をからめとって奪おうという技術まで入れてくる。

 その『絡めとる』力、この世界の女特有の剛力。巻き込まれた刀の保持は、千尋の腕力では難しい。一回は耐えたが、相手が千尋の動きと力に慣れればできなくなるだろう。


 必ず下からしか攻撃が来ないので避けるだけならば簡単だ。

 されど敵は大軍。これに乱入される前に、この『下から攻撃してくる手練れ』を倒さねば勝ち目がない。


 だがショテルは千尋の刀より長い。相手は刀剣の形状から『突き』はしなさそうではあるものの、相手の間合いの内側だと、半月型に湾曲した刃のせいで背後をふさがれる。受けても回り込んで切っ先が突き込まれる。そして鍔迫り合いに持ち込まれるものならば、競りながら斬られるし、そもそも、千尋と女とでは競り合うことができない。


 だから千尋は、まず、武器破壊を狙っていたが、それをさせない技量が相手にある。


 なるほど、高い壁だ。


 乖離かいりさえ彷彿とさせる手練れである。


(刺し違えるわけにもいかん。ミヤビ殿との約束がある。ゆえに俺は、『細い勝ち筋をつかむ』のではなく、『確実に勝つ』やり方をせねばならん──というのも、『制限』か。やれやれだ。失敗すれば死ぬような動きが可能ならば、もう少しばかりやりようもあるが。なるほど、面白い)


 だから、確実に勝つための奥義。


 ……殺意のような、わかりやすい気配はなかった。

 音もなく忍び寄って、音もなく地面から切っ先を覗かせ、音もなく飛び上がる。


 跳ねながら振るわれる刃は、千尋の足と首を狙っている。

 二刀の強み。交差するように備えられた腕を外へ開くようにすることで、二か所に同時に強烈な薙ぎ払いを放つことができる。


 千尋が突きを放つ。

 狙う先は、己の首に迫る刃──ではなく。

 相手の、首。


 ……その突き。


 特殊な中段構えから真っ直ぐに放たれ……

 当然、突くことがあからさまなので、対応される。


 だが、対応される……横から振られた刃が、首を断つついでに刃を逸らそうと力を込められた、その瞬間。


 千尋の奥義が炸裂した。


「……な!?」


 アワサクの口から驚きが飛び出す。


 真っ直ぐに突かれた刃を真横から払う。

 すると力というのは、前へ進むものを横から叩くので、さほど返ってこない、はずだった。

 まして千尋の腕力の弱々しさは二度も剣に受けた威力でわかる。恐るべきは鋭さと刀の切れ味のみだと、アワサクはとうに見抜いていた。


 だからこそ、驚く。


 千尋の突き出す剣を叩いた瞬間、衝撃が腰に来て、膝が勝手に地面に着こうとするのだ。


 この奥義。

 その象形、第三者視点で見た動きは本当に『ただ剣を突き出すだけ』である。

 しかしその中で流れる力は、相手の剣でも鎧でも、触れた瞬間、相手の腰に及び、丹田たんでんにのしかかり、たいを下へ落とす。

 現代日本の視点で語れば『古武術』と呼ばれる技術体系。その達人は相手の手に手が触れた瞬間、相手の腰や首を下へ落とすという力の操作が可能。千尋が今行ったことはそれであり……


 その『力の流れ』の象形を指して、この奥義はこう名付けられた。


 ──がんだれ


 あからさまに『突きますよ』という構えから突くにもかかわらず、相手が刃を払おうと触れたならば、必ず当たる、必中の突き技である。


 千尋の刃が、アワサクへと突き刺さる。


 ここで突きが刺さらないようだとこの奥義は失敗である。

 しかし細女断は、アワサクの首へと吸い込まれるように進んだ。


 地面に潜航する神力の使い手が、地に膝を着いたまま、首を抉られる。

 この勝負、千尋の剣技の勝利であった。

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