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第145話 人斬りと殿上人

(死んではおらんな)


 千尋ちひろの突きは間違いなくアワサクの頸動脈に突き刺さった。

 これは『いずれ死ぬ傷』だ。


 しかし、突きという技の特性。斬られた者が『行動不能にはなるが案外生き残る』のに対し、突きは『死には至りやすいが、行動不能にする効果が乏しい』というものがある。

 そこに加えてこの世界の女には神力しんりきという特殊な力があるため、一見すると致命傷でも、今ここで死んでいないのであれば、案外生き残るという性質もあった。


(放っておけば失血で死ぬであろうが、確実に殺すなら首を断つぐらいはせんといかんか)


 千尋の奥義は確かにアワサクに致命傷を与え、アワサクも首を片手で抑えて流れ出る血を留めようと試みている。

 だが、死んでいない。生命もまだあるし、闘志もまったく衰えていない。


「よき士──いや、よき『女』だ」


 心の底からの称賛であったが、アワサクの側は侮辱だと受け取ったらしい。

 その目に怒りが宿る。


 ……だが、その怒りが発露することはなかった。


「下がりなさい、アワサク」


 声がする。


 千尋は、そちらに視線をやった。


 ……戦いの最中に、戦っている相手から視線を切って、声の方を向いてしまう。

 千尋であれば絶対にしないと思っていたことだ。


 しかし、その声は──その声の主の存在感は、千尋をして意識を誘引するだけのものがあった。


 視線の先にいるのは……


 地に引きずるような長い白髪の、真っ白い、千早つきの巫女装束を身にまとった女だった。

 その女は奇妙なものを手に持っている。


 剣だ。


 反りがなく、両刃で、鍔が横長の、剣。

 どうにも打ち刀の気配ではない。


(形状だけならば俺にも覚えがある。あれは──いわゆる『西洋剣』だな)


 千尋の前世において一般的ではない、つまり、千尋視点で『奇妙な剣』にあたる。

 そして現世においても一般的ではない。刀というのはいわゆる『数打ち物』でも鍛造品だった。だがあの刃紋もない剣は、鋼の照りが見れば見るほど鍛造品とは異なる。


 もしここに十子とおこがいれば、あの剣を『鋳造品』と見抜いたことだろう。

 熱した鋼を型に入れて冷やし固めたもの。

 当然、刃なので研いではいるが、鍛造によって生み出されるものよりも粘りについては劣る。

 しかし『大量生産がしやすい』というメリットがある。


 ……ただし、あの剣は。

 確かに鋳造品──『型の中に熱した鋼を注ぎ、冷やし、固めたもの』ではあるけれど。


 その鋼の特別さにもまた、十子であれば気付いたことだろう。

 あれは鋼そのものと、それを溶かし得る炎と、そのような温度の鋼を固めるために留め置く型とが──


 人の手によるものではない。

 神の手からなる鋳造品。

 このウズメ大陸の文化ではなく、異国、別大陸のものである、と。


 身の丈ほどの長さの剣を備えた純白の巫女が歩むと、兵どもがそれに合わせてサッと道を開ける。

 気付けば先ほど千尋に致命傷を与えられたアワサクさえも、首の傷を抑えることをやめて、純白の少女へと体を向け、片膝をついて頭を垂れていた。

 当然のように流れる血。

 歩いて来た純白の巫女は、綺麗な草履で血を踏み、語りかける。


「アワサク、下がって治療をなさい」

「……しかし」

「無駄死にをすることはありません。我らは……わたくしは、何も失ってはならないのです。もちろん、お前もですよ、アワサク」

「…………は」


 アワサクが立ち上がり、千尋を見て、去っていく。

 その視線には温度がなかった。先ほどまで戦い、互いに命のやりとりをしていた者とは思えない。


(『持っていかれた』なァ)


 千尋は笑う。

 あの純白の少女の登場で、場の『主』が、あの少女にされてしまった。

 さきほどまで千尋に集まっていた注意や興味はすべて、あの少女に持っていかれたのだ。


 あの少女は、


「……だいたい想像はつくが、一応、名をうかがっても?」


 微笑んで、答える。


「サルタ」

「……ああ、やはりか。俺は千尋という。そなたを斬りに参った者だ」

「そうであろうとは思います。しかし、一つ、提案を」

「何かな」

「ミヤビに仕えるのをやめ、わたくしに付きなさい」

「……ほぉ?」

「わたくしは、アワサクを倒したあなたを評価します。ミヤビより、わたくしの方が、あなたの主人にふさわしい」


 待遇だの、根拠だの、ミヤビへのネガティブキャンペーンだの。

 そういうのは、続かなかった。いくらか待っても、サルタの発言は以上だった。


 ヘッドハンティングをしているというのに何もアピールしないのは通常であれば論外である。

 だがしかし、それでも、ついうっかりうなずいてしまうような存在感がサルタにはある。

 見ているうちに燐光さえまとって見える。夕方の茜色に染まる世界の中に残った朝日。サルタという少女は、そのぐらいの圧倒的な神聖さと存在感があった。

 生まれつきのカリスマ。容姿と雰囲気だけで人を従わせることさえできる。そういうものに生まれついている。


 だから問題は、


「俺はそもそも、ミヤビ殿に仕えてはおらんのだ」


 サルタの認識のズレ。


 この局面で敵陣に向けて単騎突撃するような者は、いくら手練れであろうとも、命懸けの気概のはずだった。

 つまり、ミヤビの命令に準じる覚悟をもって、決死の突撃をする、ミヤビに仕える者──と考えるのが自然なのだ。


 だが宗田そうだ千尋は人斬りである。

 律儀で返礼を心掛ける人斬りなのだ。


 ミヤビに『困ったことがあれば言ってくれ』と約束をし、言われたので、ここにいる。

 命は当然懸かっているが、だから・・・なんだ・・・という態度で臨死の場へと挑む。律儀な人斬り、としか言えないイレギュラーであった。


「それどころか──ここに来る前にな、ミヤビ殿を相手に斬り合いになるところであったぐらいで。まぁつまりなんだ、そなたが主人にふさわしいかどうかは、どうでもいい。俺が懐柔されうると思って手加減されても興覚めなので、説得あたわぬ馬鹿一匹、ぐらいに思っていただきたい」


 価値観の違いすぎる相手の言葉を理解するには、数瞬の時間が必要だ。

 ましてその相手が、これまでまったく触れたことのない世界・・の言語を使っているとすれば、なおさらである。


 サルタにとって、千尋のような生き物は──


「なるほど、よくわかりました」


 ──既知であった。


「で、あるならば説得を変えましょう。天宮売命あめのみやびのみことと斬り結ばせてさしあげます。わたくしにつきなさい」

「目の前のそなたを放ってそちらと斬り結ぶ理由がわからんな。別に、やるとしたら後でもよかろう」

「理由は単純です。今、わたくしより優れているのが天宮売命であるから、です」

「ふむ?」

「血統的に優れ、権力的に優れ、わたくしの持ちえないものを持っています。わたくしの行動は唐突でしたが、それでも時間が経つにつれ向こうが有利になるでしょう。わたくしを斬るより、斬りごたえがあるとは思いませんか?」

「そうして、ミヤビ殿を斬って、すべてを手に入れたあとのそなたの方が強いから、その時に自分を斬りに来い、と?」

「ええ。今、わたくしを斬らない理由にはなるでしょう?」


 人斬り用の説得であった。

『向こうが強いから、こちらにつけ』などと、調略としては論外。だが、人斬りには──権力だの身の安全だのに興味がない、頭のおかしな連中には、特有の理論展開をしなければならないと、サルタはよく知っているのだ。


 アワサクを始め、ムチ使いの天使サクヤなどを引き抜いた時もそうだった。

 他の者を自陣営に取り込んだ時もまた、そうだった。

 人にはそれぞれが望む『利益』がある。だから、通俗的で一般的な『利益』を提示しても、自我が強烈な者は味方につけられない。


 サルタは他者の『欲望』を見抜くのがうまい。

 たとえば青田あおたコヤネが天野あまのの里を攻めるように──現天女ミヤビの不利益になりそうな行動をするように誘導した背景にも、こういう『欲望を見抜く目』がとても役立った。

 あの女が『天女の座を奪いたい』と思っていることを見抜き、褒美を──『本当に天女の座につきたいならば、そのために利用できる神輿としての自分』をちらつかせて、行動を促した。


 だからこそ、サルタの説得は効く。


「魅力的な提案だなァ」


 千尋が揺れ動くようなことを言う。


 サルタは知っている。こういう人種は、義理や人情ではなく『戦い』を求めていると。社会性が希薄であり、強者との戦いに挑む自分に酔っていると。そういうことを、よく知っている。

 だから、こういった手合いを言葉で操ることもたやすい。


 ……問題は。

 目の前の女──男がただの人斬りではなく、前世において、数万の弟子を抱えた師範でもあり、調略だの、政治だのといった戦いもせざるを得なかった者であったという、見抜きようのない要素であった。


「サルタ殿。あなたは俺たちのような者のことをよく知っているらしい。よく知り──これをうまく誘導し、己の目的に役立つ捨て駒にしてやろうという、そういう者の物言いだ」

「……捨て駒などと、そのようなことは」

「ああ、いい、いい。権力だの情だのになびかない人斬りが、社会に対してできる役割というのは『捨て駒』がせいぜいよ。そこはまぁどうしようもないのでな、否定をしようとも思わん。人斬りの多くは『強者との戦い』という夢に酔っている酔客だからな。よりよい夢を見せてやれば、寝言をほざきながらついてくる──と、このような認識であろう。間違っておらんぞ」

「……」

「お若いのに見事な人生経験だ。だからな、一つ覚えておいてくれ」

「……なんでしょう」

「信義も信念も社会性もない者ほど、『自分の中で曲げないと決めている決まり』があるものだ」

「……」

「そなたのありがたい申し出はお断りする。人斬りとして魅力的に感じる提案だったのには違いないが、先によしみを結んだのはミヤビ殿の方であり、これに力を貸す約束をし、力を求められている。そなたと先に出会っていればそなたの言葉に従ったであろうが、こればかりは巡り合わせだな。どうしようもないことであろう」

「……そう、ですか」

「それにな」


 千尋は剣を下げるように構える。


 切っ先が真下を向くような、これもまた特殊な構えだ。


「俺はうまく言葉を転がして人斬りの進む方向を自分に都合よく歪めようとする者は、残らず斬り捨てると決めている」

「……」

「弟子どもがなぁ。お役目をもらっただの喜んで報告に来てな。それでやらされることが捨て駒の人斬りというのはまあ、いかんだろう。誰かを斬りたいなら、懸けるのは己の命にしてもらいたいものだ。……都合よく転がして自分の代わりに死なせていい命などというものは、ないと知れ。ま、ようするに──」

「…………」

「──そなたが気に入らんので、斬ることにする」


 千尋が剣を振り上げる。


 同時に、サルタに肉薄していた。


「!?」


 予想外の速さ。四歩はあった距離を一瞬で無にする技法。

 中国拳法における活歩かっぽなど、どう見ても間合い外から一瞬で距離を詰める歩法というのは実在する。

 千尋が行ったのは、剣を振り上げる勢いと反動を足裏に落とし、地面に接したままの踵で地を叩き、その勢いで一瞬にして相手との距離を詰める技。


 体が重かったころは、もっと力を発生させる必要があった。

 だが、今の軽く脆い体ならば、剣を振り上げる勢いと、剣の重さだけで、滑らかに素早く三歩の距離を詰めることが可能。


 振り上げた剣を振り下ろす。


 通常であれば決まる。


 だが、サルタは驚きながらも体を反応させていた。

 彼女の白い眼が輝く。


 千尋は悪い予感を覚えて膝を抜き、体を落とし、サルタの横を通り過ぎる。

 すると、千尋がいた場所の向こう、そこにあった岩がざらざらと砂粒のようになって崩れていくのが見えた。


「面妖な。しかし、面白い」


 見るだけで大岩を砂粒にする妖術──否、神力による技。

 それを発するサルタが振り向き、視線を千尋へと向ける。


「……面倒な。厄介な技術を用いますね」


「お褒めの言葉と受け取っておこう」


「されど、わたくしが相手をするまでもありません。みなさん──」

「そうつれないことを言うな、サルタ殿!」


 サルタが号令を発しようとするところに斬りかかる。


 兵どもが動く。


 サルタの瞳が輝く。


 勝負を避けようとする少女に、人斬りが斬りかかっていく。

 千尋とサルタの戦いが、始まった。

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