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第146話 天の与えた理不尽

 サルタにとって、千尋ちひろというは、こういう者だった。


(人斬り)


 命懸けの場に望んで歩みを進める気の触れた者。

 強者との斬り合いに酔う妄覚もうかく者。

 己の趣味としか言えない『斬り合い』に他者を巻き込んで平気な不埒者。

 法や倫理より一段上に『殺し合い』を置く馬鹿者。


 社会に生きていてはいけない者。

 それこそが『人斬り』だ。


(わたくしは準備を整えた。奇襲的にミヤビに宣戦布告し、大奥をとることで時間と隙を作り、相手が対応に苦慮している中で『地虫じむし』を招き入れた)


 先ほどサルタ自身が言っていた通り、ミヤビとサルタでは、それが動員できる総兵力数、それに権力においてミヤビの方が上である。

 青田あおたコヤネの天野あまのの里攻め──これを誘導したのも、とにかくミヤビに従う兵力を一人でも総本山の外に出しておきたかったという事情からであり、攻める先はどこでもよかった。

 ただコヤネには『当代岩斬いわきりの実力を自分のためだけに使わせたい』という欲望があり、また、あの女の欲望的にも兵器生産のための工廠こうしょうを欲していた事情もあって、なおかつ地形や相手戦力が手ごろで練兵向き……などの条件が整ったため、天野の里攻めとなったわけである。


 ここでコヤネがほぼ全軍を連れ出せたのはサルタにとって嬉しい誤算だった。半数も連れ出してくれれば重畳、ぐらいに思っていたが、コヤネの能力は思ったより高かったようだと評価を改めたぐらいである。


 それ以外にも数々の下準備を行い、相手が万全でないように、自分の側が万全であるように、備えた。

 その備えが──


 ──たった一人の人斬りによって、無為にされそうになっている。


 あまりにも、理不尽。


 だからサルタは、少しばかり……


 興奮していた。


(この理不尽を踏み越えた先に、わたくしの『真実』がある)


 サルタの真実。

 それは、


(わたくしは運以外悪くなかった。生まれつきどうしようもないものに足を引っ張られ続けてきただけで、そういったものがなければ、やはり、わたくしこそが天女の座にあるのがふさわしかった。……お兄様の妻となる者として、ミヤビよりもずっとふさわしかった)


 理不尽。

 たまたま。

 偶然。


 人生においてどうしようもなく発生する不可抗力。

 これら障害を乗り越えるほどの実力を示したならば──


(わたくしこそが、お兄様の妻になる)


 ……お兄様。つまり、サルタにとっては従兄いとこであり、ミヤビにとっての兄は、すでに故人である。

『実は生きています』などということもない。完璧に死亡している。しかも、数年前にだ。蘇生の見込みもない。


 だからこそ、『妻』になれる。


 自分はミヤビではないから、周囲は認めなかっただろう。

『男性の共有』をする未来はあれど、妻として周囲から認められるのはミヤビのみであった。

 そもそも、お兄様は優しい人だった。数回話しただけでも、その心根の清さがわかる。だからこそ、サルタは、お兄様の存命時に、『宮売みやびの血』を殺して自分が天女の座に就くなどということは考えもしなかったが──


 今。

 今ならば、お兄様は存在しない。


 だから宮売を殺し尽くしても、お兄様は悲しまない。

 ただ、そうやって実力を示せば、天に・・こう言える。


(降りかかる理不尽すべてを斬り払い、高らかに叫びましょう。『おまえがわたくしに課した理不尽さえなければ、本来・・、お兄様の妻にふさわしいのはわたくしであった』と)


 サルタにとって、『お兄様の妻』というのは、『称号』だった。


 つまりこの革命。

 あらゆる理不尽、苦難を超え、天女を殺し、宮売を絶滅させた末に、自分にさんざん理不尽・不遇を課してきた天に対して『やっぱりお前よりも、わたくしの方が正しかったではないか』と言う……

 運命に対する『ざまあ行為』。ただただ『己は不遇であっただけで、やっぱりお兄様の妻にはミヤビより自分の方が、実力的・能力的にふさわしかった』と──


 自分が納得するためだけの行為。


『やっぱり自分は正しかったし、理不尽に不遇だったという納得』。

 サルタが求めているのは『それ』であり、それだけのために計略を巡らせ、青田あおたコヤネと天野あまのの里を含む多くの者を巻き込み、人心を掌握し、人命を費やし、大陸の支配者たる天女教を二分して人民を混乱に陥れんとしている。


 サルタの行為は最初から最後まで自己満足のためにしかすぎない。


 今、この混乱、この争いもまた、最後に『わたくしは正しかった』と納得するために行われている。

 彼女のために命懸けで戦う兵ども、ことごとく、自己満足のための生贄であった。


 だから、千尋が斬りかかってくる今この時、サルタの思考はこうなる。


(どうこの理不尽をくぐり・・・抜ける・・・か)


 ……そもそも、サルタの眼中に『敵』として存在するのは、同格にして理不尽の象徴であるミヤビだけ。

 ミヤビが放った人斬りなど、いくら天使を倒せるほどの手練れであろうとも、まともに相手をする理由がない。


 一撃で殺せるなら手ずから殺してやってもよかったが、どうにも面倒で生存能力が高い相手だ。これに時間をとられるのもつまらない──天からの理不尽をまともに受け止めてやるようで気に入らない。


 だから、『くぐり抜ける』という発想になる。


(アワサクは首を突かれて動けない。兵や『地虫じむし』の構成員では数がいても手に余る)


 サルタから見た千尋という者、あまり見たことがないタイプの手練れであった。

 まず、神力しんりきをほとんど感じない。

 だというのに、死なない。ただし、集団を蹴散らす剛力があったり、他者をまとめて薙ぎ払う神力の業があったり、そういった者ではなかった。

 攻撃力は足りない。刃をものともしないというよりは、後ろに目でもついているかのごとく回避する。攻撃も一撃で人を断つようなものではなく、基本的には機会を見て細かい傷を入れていき、斬り込めそうならば斬り込むという、『機』を見るのがうまい。


 強者というより巧者。

 それだけに『殺す』のが面倒。


 だからサルタは、千尋がここに送り込まれた理由をこう分析する。


(なるほど、『時間稼ぎ』。わたくしを留め置いて、外部と接触し、応援でも要請するつもりでしょうか)


 ……ここにはもちろん勘違いがある。

 ミヤビはそもそも、千尋を必殺の人材としてここに送り込んでいるし、もっと言えば、千尋には『部隊』を率いらせるつもりであったので、単騎突撃しろなどとは一言も言っていない。

 ミヤビのとった戦術は『自分に反目する院に手練れを一人送り込んでの時間稼ぎ』などの小癪なものではなく、もっと単純な『二正面作戦』のつもりであったのだ。ただ、指揮官に選出した手練れが一人だけでさっさと院に行ってしまったという事故が起こっていたにすぎない。


 そもそも、サルタも認識している通り、現天女のミヤビがみことのりを発すれば、外部からの戦力がミヤビ派としてここに集まってくる。

 なのでミヤビには策を弄する必要がない。単純な二正面作戦で反乱を起こした院を叩き潰せるぐらいの戦力を保有しているのだ。

 ……ただ、その戦力を集めるには時間がかかるうえ、『総本山で謀反を起こされました』と発表する必要がある。だから、最終手段と位置付けている。それだけのことなのだ。


 そういった政治的な事情も鑑みた上で、サルタは『ミヤビが援軍を外に要請する前に叩き潰す』といった奇襲作戦をとっていたわけだが。


(死ににくい手練れを一人送り込んでの時間稼ぎということは、とっくに応援の要請はしている、と見た方がよさそうですね。……相変わらず、即断即決。まるで──まるで、天に導かれているようではないですか)


 勘違いだが、自然な論理的帰結でもあった。


 だから、サルタは、


「ツブタツ。あの剣士を留め置きなさい」


 必殺の人材──


 アワサクを懐刀とするならば、ツブタツは含み針。

 ぎりぎりの時まで存在を隠し、ミヤビの視線が逸れたところでプッと吹き出し目を潰すために隠しておいた者。


 それを、呼び寄せた。


 声も音もなく現れたツブタツは、純白の巫女装束をまとった、地虫ではなく天女教側の人材である。

 ただし教団内での評価は『秘書』であろう。サルタについて雑事をまとめたり、予定の管理をするための人材。立場はあるが存在感はなく、当然ながら『強い』という評価もなかった。

 今もまた一般兵に混じって戦っており、さして目立つ活躍をしていたわけではないが……


 この目立たない、影に溶け込むような存在。


 サルタの命を受け、手にしていた槍を振りかぶり、投げる。


 豪速。


 ボッと空気を貫いて飛ぶ槍は、千尋を目指して穂先を進ませる。

 その間に立っていた三名の巫女が貫かれて大穴を開け、それでもなお勢いを失わぬまま、千尋の背に迫り……


「ぬ、ぅ!?」


 背に目があるかごとき対応。

 真後ろ、間合いのはるか外から超速度で迫る投げ槍を見ずにかわす。


 もとより千尋とこの世界の女との能力差は、『見てからかわす』ことを許さない。

 だからこそ、今の一撃も、すでに感知済みであった、が……


(予想の倍は速い! そして……)


 横へ小さく跳んで避けざま、振り返る。

 すると視界に映ったのは、素手のまま、拳を振りかぶり、跳びながら千尋へ殴りかかる巫女──ツブタツの姿。


 前へ進むと見せかけ後ろに下がって回避する。


 空から打ち下ろすようなツブタツの拳は千尋のいた地面へ突き刺さって蜘蛛の巣状のヒビを入れ、周囲を揺らした。


「剛力!」

「……」


 極度に無口な女、ツブタツは、閉じているようにさえ見える目で千尋を捉えつつ、巫女装束の袖をやぶき、腕を肩から露出させた。

 衣服に隠されたその腕、太く、脂肪のたぐいが一切ない。

 筋力に神力を乗せて殴りかかる、剛力の格闘者。

 それこそが普段は地味で目立たないツブタツという『秘書』の、戦士としての姿であった。


 ツブタツの背後で、サルタが、千尋に背を向けた。


 千尋は追わない。

 ……追えない。


「……いやはや、見事よ。手練れには目をつけておったが、そなたのことはわからなんだ。よくここまでその剛力を隠しおおせたものだ。……名を聞いても?」

「ツブタツ」

「……サルタの腹心というのは、無口ばかりなのか?」

「仕事の最中に無駄に声を発するのはよろしくないものと認識してございますゆえ」

「そういう者かァ。なるほど。──相手にとって不足なし」


 千尋が目標をツブタツに変える。


 サルタの背が遠ざかっていく、が……


(見事な用兵よ。それに──俺を『敵』として見てはくれぬか。で、あれば)


 千尋は笑う。


「ツブタツ、そなたを斬って、サルタに『敵』とみなしてもらうとしよう」


 かすかに、杞憂もあるけれど。


(ミヤビ殿、すまんな。サルタはどうやら、そっちへ行ってしまったようだ。まぁ……代わりに、ツブタツとやつの手勢、一人残らず斬ってから行くのでな。しばらく持ちこたえてくれ)


 それは千尋にとって、『杞憂』なのだ。


 ミヤビの強さはともに戦ったので知っている。

 戦術、集団戦、守るものがある戦い──これのやり方も、知らないわけではない。


 そうして今は、『目の前の者どもを斬る』ことに専念すべきと判断した。


 ゆえに、


「さぁ──人斬りが参るぞ!」


 千尋は、雑念を締め出して剣を振るう。

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