「ミヤビ、あなたの治世は、血が流れすぎます」
サルタの言葉。
ミヤビは思わず、鼻で笑ってしまった。
『血が流れすぎます』。
その『血が流れる』原因を作った女が、いったいどの口で、と思ってしまうのだ。
まったくもって正しい感想だった。
『現在起こっていること』の前後の関係を見て、因果を見て、たとえば歴史家が後世に、資料など見ながら机の上で論じるのであれば、誰もがミヤビに同意し、サルタの厚顔無恥な発言を嘲笑するだろう。
だが、ここは、『未来の机上』ではなく、『現在の戦場』なのだった。
落ち着いて俯瞰すれば『当然』と思うようなことが、現場・当事者ではわからないということはままある。
しかも、ミヤビは情報を集められる立場である。
……そう、サルタが言葉を向けている相手がミヤビならば、失笑を誘って終わりなのだ。
だが……
ここにいる男性たちは、サルタが今回の事件の黒幕であることも、目の前にいる、自分たちを襲っていた暗殺者が、サルタの手の者であることも知らない。
さらに言えば、サルタという名前ぐらいは聞き覚えがあろうとも、サルタがどのような容姿をしているかは知らない。
……もっと言ってしまえば。
「ミヤビ、あなたは力なき者の流血を鼻で笑うのですね」
「そんなわけはないでしょう」
「そのような態度が、より激しい抵抗を誘ったのです。……話し合おうと思えば、みな、理解を示します。
演出能力。
『ただ、言葉を交わす』ということに懸ける下準備が、サルタとミヤビでは違いすぎた。
敵からの攻撃が止まっている。
ミヤビからすれば、サルタの登場と同時に相手の攻撃が止まるのは、当然のことだ。
何せこの暗殺者どもを放ったのは明らかにサルタであり、そのサルタ、すなわちボスが話し合おうというふうに出てきたのだから、これの邪魔をしないのは、部下として当然であろう。
だがしかし、サルタが暗殺者どもの親玉だと知らず、そもそもミヤビに宣戦布告をした者とも知らない者が、この光景を見ればどう思うか?
『敵が道をゆずって攻撃が止まったんだから、敵のボスが出てきたんだな』と気付く?
気付く者はもちろんいるだろう。
だが、ここは戦場であり現場であり、サルタはこの瞬間のためにも下準備を重ね、演出プランを練り……
もとより、ついつい目を惹くほど、聖性のある雰囲気を持つ、登場しただけで無視できなくなるほど存在感のある少女である。
その少女が苦し気な表情を作り、声に苦悶を帯びて、ミヤビに対して何やら必死の訴えをするのだ。
空気を
先ほどまでの争いはいずこかへ消え、あたりは水を打ったような静けさに包まれていた。
だからこそよくわかる。
視線が、ミヤビを責めていた。
あるいは、不審がっていた。
(前後関係と、登場の様子と、暗殺者どもの反応を見れば、この戦いを仕掛け、我々を襲い、大奥を襲撃し、あのムチ使いの天使──サクヤの上にいたのは、目の前のサルタだと誰でもわかるはず。どう考えても、こちらに義があり、あちらが乱を起こしていることは、理解できるはず)
天女教分裂から始まり、大奥制圧からの奪還、さらに暗殺者の襲撃。
直前にミヤビが『味方』を斬り捨てたのも雰囲気作りによく効いていた。『ミヤビを殺す』という意思を明確にして斬りかかってきたのだから、これを斬り捨てるのは当然だ。あとから冷静に考えればミヤビに非がないことは誰にでもわかる。
ただこの場に──
否、この世界に。あるいは、どの世界にも。現場、戦場、それも唐突に始まった、完全に安泰と思われる場所で巻き起こった戦いの中で、次々目まぐるしく変わる状況に揉まれ、命の危機にさらされ続け、とにかく目の前の出来事に対応し続けるしかないという状況で……
物事を正確に判断し冷静に考察するなんていうことができる者は、多くない。
では、そういった時、人は何をもとにして『敵』『味方』を判別するのか?
それは、『快・不快』である。
「サルタ、お前の言葉は事実誤認をあえて起こそうとしています。そのような戯言に騙されるような者は、男性にだっていません」
「ミヤビ、話を聞いてください。わたくしは、ただ、争いを止めたいだけなのです」
「お前が始めた争いでしょう。お前が投降するならば、いますぐ止まります」
「そうではないのです。わたくしは、みなの無事を保証してほしいのです」
「お前とその協力者の無事なんか保証できるわけがないでしょう。普通に考えれば理解は可能だと思いますが」
「争いを続けたくない。その気持ちをどうしてわかってくれないのですか」
話が通じないにもほどがある──というのは、ミヤビの視点でのこと。
……周囲にとっては、ミヤビのほうが、話の通じないわからずやに見えるのだ。
『必死に争いを止めたいと訴える、儚げな女の子』を、『さっき味方を斬った、不愛想な女』がとりつく島もなく冷たくあしらっているように見えるのだ。
それは、サルタが
ミヤビは論理を気にする。理非を気にし、前後関係と総括的な情報を気にするし……
その政治的な急転換からも明らかな通り、『間違い』を放置できない、幼い潔癖さがある。
だから間違っているものに、間違っているとわかりながら付き合うことができない。
結果、わざと間違ったことを言い続けるサルタの言葉を、否定ばかりしてしまう。
馬鹿馬鹿しい話だが、内容がなんであれ、否定的なことを口にする者の心証というのは悪くなる。
正しいか正しくないかなんていうものが問われるのは、その場の全員が『そのこと』について多くの情報を持ち、高い関心を持ち、冷静に判断し『正しい結論』を出そうと必死に頭を悩ませる状況になって、初めてだ。
そのためには全員の目的を一丸とする必要がある。
この場は、そうではない。
生き残る。
この状況から一刻も早く逃れる。
身の安全を実感する。
サルタを倒す。
この政治的混乱を終わらせる。
ミヤビを生かす。
サルタを生かす。
金のため。
将来のポストのため。
教義のため。
……目的がばらばら、熱意がばらばら。
認識もばらばら。理解している事実もばらばら。
こういう状況において、正義になるのは、『正しい者』ではない。
『印象のいい者』である。
そして、ミヤビの印象は悪かった。
本人はよくしようとさえ思っていない。正しいこと。これのみを突き詰めている。幼い潔癖さにおいて、正しさに傾倒している。
サルタは印象しかなかった。
だが、その印象が飛びぬけていた。生まれつき持った雰囲気に加え、『ただ、ミヤビの印象を悪くするためだけ』に練られた戦術。整えられた場。
……だが、たかが印象。
それも戦闘においては無力な男性からの印象が上がるだけ。ミヤビのそばに仕える巫女たちが裏切るというほどではない。
それはミヤビも理解している。
……ミヤビは、
(……こいつ。わたくしの『未来』を狙い撃ちにしていますね)
理解はしたが、理解が遅れたと言わざるを得ない。
そもそもミヤビの政治的方針は『男性へのより強い庇護』をその根幹に置いている。
つまりミヤビの政治の成功は、男性が守られているか──
生存率、あるいは
だがここで、サルタに対して同情するような雰囲気が高まってしまえば、これを斬ると、男性からの印象が挽回できない。
少なくともミヤビは、そこから『印象』を挽回する方法を知らない。
(正しくない。何も正しくない。未来を見据えていない。己の行為がこの先に何を成し、成したことにより誰かが守られるとか、そういうことをまったく考えていない……理論展開とも呼びたくない、戯言)
ミヤビは怒りを覚える。
だが、理解もしてしまうのだ。
『正しさ』に最も効くのは、『気持ちのいい戯言』なのだと。
サルタの『戯言』が続く。
嘘まみれ。恥知らず。整合性などまったくない。
だが、語るサルタはどこまでも神聖で、この場にいる全員がつい、その発言を待ち、声に聞き入ってしまう雰囲気があった。
「今回の乱の原因、その答えを、わたくしが示しましょう」
複雑な要因で起こったものだ。
というか、もっとも単純明快な答えを出すならば、『サルタが起こしたから起こった』。これになる。
しかし、ミヤビは確かに、自分の政治が急進的であったのも認めている。
……認めてしまっているからこそ、反応が遅れる。
ミヤビはようやく、認識した。
これは、言葉を使った斬り合いであると。
遅れれば、斬り込まれる。
「ミヤビの自作自演です」
そんなわけがない。
鼻で笑ってしまうような大嘘だ。
考えるまでもない。誰でもわかる。
……誰もが『未来の視点で、机上にいるがごとく、常に頭を巡らせることができれば』わかる。
『それ』が、多くの者にはできない。
「そもそも、この天女教はミヤビの膝元。大量の兵がおり、当然ながらすべてが天女たるミヤビに従います。だというのに、乱が起きた。これは不自然だと思いませんか?」
「お前がお前の院でこそこそと何かをしていたのでしょう」
正しい情報をつかんでいない。
他の家の院について、その内部に介入することができないから、情報も集められない。
だからミヤビは『自分が正確に把握している範囲』で応じてしまう。
サルタは堂々と嘘をつく。知らないこと、存在しない事実を作る。
「そもそも、直前に
「あれはわたくしの命じたことではありません」
「では、コヤネはなぜああまで大胆な行動を?」
「わたくしの知るところではありません」
「答えは明白です。ミヤビは乱が起きたとし、その下手人を『サルタ』と『オオミヤ』だと決めつけ、権力の独占を狙っていたのです」
「そんなわけはないでしょう、そもそも、サルタもオオミヤも、権力とかかわらないようになっています。わたくしが独占を狙う必要はありません」
「しかしあなたの急進的な改革で総本山どころか天女教そのものが混乱し、あなたの立場が危うくなっていたのは事実。またあなたは気に入らない者は、天使であろうとも斬り捨てる。先の
「あれは天使たる品格がなかった。ふさわしくない者に罪を償わせただけです」
「男の独占に始まり、自分の派閥ではない天使を斬り捨て、さらに他の『天女の子孫』までも殺そうとした。ミヤビ、あなたの苛烈な動きはついに、行き着くところまで行ってしまったのですね」
話にならない。
会話ではないのだ。相手は主張をしているだけ。正しくないことなんか大前提で、他の者からの『正しい』という評価を集めに来ているだけ。
理を紐解けばわかるはずだ。サルタはまったく正しくない。主観に基づいた歪曲と脚色まみれの、事実誤認を誘導させるだけの言葉運び。
だが、効いている。
この場の全員、ミヤビ以外の者に効いている。ミヤビに仕える巫女たちさえ、だんだん、ミヤビを見る目が疑わしくなっている。
こんなことで。
(こんな、嘘まみれのことで──こんな、正しくない者が、こんなにも、)
──強い。
ミヤビは、抵抗する手段を思いつくことができない。
そんなことを思っている場合ではないのはわかっているが、心底くだらないと思ってしまうのだ。こうまで嘘まみれの言葉に、その効果を認めながらあきれてしまっている。こんな馬鹿の大嘘を信じる周囲に心底から失望してしまっている。
この者たちの評価などいらないと、心の底が判断してしまっている。
……だがそれは、権力の頂点に立つ者が抱いてはならない考えだと、頭ではわかる。
わかるのに。……この分野で初戦の相手が、百戦錬磨の戦巧者サルタなのだ。
手も足も出ない。
「おい、お前」
……声さえ、出せない。
だから今の声は、ミヤビではなく、その背後から。
「黙って聞いてりゃなんかわけわかんないことをいっぱい言いやがって」
歩み出てくるのは──
そして、
「あの、ミヤビさん、難しく考えることはないと思いますよ」
……男は、弱い。
けれど、男の声を、女は、つい、聞いてしまう。
男は、政治にかかわれない。
それは、男に『勉学』というものが許されていないからだ。
……だが。
そもそも男に『勉学』を許さなかった過去の女たちは、『知っていた』のだろう。
もしも、男が学び、政治に参加してしまえば。
その、『印象』と『口』の戦場は──
「兄さんなら、たぶん、こう言います。『とりあえず斬ってから考えろ』って。僕は、ミヤビさんが正しいって、わかってますから」
──男の独壇場であると。
「そうだそうだ。だいたいさあ、なんなんだよアイツ? 急に出て来てぺちゃくちゃと。まったく、女ってのは段取りが悪いよなぁ?」
雄一郎が顎を上げ、サルタを嘲笑する。
それから、ミヤビを見下ろし、傲慢に言い放った。
「いいからやれよ。あんなわけわかんない女に騙されるほど、僕らは馬鹿じゃない。今まで僕らを守ってきたのは、お前だろ。なぁ! 僕らは馬鹿じゃないよなぁ!?」
雄一郎が後ろへ呼びかける。
すると、男たちが口々に同意を示す。
「そ、そうだそうだ!」とか「あ、ああ、その通りだとも!」とか、微妙に安心できない同意の仕方ではあったが……
「──印象、ですか。これが『印象』の力」
やはり自分にはできないことだ、とミヤビは思った。
だから、できる者に任せよう。
そもそも、多くの専門性を持った女でチームを組む発想は、そういうことをカバーするためだった。
自分でやろうとしたことを忘れて、なんでも一人でやろうとしてしまった。
できることをする。
自分ができること、それは。
「わたくしは、わたくしの力を示しましょう。──サルタ、お前をここで、殺す」
その絶大な暴力を振るうのみ。
サルタは……
あくまでも、にっこりと、微笑んで──
部下に差し出された西洋剣を手にした。
「あなたが力で抵抗するなら、応じるのみです」
「まずはおためごかししか出てこないその口を斬り飛ばしましょう」
ミヤビの薙刀に光の
サルタの白い目がほのかに輝く。
天女の血筋の最新鋭が二人。
神力の限りを尽くし──
今、雌雄を決する。