オオミヤ院。
白熱するサルタ院、そして、ミヤビとサルタの戦いが始まりつつある大奥。それらの熱狂は音となって周囲に響き渡っていた。
だがこのオオミヤ院の中は、それら熱狂からはどこか遠い。
がらんとした白亜の建物の中に踏み入った
(ミヤビ様に対する革命行為は、今が鉄火場のはず、だが)
オオミヤ院は白亜の宮殿であり、入ってすぐ大きな回廊があって、それが真っ直ぐに奥まで続いている。
乖離はミヤビ院直下の天使という扱いなので、『他の院へは不介入』という決まりに従い、ミヤビ院以外には入ったことがなかった。
「……不思議な空気だな」
オオミヤ院。
そこに座すは、初代天女に三人いた子の一人、『
それぞれの院にはなんとなく空気感があるが、オオミヤ院はまさしく宗教的というのか、寺院的というのか……
目には見えない聖なるモノの視線がこちらに注がれているような気がして。
「居心地が悪い」
そう、つぶやいた瞬間──
乖離は、己の体が動くのを知覚した。
幾度の実戦を潜り抜けた武芸者は、唐突に発生した危機に際し、知覚するよりも先に肉体が動くことがある。
乖離が己の動きをあとから認識した今の現象は、そういうものであった。
自分が何を避けたのかを見る。
それは、一筋の光だった。
白亜の長い長い廊下に溶け込むような、白い光の矢、あるいは槍。
奥から伸びてきたそれが、乖離の頭部があった場所を貫いていた。
「『光の権能』──」
紛れもなく、初代天女の血脈の者の攻撃。
乖離が声を発したその瞬間、再び、長い回廊の奥から、真っ白な光の矢が飛んでくる。
見てから回避は不可能だった。危機感に体を任せて、直感のみで避ける。
避けながら、
「──相手にとって不足なし」
進む。
長い廊下。奥が見えないほどの長さ。
どこからか感じる視線。
周囲に感じられない気配。
これはつまり、
(最奥から狙撃するのにうってつけの状況、というわけだな!)
こちらは長刀とはいえここまでの遠距離には対応できない。
こちらからは相手が見えないが、相手から視線が注がれているのを感じる。なんらかの方法でこちらの視界を封じているか、姿を隠しているのだろう。
周囲に気配を感じないということは、どれだけ撃っても味方に誤射する危険性がないということだ。
「面白い!」
乖離はこの
進む。
光線が放たれる。
通路の奥は白く霞んで見えないが、建物の大きさは外観を見て知っている。
全速力で真っ直ぐ走ればほんの十秒もせず最奥までたどり着くはず。
だが、奥から放たれる光線が、『真っ直ぐ進む』ことに集中させてくれない。
光線は速い。速い、というか、カンに任せないと回避ができない。『見えている』ということは『たどり着いている』ということ。それほどの速度。
見てから避けては間に合わない速度との、戦い。
(ちょうど、男と女との能力差で戦えば、このぐらいの感じになるか? なぁ、
口元に浮かぶ笑みを抑えきれない。
絶望的だ。
肌で感じる光線の威力、乖離が
そんなものが見てからではかわせない速度で、しかも、さしたる間もなく次々と放たれる。
光線そのものの速度は弓自慢の女が放った矢などと比べ物にならないぐらい速いし……
連射速度もまた、弓などとは比較にならないほど早い。
それを、危機察知能力に任せて、避けながら進む。
進む速度はゆるめない。全速力で接近する。
白くけぶったあたりに入る。まばゆい。向こう側が見えなかったのは、まばゆいほどの光によってだったらしい。
目を閉じる。
光線の気配を察して、避ける。
(……カン、ではないな。だんだん、わかってきた)
危機察知能力に任せながら、相手の攻撃を頭で分析する。
クセがある。連射の
頭を狙う、下腹部を狙う、また頭を狙う、そしてまた下腹部を狙う。胴体という広い的を狙うのではなく、何か、部位を指定して命中させることにこだわりがあるのだろう。だが、接近していくにつれ、狙いが下腹部あたりに逸れている。これは、『逸れている』のだ。狙っているのではない。
(指先から放っているのか)
光線をものともせずに突っ込んでくる乖離に動揺し、指先がブレている。
(厄介だな)
狙いがわかるような撃ち方よりも、よほど厄介。
だが、問題ない。瞼を閉じても突き刺すような光の中を突き進む。
もはや、相手がまともに狙える限り、当たることはなかった。
発射のリズムをつかんでしまえば、体を狙って放たれる光線など、発射のタイミングに合わせて横へ体一つ分ずれれば当たるわけもない。
乖離が横へ避けた──
その時。
どん。
体が、壁にぶつかる。
目を閉じていたことの弊害。この回廊がだんだん狭まっているという視覚情報を得られず──
(来る)
殺意が迫る。
歓喜交じりの殺意だ。安堵も混じっている。
意外なところまで接近した女に、ようやく当たる。当てて、終わり。そういう意思が漏れている。そういう吐息が聞こえるほど、もう、相手との距離が近い。
壁にぶつかったせいでかわしきれない。
身をよじる。
脇腹に熱を覚える。
(内臓は無事。出血もない。当たった瞬間、焼けたな)
とてつもない熱である。
だが前進。
速度にゆるみも迷いもない。
最奥から驚愕の気配が伝わる。
光線──
この貫通力であるから、後方にある大奥などは、そこまで届くなら大変なことになっているであろう。
だが、恐らくこの光線の射程は、この建物の中なのだ。
この建物は、『オオミヤ』の光の神力の射程距離に合わせて作られ、こうして細長い回廊に誘い込んで不埒者を天女の神力で焼き貫き殺す。そういう設計なのだろう。
必殺の設計。
つまり、
(この先、恐らく、横へ避けることはできない)
最初は広く、のちに狭く、作られているはずだ。
どうしようもなく居住空間を兼ねる建物だから、広い部分はあろう。
だが、こういう、『狼藉者が侵入してきた時に対応するための場所』は、人一人が入れる狭さでいいはずだ。
つまり、刀の距離に迫る前に、一人分しかない狭さの中に追い込まれる。
回避しようがない。
だから、やることは一つ。
「ふぅぅぅぅ……」
乖離は走りながら息を吐き、刀を構えた。
周囲の空気に気を巡らせる。
案の定、狭い。天上も、低い。
長刀・乖離を振りぬく隙間はない。
建物は白い石でできている。硬い石だ。天女の手による大奥ほどの硬度ではなかろうが、長い間天女の血筋の住居として使われ続けた院の素材。いかほどの硬度であろうか。
刀を、壁や天井に触れぬよう、肩に担ぐ。
そして──
光線が来る、その時。
「シッ!」
振り下ろす。
まずは天井に刀がぶつかる感触。
構わない。圧し斬る。
目論見通り、何か、物体ではないものに刃が触れる。
光線だ。
肉体を焼きながら貫く光線だ。
おそらく鋼で盾を作っても、きっとそれごと貫くだろう威力だ。
だが──
(十子、お前は自覚していないかもしれないが──)
光線に重さはないはずだった。
だが、わずかに重みを感じる。
乖離はその感触を、
(──お前は、最初からすごい女なんだ。すごい刀を打つ、女なんだ)
斬った。
光線を断つ。
その先で、石のような感触を断ち……
さらにその『石のような感触』の向こうにある、人体を、断った。
……まぶたを突き刺す明るさが消える。
目を開ければ、そこには……
銃眼があったとおぼしき石の扉が真っ二つになり。
その先で、黒い髪の少女が倒れていた。
少女は肩から腰まで断たれているが、まだ生きている。
少女の目が、乖離を見て、
「…………ぶ、れい、な……わた、くし、は……おお、みや……」
「これだけ斬り込まれてまだ息があるのか。いや……」
「てんにょ、さま、の……」
「……硬いな」
一応は天女教に仕える身である自覚がある。
だから、何か、もっといい表現を探そうと思った。
……しかし、見つからなかった。
死ぬところであった。間違いなく人生で一番追い詰められた。
今、ここにいられるのは、最初の一撃に体が勝手に反応してくれたという偶然に端を発している。
その後の攻防も、いつ死ぬかもしれない、一方的に相手有利なものであった。
危機的状況だった。間違いなく。
変わった趣向の戦いだった。興味深かった。
だが、怖くはなかった。
死の気配を真後ろに感じながらも、それが自分に追いつけないことを確信していた。
相手が強大な神力の持ち主だとわかっていたのに、それを全然、脅威と思わなかった。
硬い。面倒くさい。
終わってみれば、そんな感想しか出てこなかった。
「……申し訳ない。天女様に連なるお方を斬ったのだから、もう少し気を使った言葉を差し上げたかったのだが……うん、硬かったな。それだけだ」
乖離が剣を振る。
天女の残した三人の子の血筋が一人、オオミヤの首が断たれた。
「……ただ強いだけだった。ただ神力があるだけだった。圧倒的な距離と攻撃力があったが、それだけで……死ぬ予感は、全然しなかった。私が死ぬ予感を……恐怖を覚えたのは……」
千尋。
あの、神力のない男との立ち合い。
……あれを超える恐怖はあの時点までに一度もなく、あれからも、一度もない。
天女の血筋さえも、あの男の『何をしてくるかわからない感じ』には、まったく及ばない。
「…………私と戦うために、刀を仕上げてくれたんだな」
今ではない。
……今ではないと思う。今は、忙しい。よそごとに気をとられる、ウズメ大陸全土を巻き込みかねない重大な事件の最中だ。
千尋も気がそぞろで、立ち会うどころではなかろうから、今ではない、と思うが。
乖離は腹をさすった。
あの時打たれた痛みなど、とっくにない。
だが、うずく。
どうしようもなく──うずく。
「……お前と斬り合いたいな、千尋。お前もそう想ってくれているといいのだが」
この気持ちはなんだろう、と乖離は思った。
そして、かつて読んだ書物の中から、似たものを見つけ、笑ってしまう。
この気持ちは。
……この気持ちは、まさしく。
恋する乙女のものに、違いなかった。