数日後。
いまだ天女教の内部には反乱の爪痕が深いのだが、これを隠蔽するためにも、天女たるミヤビは少しでも多くの事後処理を迅速に済ませねばならなかった。
「…………」
「天女様、拗ねておいでですね」
「そうですね。行きたかったんでしょうね」
「おかわいそうな天女様……」
「……お前たち、反乱を境にかなり気安くなりましたよね」
側近たる三人の巫女たちが聞えよがしにひそひそとささやくのを、ミヤビはじっとりとにらみつけた。
気安いのも仕方がないことではあろう。
ミヤビは少しでも早く、多くの事後処理を済ませねばならない──つまり、いちいち『我、天女』という感じで、儀礼を気にして、
そういった状況であるとはいえ、院の内部をうろうろするわけにもいかない。
なのでミヤビは、あの動乱の中で最後まで側近として戦った三人の『信頼できる者ども』をそばに置き、この者らには顔を常に見せ、直接言葉を交わすのを許し……
ようするに、距離が縮まったのだ。
それでも『天女』という尊いお方に対して気安すぎるようだが、不思議とミヤビは侮られているとは感じなかった。
そこにあるのは侮りでも見下しでもなく、なんというか……
天女様も近所のお嬢ちゃんだったんですね、みたいな。
……そういう、なんだろう、なんだろう。
「……ムカつく」
天女が怒りを表明した。
しかし、三人の側近ども、謝るどころか、
「わたくしどもは、天女様の気持ちを応援いたしますから」
「急いですべて終えて、追いかけられるようにいたしましょう」
「大丈夫です。すべてわかっております。わたくしどもは、天女様の味方ですよ」
「お前たち、わたくしのことを年下のお嬢ちゃんだと扱いすぎではないですか」
そこで女どもは優しい笑顔を浮かべた。
そこにある奇妙な温かさにミヤビはため息をつく。
「……まぁ、無駄話をする余力があるのはいいことです。もう少し仕事を回してあげましょう」
悲鳴の一つでもあげてくれれば笑ってやるのだが、女ども、袖まくりなどして「お任せください!」と応じるのみだ。
……この暖かさの正体。
ミヤビと千尋をくっつけようとしているというところに起因する。
女どもは、男に一種の憧れを持っているが……
子供から大人になりかけた少女の恋愛応援をする立場にも同様の憧れを持っている。
三人巫女はミヤビに千尋のあとを追わせてやりたいと思っていた。
何せ、ミヤビが千尋のことを好きなのは明らかだからだ。
……当人は否定するだろうが。
否定することがわかるからこそ、直接は言わないのだが。
だからこそ『変に温かい感じ』になっており……
「……ムカつく」
『塔』でのみ口癖みたいになっていた言葉が、ミヤビの口から自然とこぼれる。
けれど、この言葉を口にできる環境というのは──
以前よりも、ずっとずっと、居心地がいいのも事実だった。
本当に、ムカつく。
◆
「お、いよいよか」
ウズメ大陸からアンダイン大陸には船が出ている。
『定期船』と呼べるほどの頻度ではない。そして旅行用でもない。
ウズメ大陸とアンダイン大陸には国交がそもそもある。
ウズメ大陸が『舶来品』を輸入するのと同様に、ウズメ大陸からも特有のものを輸出しているのだ。
そして速い。千尋は知らない文明の産物なのだが、その速度、蒸気船とだいたい同じである。もちろん手漕ぎ船、ようするにガレー船の速度としては異常に決まっていた。
そのような船の甲板に立ち、海風を受けながら見つめる先──
アンダイン大陸。
さすがにここからだと詳しいことはわからないが、波間の向こうに浮かび上がる大陸はなんともウズメ大陸と趣が違う感じがして、否応なく、心が弾むような心地にさせられる。
見た感じでわかるのは、高い塔だろうか。
灯台ではない。灯台らしきものはもっと手前にあり、その奥に、灯台より高い石の塔が見える。
さすがに天女の作ったと言われているあの『塔』ほどではないにせよ……いや、あれを神の創造物と考えるならば、人の身で作り上げて比較対象がそれであるのは、すさまじいことだ。
「おえええええええ!」
その感動の背後からすさまじい声がする。
振り返れば、そこでは、船のへりに身を乗り出すようにして、吐いている
千尋は笑う。
「十子殿、船がダメか」
たずねてみるも、答える余裕はなさそうだった。
代わりに口を開くのは、
「昔読んだ書物によれば、我ら
相変わらず素肌に毛皮を羽織った女は、長い刀を抱きしめるように甲板に腰かけていた。
片目は鋭くアンダイン大陸を見ている。
……その先にいる、『
千尋は「そうか」とつぶやいてアンダイン大陸へ視線を戻し、
「相克というのは、五行相克のことか?」
「五行? いいや、四大元素相克だ」
「四大元素とは?」
「アンダイン大陸の考え方でな。世には精霊の力が満ちており、それは風、土、水、火の四属性であるということらしい。これら属性が相互に作用しあい、天候や、あるいは人の未来までも左右するとか」
「ふうむ?」
「そういった意味では十子は大丈夫か不安だな。アンダイン大陸でもっとも強いのは、精霊アンダインが司る水らしい。今からでもウズメ大陸に送り返すか?」
これはまったくの善意からの提案であった。
千尋も乖離と言葉を交わしてだんだんつかんでいるのだが、乖離、だいぶ天然というか、とぼけているというか、会話にコツがいる性格をしている。
十子の、これと幼馴染であった経験は、千尋との会話にも役立てられていることだろう。
「ふざ、けんな……」
そういうとぼけた発言に、さすがに十子が反論をする。
「おい、乖離ぃ、てめぇ……あたしを、追い返して、どうする、つもりだ……」
「いや、どうもしないが。つらそうなので帰った方がいいかと思っただけだ」
「てめぇは、そんなこと、心配する、前に……『銃』に勝つ方法でも、考えとき、やがれ……」
「勝つも何もそもそも負けていないが」
「逃げられてんじゃねぇか!」
「ああ、それは反省している。……次は、一刀で首を刎ねる」
その時に醸し出された殺気は、十子をして船酔いを忘れて背筋を伸ばしてしまうものであり……
千尋が笑顔を浮かべてしまうものであった。
その笑顔を見て十子が慌てて叫ぶ。
「お前ら、ここではやんなよ!? 船にはあたしも船員も乗ってんだからな!?」
「やらんが」
「やらんぞ」
「なんで息がそんなに合ってんだよてめぇらはよぉ!?」
そこで千尋と乖離が見つめ合い、同時に同じ方向に首をかしげた。
十子は「あああああもおおおおおお!」と叫ぶ。
「なんだかあたし、めちゃくちゃ、損な役回りにいる気がするんだが!」
これは人間の感情の機微や空気といったものにまつわるコメントなので、千尋も乖離も首をかしげるだけだった。
……アンダイン大陸が、近づいてくる。
人斬りを乗せて、船は進む──