アンダイン大陸、東の港、シルフィア。
海風が吹き、それを受けて粉挽小屋の風車が回る。
この港町は風と水のきらめきに満ちていた。街中には海からそのままつながった水路が張り巡らされており、石で造り上げられた街並みの中で陽光を照り返しながら揺れている。
水路には小舟があり、それはどうやら、広い街を素早く移動する手段であり、商店でもあるらしい。海から直接運ばれた新鮮な魚介を人々が買い付けている光景が見えた。
これを見て、港に降り立った
「いやァ……怖れを知らぬ街よなあ……」
この街に張り巡らされている水路は、海から直接つながっている。
……つまり、波だの、海の水位だのに直接的な影響を受けるのだ。
その水路を挟むようにして、さして『高度がある』とも言えないような位置に商店やら、民家やらが存在するのだ。
嵐、高波、一発であらゆる物が沈む。
これはもう、『怖れを知らぬ街』と言うよりほかになかった。
だが……
「ふふん、ここは『アンダイン大陸』だからね!」
自慢げに胸を反らしながら、千尋の言葉に異を唱える者がいる。
千尋らアンダイン大陸に降り立った者らが視線を向けた先にいたのは、奇妙な風体の者だった。
服装はウズメ大陸のもの──いわゆる和服──とは違う。シャツに短いスカート、それから腰には革のコルセットという、言ってしまえば『洋風』の服装だ。
そして何よりウズメ大陸の者からすれば奇異に映るのは、その者の耳が『頭の上』についていることだろう。
アンダイン大陸──
精霊なるものが存在し、それが女に力を与えていると言われている大陸。
この大陸の人種は、大陸外からは『獣人』などと呼ばれることもある。
若く美しい女に、獣の耳や尻尾などを備えた存在。それこそが、このアンダイン大陸で一般的な人種なのだ。
自慢げに語るその猫耳の者、薄い胸を反らし、低い身長を伸ばすようにしながら、語る。
「水の精霊『アンダイン』の力が隅々まで行き渡ったこの大陸で、人々が水の災いに怯えることなんかあり得ないのよ!」
この人物──
千尋は、
「……誰だ?」
乖離は、
「知らんな。知っているか?」
十子は、頭を抱える。
「あたしが知るわけねぇだろ」
なんと話しかけられた三人にとって、未知の人物なのである。
この青毛の猫耳娘、当たり前のように目の前に来て、当たり前のように千尋のつぶやきを拾ったのだが、なんで当たり前のようにそこにいて会話に参加してきたのかは、会話に混ざられた三人、誰も知らない。
すると猫耳娘が「ちょっと!」と怒ったように両手に腰を当てて身を屈める。
「なんで話が通ってないの!? アンタたち、ウズメ大陸から来たやつらでしょ!?」
「まぁ、人種を見れば一目瞭然と思うが」
千尋が困った顔で応じる。
猫耳娘はため息をつく。
「ミヤビの店の連中でしょ!?」
「……店?」
この千尋の疑問には、乖離が小声で応じた。
「ミヤビ様が外遊なさる時には、
「……ミヤビ殿もたいがい、行動力の高い御仁よな」
「見分を広げ、己を鍛えるのはいいことだ。引き換えに足元の管理がおろそかではあったが」
「そこは引き換えてはいかんだろうに」
「お若いからな」
「……まぁ、事情はわかった」
ようするにこの猫耳娘、身分を偽った天女ミヤビとの知り合いであり、急ぎで千尋らのガイド役を頼まれてここにいる──ということらしい。
千尋らが旅立つと決めてから実際にアンダイン大陸に渡るまではかなり早かったので、本当に急ぎで用意してくれた人材らしい。
まぁ何一つ話が通っていないので詐欺の可能性もあるが──
(もしも暗がりに連れ込まれて暴力的な集団に取り囲まれたりしたら、その時はその時。向こうから仕掛けたケンカに対応するのは、仕方ないことではあろう)
別にトラブルを起こしに来たわけではないので、千尋は『
だが降りかかる火の粉は払うべきだと思っているし、受けた恩には報いるべきだとも思っているので──そういう理由で何かをしてしまうことは、あるだろう。
(それにこの大陸の者は、『精霊の力』とやらを利用して『魔法』なる技術を用いるらしい。……いやはや。どのような技法なのか。楽しみではない、と言えば嘘になる)
というわけで、仮に詐欺だったとしても、とりあえず乗って損はないと判断する。
「ミヤビ殿の、ご友人かな? 年齢も近い様子だが」
「そうよ!」
「ミヤビ殿に友人などいたのか」
「やっぱりね、特別な感性を持つ者同士は惹かれ合うってわけ」
「あぁ……」
「というわけで、ミヤビとの縁で、仕方なく、このキトゥン様がアンタたちの道案内をしてやるわ。この港町のことならなんでもアタシに聞きなさい!」
「なるほど」
さすがに『商人』探しにずっと同行してくれるわけではないらしい。
詳しい事情も知らない様子だし、そもそも、ミヤビがウズメ大陸最高権力者であることもわかっていない様子だ。
『どこまでをしゃべっていいかのライン』が今の会話で判明したので目配せをすれば、乖離も十子もうなずいた。当然のように二人とも察した様子だ。
千尋は腕を組む。
「それにしても、ミヤビ殿からは何も聞いておらんので驚いたぞ」
「なんかアンタたち、急な出張だったんでしょ?」
「出張……まあ、出張か」
「ミヤビからの手紙がアタシのところに届いたの、昨日なのよ!? 返事も出してないわ! ミヤビって確定事項以外しゃべらないやつでしょ? だからなんにも言ってないんじゃないの?」
「なんだ、そんなに急だったのに馳せ参じてくれたのか」
「……ハセサン……何?」
「……そういえば、言葉は通じるが、言い回しや単語などは微妙に異なるのだな」
「ええと、つまり『急だったのに来てくれてありがとう』っていうこと?」
「そうだ」
「ふふん、それはそうでしょう。友情には何をおいても応えるものよ! 『淑女に仕えよ』。それが
この小柄で体つきの薄い猫耳娘、言葉が強く言い回しに多少の難はあるものの、誠実ではあるのだろう。
あのミヤビが千尋らの案内を頼む理由というのは、確かにある様子だった。
「確かにアンダイン大陸については不案内なので助かる。そうさなぁ、まずは……」
この大陸で用いられている『精霊の力』の詳しいところでも聞こうか、と千尋は思った。
だが、その時──気になることが、できてしまった。
「……アレはなんだ?」
「アレ?」
青毛の猫耳をぴくぴくさせ、キトゥンが首をかしげる。
千尋があごをしゃくって方向を示すと、そこには……
昼の日のきらめきを受けて輝く水路。
そこに浮かぶ手漕ぎの、四、五人乗りの小舟。
それが十隻も同じ場所に停まり……
その小舟から陸に降りた集団が、武器を手に手に、近隣の商店を襲撃していた。
キトゥンは五秒ほど沈黙してから、
「『
「水賊とはなんだ? この街の風物詩か?」
「あんなのが風物詩でたまるかー!」
ふしゃー、と耳と尻尾の毛を逆立てながら、キトゥンが叫ぶ。
(元気のいい御仁だ)
見ていて微笑ましくなるというか、耳と尻尾のせいかもしれないが、元気に動き回る猫を連想する。
「水賊っていうのはねぇ! ああやって水路を伝って来ては迷惑をかける悪いやつらよ! 最近増えてて街のみんなはすっごく迷惑してるんだから!」
「まぁ、普通に『賊』のようだしな」
「言葉通じてるんならニュアンスでわかったでしょ!? なんでいったん『風物詩か?』って挟んだの!?」
「いや、異郷なのでな。祭りの一種でああいうものがある可能性も」
「そんなわけないでしょ!? あんな乱暴な祭りあってたまるか! せいぜい青いトマトぶん投げたり石入れた雪玉ぶん投げたり、オールで殴り合ったりする程度よ!」
「それもだいぶ乱暴に聞こえるが」
「そんな程度で死ぬのなんか男ぐらいでしょ!? 見て! 連中が持ってるの! 刃物に──
「魔法杖とは?」
「魔法を使うための杖よ!」
「もう少し詳しく。まず、魔法とは……」
「今ァ!? 結構すぐそこで水賊暴れてるのに、今、ここで!? 安全な場所に移動してからとか思わない!?」
「しかし、すでにこちらに向かって来ているようだが」
「大声で叫ぶから目立ったんでしょ!?」
「大声を出したのは主にキトゥン殿だと思うぞ」
「そ、それはそうだけど……なんか納得いかない!」
キトゥンが千尋に困らされている姿を見て、十子が腕を組んで『わかるよ』という感じでうなずいていた。
一方乖離は背に負うように納めた刀の柄を掴んでいる。
「この距離では仕方ないな。『対応』しよう」
千尋も腰の刀に手をかける。
「そうさなァ。この距離では仕方ない」
「魔法というのは書物で読んだことはあるが、実際に見るのは初めてになるかな」
「どうにも文脈の雰囲気からして、魔法杖持ちというのは一段以上格上の手練れらしい」
「一人しかいないな」
「そうだな」
「どちらがやる?」
「早い者勝ちでよかろう」
「なんで戦うつもりでいるの!? バカ!!!」
キトゥンが叫ぶ。
十子が『だよな』という様子でうなずいている。
「見なさい! いるから! 警備のための領主兵が! こっちに来てた連中もきちんと抑えてくれたから!」
「ふぅむ、ではお手並みを拝見するとするか」
「何言ってんの!? この隙に逃げるべきでしょ!?」
「キトゥン殿は戦わんのか? 騎士道とか言っていたので戦う者かと」
「そりゃ女だから戦うために鍛えてるけど! 専門家じゃないわよ!? 何を期待してんの!?」
キトゥンが楽しそうに騒ぐを横目に見つつ、千尋は柄にかけた手を離して、腕を組む。
アンダイン大陸東の港街シルフィア。
水賊と警備兵との戦いが──
……女がその身に
世界に満ちる精霊の力を扱う女たちの住まうアンダイン大陸風の戦いが、始まろうとしていた。