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第160話 詠唱魔法

 港街シルフィア──


 ここは三大公爵家のうち一つ、シルフ家が治める、外交の拠点でもある街だ。


 警備は厳重なれど雰囲気は重苦しくなく、さりとてアンダイン大陸に流入してはまずい物を監視し、留めるためにきちんと目は光らせてある。

『観光客』と呼べるものはほとんど来ない。来る客と言えば貿易商やら外交官、あるいは『ほとんど観光客というものがいないご時世』でも来る、金か熱意、あるいはその両方を備えた者ばかり。

 それだけに『アンダイン大陸、東の顔』として、この港街の治安にはかなり気が割かれており、だからこそシルフ公爵家という多くの領地を治め、下位貴族に土地を貸し出したりもする広範囲の支配者、その領地の中心からは東寄りすぎるこの街に、シルフ公爵邸は存在する。


 そのシルフ公爵に直接指揮されるシルフィアの港街の警備を司る兵ども、『魔法使い』を五人も・・・含む精鋭たちだった。


 そのはず、なのに。


(鎮圧しきれないのだわ)


 シルフ公爵兵を率いる者、当代シルフ公ラヴィニア。


 このアンダイン大陸で生まれた者は、その身に獣の特徴を備える。

 シルフ家は代々、兎の特徴を備えた者が多く生まれた。

 当代シルフ公ラヴィニアもまた『白兎はくと公』の呼び名にふさわしい純白の髪に立派な長い耳、そしてふわふわとかわいらしい丸い尻尾のある、小柄な女性である。


 身軽であり小柄な兎はシルフの遣いとされている。

 当代シルフ公ラヴィニアはまさに典型的なシルフ家の者であり、成人してなお女の平均より頭一つと半分小さい小柄さながら、風にまつわる魔法を使う素養に秀で、魔法杖ワンドを持たせれば無双と言われる武威は大陸全土に響き渡る。


 そのシルフ公爵が直接、精鋭を率い、水賊の対応に当たっている。


 だというのに、


(倒しきれない。用兵が上手い。それに──敵の魔法杖持ちが、強い)


 質がいい。


 ……水賊というのは、長年、港街シルフィアを悩ます問題だった。

 街に水路が張り巡らされ、しかもこの水路は海につながっている。

 すると、海の向こう、発見されていない小島などを根城にした犯罪者どもが、水路を伝って街に来ては悪さをする。


 そういった水に乗って出てくる犯罪者を総じて『水賊』と呼び、これは、シルフィアの街が『海から引いた水路が街中に張り巡らされている』という都合から、シルフィアの歴史と不可分と言えるほど、長い付き合いの治安問題であった。


 しかし最近では海の哨戒網も広く綿密となり、水賊が潜むような小島の洗い出しも済んでいる。

 何より歴史の中でシルフ公爵が直接部隊を率いて水賊対策にあたるようになってからは、優れた風魔法の使い手であるシルフ公と、その直属の精鋭部隊によって、水賊どもは蹴散らされ続けてきた。


 アンダイン大陸に住まう四大精霊──アンダイン、ノーム、サラマンダー、そしてシルフ。

 それら精霊の加護を借りて戦うことができる、女。


 だがしかし、『どれだけ精霊に愛されるか』は血統にるのだ。

 まずは精霊に愛された者が、精霊の力を多く借りることができ、精霊へのお目通りが叶う。そこに加えて精霊との契約を代々積み重ね続け、『精霊との信頼関係』を築いた者がさらに多くの力を得ることができる。

 ようするに『精霊に愛された始祖が、精霊と出会って契約を交わし、それを代々引き継ぎ続けた』、『歴史的な名家』が最も強い。


 だからシルフ公と、それに仕える血統確かな精鋭たちは強い。

 もちろん個々人の才覚が強さと無関係ではないものの、当代シルフ公は、その力の優れたるところから、若くして公爵家当主に任じられた女性である。


 一方で水賊というのは食いつめた者などがなる犯罪者である。

 だから、確かな血筋の上に教育を受け訓練を積んだ公爵兵には敵わず、一蹴されるのみ──というのが、『本来、起こりうること』であった。


 だが……


 シルフ公ラヴィニアは、純白の魔法杖を握りしめ、目の前で起こっていることを観察した。


 ……自分が率いる、純白の装備を身に着けた公爵兵と、粗末な身なりにくたびれた装備だけを着けている水賊。

 互角なのだ。


 水路から降りて陸上で暴れまわる水賊ども、その動きは統制がとれ、その魔法出力は高い。

 こちらも集団戦の訓練を積んでいるし、個人も強力な者ばかり。だが、それでも、『守るべき街』というハンデを抱えつつ、互角。


 この、最近問題になっている『質のいい水賊』の出現について、ラヴィニアは舌打ちをしたい気持ちだった。

 それは『精鋭であるはずの自軍が相手を一蹴できないこと』に対する苛立ち……も、なくはないが。

 当代ラヴィニア公、その小柄で闊達な様子から子供扱いされることもあるが、理知的で視野の広い女性でもある。

 彼女が憂いているのは、『質の高い水賊』が生まれた背景についてであった。


(……やはり、当代アンダイン王の治世は、こういう者たちも生んでしまうのだわ)


 血統に優れたエリートであるシルフ公爵兵。

 これと互角の出力を誇る水賊、血統に優れた者である可能性が極めて高い。


 つまり、この苦戦の背景にあるのは、『貴族だった者が水賊に堕ちるしかない背景』であり……


 現在のアンダイン王は、多くの貴族を改易かいえきしている。

 そのせいで『堕ちた貴族』がこうして犯罪者となり、貴族であるからその戦術・個人出力にも優れていて、治安を乱す原因となっている。


(王宮に例の商人が入ってからというもの、アンダイン大陸の暮らしは乱れるばかり。……水賊を相手にこんなことは思いたくないけれど、同情もしてしまうのだわ。とはいえ……)


 シルフ公ラヴィニアは、赤い瞳で戦局を見極める。


 敵の魔法杖持ちは、パッと見た限りでは、一人。

 だが、アレはこの襲撃の指揮官ではない。


 指揮官のいる場所は──


「そこ!」


 うまく構成員に紛れながら指示を出す敵指揮官の位置を掴むと同時に、突撃。


 シルフ公ラヴィニアの装備は体に貼りつくような白い鎧に、真っ白い石のはまった二本の短剣である。

 いわゆる『魔法杖』と呼ばれるものは、『木製の杖』の姿をしているわけではない。

 もっとも得意とする属性の色をした宝石をはめた武器。それが『魔法杖』と呼ばれる。

 かつて加工技術が発達していなかった時、また、軍事・戦術がまだ途上にあった時、『優れた魔法使いは後方で強力な魔法を放てばよい』という風潮から、魔法使いは加工の簡単な木材に宝石をはめて、後方で戦う者であった。

 その当時の武器が指揮杖を兼ねたものであったため、その時の名残で、『宝石をはめた武器』はすべて『魔法杖』と呼ばれている。


 当代シルフ公が得意とするのは、真っ白い宝石──通称『シルフ石』をはめた二本のダガーを用いた戦いだ。


 風に乗って素早く移動し、風をまとった斬撃であらゆるものを斬り裂く。


 現代の『魔法使い』とは、かつてのように『後方から強力な自然現象を起こす者』ではない。

 魔法使いたちが街の治安を維持し、領民の財産を守る貴族となったゆえに、大規模魔法を使うのはよしとされない風潮が出来上がった。

 それゆえ、現代の『魔法使い』は、『細かな魔法と身体操作を用いて、街に被害を与えずに敵を鎮圧する者』──すなわち、『魔法剣士』とかつて呼ばれた者たちが主流である。


 シルフ公ラヴィニアも当然ながら魔法剣士。

 風のように軽く、風のように鋭く、しかし暴風のような加護をまとって放たれる一撃は、小柄な肉体で振るうダガーであっても、精霊力を扱い身体強化をする女どもを束で吹き飛ばす。


 ラヴィニアが突撃した先で風に巻かれて水賊が吹き飛ばされ──


 その水賊どもの中心にいた者が、ラヴィニアのダガーを受け止める。


 並の精霊力を持った者はあっけなく吹き飛ばす暴風を受け止める者。

 すなわち、『魔法使い』である。


「よーやく見つけたのだわ、『水賊の頭目』!」


 鍔迫り合いが発生している。


 ラヴィニアのダガー二本を受け止める者。

 その者が帯びた武器は、手斧であった。


 いかにも投擲とうてき向きの斧。

 水賊どもが好んで使うこの武器は、別な世界においては『フランキスカ』などと呼ばれるものである。


 パッと見たところ、宝石ははまっていない。

 だが、ラヴィニアの精霊力を受け止めるこの力は、紛れもなく魔法杖。


 ラヴィニアは白い体の中にある赤い瞳を動かし、ようやく見つける。


「『精霊の首飾り』!?」


 水賊の頭目と思しき女が、シャツの下に隠すように提げているもの。

 それは『精霊の首飾り』などと呼ばれる、特殊な魔法杖である。

 大粒のシルフ石をあしらったその首飾りは、近づけばはっきりと精霊の寵愛を感じ取れる逸品だった。


 水賊の頭目は、フランキスカでラヴィニアのダガーを受けながら、何かをぶつぶつとつぶやいている。


 ──魔法の詠唱。


「古臭い手を!」


 ラヴィニアがいったん距離をとり、再び躍りかかる。

 力の押し合いでは勝てないと踏んで、速度で攪乱する作戦を選んだのだ。


 しかし水賊頭領、その場から動かずに詠唱を続行。

 防御に徹してラヴィニアの攻撃を受けながら、朗々と、もはや隠すことなく唱え続ける。


 ……詠唱。

 それは、『精霊に向ける誓い』。


 なぜ、魔法杖が『杖』の形をとるのか。

 それは、精霊への願いの明確化のためだ。『これは武器です』『武器に力をいただきたい』と精霊に示すためだ。

 なぜ明確化する必要があるかと言えば──


 精霊は、代償を要求するから。


 武器に戦う力をいただく場合、最悪、武器が壊れるだけで済む。


 だが、首飾り、指輪、腕輪、鎧などを魔法杖化して身に着けた場合……


 受け取れる力が強大になる代わりに、寿命や肉体の一部などを、代償として捧げる可能性が出てくる。


 かつての時代、このように『装飾品』に魔法石をつけて、『精霊言語』によって詠唱し、精霊に誓いを立て、強力な現象を起こす魔法使いがいた。

 その者らの起こす破壊はあまりに甚大であったため、また、そういった者たちが筆舌に尽くすことのできないほど恐ろしい最期を遂げてきたために、『精霊の首飾り』などと呼ばれる装飾品、そして『詠唱』という技能は禁忌とされ……


 その『首飾り』や『詠唱のための精霊語』は、現在、歴史ある貴族家の、禁じられた書庫に眠るのみとされている。


 つまりこの水賊、落ちぶれた貴族の出。


 その者が精霊の首飾りを身に着け、詠唱をする──


 ラヴィニアは焦って詠唱を止めようとする。

 だが、敵の詠唱は止まらない。


(まずい、まずい! この詠唱は──)


 シルフ公家にも伝わる節回しがふくまれている。

 ……これは、暴風テンペストの招来を期すもの。すなわち、


(──完成すれば、ここら一帯が吹き飛ぶのだわ!)


 詠唱が、最後の文節に入ったのがわかる。


 水賊頭領の髪を染めていた黒い粉が、吹き荒れる風に洗い流されていく。

 そうして現れたのは、真っ白い髪。

 そして髪に隠されていた、短い垂れたあの耳、犬かと思っていたが、兎の耳──


 シルフ公家に近い血を持つ貴族である証明。

 ならばあの詠唱、ハッタリではなく、完成すればあたり一帯を本当に吹き飛ばす。


 ラヴィニアが舌打ちし、こちらも詠唱を開始する。

 剣術の腕前は互角であり、もはや相手の詠唱魔法に詠唱魔法をぶつけるぐらいしか被害を避ける方法が思いつかない。


 だが、明らかに詠唱で出遅れた。そもそも治安をあずかる者が自分の街で詠唱などと論外も論外。その常識がラヴィニアの行動を遅れさせる。

 間に合わない──


 だが。


 その時、水賊頭領に横合いから斬りかかる者がいた。


 その者の剣は、水賊頭領の防御をぬるりと不気味な軌道でかいくぐり、桜色の光をたなびかせながら、水賊頭領の首に迫る。


「チッ」


 舌打ちの音。

 同時に、詠唱が止まる。


 ……詠唱しながらでは、防御に徹しても、対応しきれない。

 今の、遅く、弱く、しかし不気味な剣は、水賊頭領にとって、そういう領域にある技であったらしい。


 その剣、鈿女断うずめだち

 そして、その剣の持ち主はもちろん──


「ほお、首を引っ掛けるつもりであったが、見事よな。なるほど、これは──いい『敵』だ」


 ──宗田そうだ千尋ちひろ

 アンダイン大陸に降り立った人斬りが、刀を抜いて戦場に立っていた。

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