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第163話 アリエル・テンペスト

 乖離かいりの訪れた場所は、海を進んだ先にある『水賊すいぞく根城アジト』であった。


 海、とはいえ『延々どこまでも何もない青い海が広がっている』というわけではなく、海岸からそう遠く離れていないあたりには、岩場や洞窟などを備えた小島が存在する。

 では水賊団『テンペスト』が根城にしているのはどういう場所かと言えば、それは、『入り江』であった。


 なんと港街シルフィアからいったん海方向に逃げてから面舵いっぱい、ぐるっとシルフィアの領を回った場所にある、たぶん所領的には完全にシルフ公爵家領に位置する美しい入り江であった。


 そこに船をつけて停泊・係留などを行う水賊団。

 それらの活気ある声を背景に、乖離はテンペストのリーダーと向かい合っている。


(大きいな)


 乖離も大柄であり、その身長はメートル法にして百八十センチはある。

 水賊団リーダーも同じぐらいの上背があり、手足の太さなどは乖離を超えるだろう。

 その肉体をコルセットとシャツ、スリットが入った──というより動きの邪魔だから破いたであろう──長いスカートに包んでおり、腰にぐるりと巻かれたコルセットの背後には、投げ斧フランキスカを八本も提げられるよう、フックがついているようだった。


 白い髪を短く切りそろえた垂れ耳ロップイヤーのアンダイン人は、乖離に向けて片手を差し出してきた。


「改めてお礼を。あなたの協力なかりせば、わたくしは多くの家臣を失うところでした」

「『家臣』か。礼を言われるほどのことはしていない。興味と関心の赴くままに動いたのみだ」

「……ウズメ大陸の御出身ですよね。あちらの大陸には『握手』という習慣はないのですか?」

「……ああ、そうか。確かにないな。まったくないでもないが、することは稀だ。失礼した」


 差し出された手の意味に気付き、乖離がテンペストの手をつかむ。

 すると、テンペストが、手を握った。


 強く、握った。

 手のひらを握りつぶそうとしているのではないかというほど、強く。


 だから乖離は笑う。


「なるほど、いい〝挨拶〟だ」


 握り返す。

 強く強く。握りつぶそうとするほど、強く。


 二人の大柄な女どもがただ笑顔で握手を交わしている。

 だがそこに吹き荒れる『神なる力』が風を起こし、見えない圧力みたいなものが、周囲の水賊たちの注目を集める。


 水賊たちは当然ながらリーダーが勝利する、ようするに乖離が音を上げるものと思って見ていた。

 だが互いに微笑んだまま、一向に弱音を吐かずに握り合いが続いている。

 ぎちぎちと込められた力で筋肉が盛り上がり、手のひらの肌と肌が奇妙な音を立てている。

 それでも握り合いは止まらない。


 水賊たちがざわめき始めたころ……

 ようやく、


「失礼いたしました」


 リーダーの方が声を発して、力をゆるめる。


 乖離もまた力をゆるめ、「いや」と首を横に振った。


「ウズメ大陸の者は、神力しんりきという力を内側に宿す。こちらの大陸とは少々違った法則の様子だが、弱いというわけではないことが伝わったと思う」

「ええ。侮っていたという認識ではございませんが、まさか互角とは。……頼りになる味方──と思って構わないのでしょうか?」

「そうだな。ただ、あまり味方として頼られても困る。私はあなたたちに事情がありそうなので、それに興味を抱いた者でしかない。信用を得るための活動はするつもりではいるがな」

「あなたと斬り結んでいた小柄な方も、同郷のように思われますが」

「そこに手心を加えることだけは絶対にない。そもそも、我々がこの大陸に来たのは、てらいなく、いい舞台で、全力で殺し合うためだ」

「……複雑な関係なのですね」

「疑うか?」

「信じましょう。……ですがもともと、そこまで頼るつもりはありません」

「ふむ?」

「そもそもこの戦いは、わたくしと家臣たちのためのもの。我らは確かに水賊なれど、我らにはシルフ公を討ち果たす大義名分と事情がございます。外国のお方に頼り戦術を定めるということをするつもりはありません」


 その『大義名分』について、乖離がたずねようとした、その時だった。


「テンペスト様! 何をおっしゃいます!」


 船着き場から砂浜を踏んで歩いてくる者、老婆である。

 艶の抜けた白髪を伸ばし、いかにも神経質そうな顔をした年老いた女。

 格好はやはり水賊らしいボロのシャツにコルセット、引き裂いた長いスカートというものだが、砂浜を歩くその所作、水賊ではない職業に就いていたことが乖離からはうかがえた。


(……従者……世話役……こちらの言葉だと『メイド』か?)


 神経質そうな細い老婆は、乖離の横に立つと、笑顔を浮かべ乖離の手を両手で取った。

 その浮かぶ笑顔には、なんとなく誠実さが感じ取れない。


「ああ、シルフ様のお導き……! シルフ様の名を騙る憎き公爵家よりも、我々の方にシルフ様は加護をくださったのです……! ありがたや、ありがたや……!」


 乖離の手を握って拝むその姿を、乖離は見たことがあった。


 天女教の天使として活動していた乖離である。

 主に武力が必要な働きばかりをしてきたものの、身分を明かして村などに滞在し、ならず者を討ち果たすこともあった。


 そういった時に村人が、乖離の手を握り、乖離を拝み、『天女様、ありがたや、ありがたや』などと唱える。

 その時の──


(私を見ているが、私を見ていない。私を通して、私をここに導いた何かを見て、それに感謝の言葉を捧げている者、だな)


 苦境にある自分を助ける者が、『行政』や『制度』や『個人の努力』ではなく、『自分を寵愛する運命』であると思い込んでいる人の様子である。

 気持ち悪さから、乖離は老婆の手を振りほどいた。

 こういう人間は感謝をしているようでも感謝をしておらず、感激をしている様子でも感激をしていない。人間を見ていない者である。なので、人間関係を築けない。自分を助ける何かを、自分の運勢や自分を見る天なる者の采配と見ており、そこにある他人の努力を一切合切無視する、『感謝してるフリをして自分の幸運を噛み締めているだけの者』なのだ。


(リーダーにはそういう気風はないが、取り囲む者たち……特に年老いた者の目が、そういう感じだな)


 もっとも、年寄りが『自分を苦境から救う者』を『神様』として、目の前にいる実際に自分を救う人間に関心を払わないのは、ウズメ大陸でもよくあることであった。

 長生きするとどうにも、自分にいいことをもたらすのがすべて神などの超常の力だと思い込むようになっていくらしい。乖離にはいまだわからぬ心境である。


「シルフ様の遣い様、どうぞ、我らテンペスト家の復興をお助けくださいませ!」


 手を振り払われたことなど気にも留めていない様子で、老婆は告げた。

 なお、お願いの形式の言葉に聞こえるのだが、断られる想定はまったくしていない様子である。


(こいつらの『運命』とみなされるのは、不快だな)


 純粋ではない。

 乖離は不純なものを嫌う。


 その剣呑な気配を察したのか、リーダーが声をかけてくる。


「場所を移しましょう。シルフ様の遣いであれば、ふさわしい場があります。そうですね、ばあや」


「ええ、こ、これは失礼を! 今すぐ整えさせますので!」


 老婆が砂浜を駆けていく。


 その隙を見て、リーダーが小声を発する。


「……失礼をいたしました」

「いや。なんとなく苦労がしのばれる。……そういえば私は乖離という者だが、あなたの名をうかがってもいいか? 『テンペスト様』というのは、称号とか、そういったものだろう?」

「家名です。わたくしの個人名は『アリエル』と申しますが──わたくしは、事を成すまで、『暴風テンペスト』としてのみ存在するのです」

「ふむ?」


 乖離が眼帯に隠されていない方の目を細める。


『暴風』は穏やかに微笑んでいた。

 ただしその微笑みにはどこか、困ったような、雰囲気がある。


「シルフ家を倒し、テンペスト家を再興する」

「……」

「それこそが我らの目的であり──わたくしが、いまだに生きながらえている理由でもあるのです」


 乖離は細めた目で、アリエルをじっと見つめた。


 先ほどの老婆は気に入らないし、いまだに注がれる『シルフの遣い』を見る目も、気に入らない。

 だが、


「あなたには、私の好む性質がありそうだ。……詳しい話を聞かせてくれ。協力しよう」


 アリエル・テンペストには、どういった種類かはわからずとも、彼女なりの純粋さがある。


 乖離はとりあえず力を貸していくことに決めた。


 その過程で千尋と斬り合うかもしれない。

 ……旅の目的を思えば、千尋との本気の殺し合いをするべきタイミングはまだ先なのだが。


(別に、興が乗れば、今でもいい、か)


 積極的に避ける理由もない。


 敵味方に分かれた人斬りが、その実力から、互いの陣営の中枢に食い込んでいく。

 殺し合いを前提で──二つに分かれた陣営に、食いこんでいく。

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