「はああああああああああああ………………」
時刻はすでに夜遅い時間になっていた。
場所はなんと、ラヴィニア・シルフの領主屋敷。その客間である。
公爵屋敷は五階建ての細長い印象の白い建物なのだが、近づいてみればその屋敷が横にも広いことが見てとれる。
全体的に天井が高い構造──シルフ様の通り道、ということで風が通り抜けやすい造りにしているらしい──なので五階建てにしても細長く見えるだけなのだ。
ここで十子らがしたことといえば、お菓子を食べて、お昼ご飯を食べて、風呂などつからせてもらって、そうして寝室に通されたということである。
公爵手ずからのおもてなしであるせいか、髪の毛に油など塗られてしまって、十子の
「完璧に予定外だ……」
旅程らしき旅程はなかったものの、『公爵邸のお世話になります』というのは明らかに予定していなかったことである。
「まぁ、合縁奇縁、事実は創作より奇なり──と言ったところか」
バルコニーで夜風を浴びながら、この時間だというのに各所に明かりがともる港街シルフィアの光景を見ている。
その横に並ぶように立ち、バルコニーの柵に背をあずけた
十子は「お前なあ」とぼやく。
「笑いごとじゃあねぇよ。……わかってるか? あたしらは政治的にわりとまずい立場なんだぜ」
「まぁ、天女が秘密裏に公認した集団であり、アンダイン人を目標に据えた暗殺者・諜報員といったところだからなぁ」
「わかってんならアンダイン大陸の権力者に接近するんじゃねぇよ。……っていうかまずさ、いいか?」
「なんだ?」
「敵味方に分かれんじゃねぇよ!!!」
ずっとずっと言いたかったことである。
状況が激動すぎてタイミングがなかったのと、船旅を終えた直後で十子も疲れ果てており(十子は船にかなり酔う)、言っても無駄だよなこいつらには……という思いから無駄な体力を避けていたので言わなかったことではある。
だがこうしてゆったりと休んでみると、どうしても言うべきだったと思われてならない。
「あたしの意見じゃあお前らの行動が変わらねぇのはわかってんだよ。でもさあ、普通、敵味方に分かれるか!? せめて陣営は揃えろよ! なんで渡航初日で早くも分裂してんだ!?」
「俺は領主側が気になった。
「どう考えても楽しそうに殺し合いしてただろうがよ……! 巻き込まれたキトゥンがだいぶかわいそうだぞ!」
そのキトゥン、寝落ちしてしまった。
ミヤビ(天女だとは思っていない)の手紙(昨日届いた)に応じるべく、返事を出す暇も惜しんで案内役をかってでたところ、水賊襲撃にとても奇妙な形で巻き込まれ、しかも案内しようと思っていた連中は敵味方に分かれ、流れで領主屋敷、しかもアンダイン大陸における権力の四つのトップのうち一つらしい三大公爵家の当主直々にもてなされてしまっている。
そうして流れから、これから水賊vsシルフ家の戦いに巻き込まれることが確定。
『友情に応える!』というただの親切な少女が巻き込まれるにはあんまりな運命である。
緊張の糸が切れた途端、倒れるように眠るのも仕方のないことであろう。
が。
「さて、キトゥン殿、そもそも実名なのか否か」
「……ああ? どういうこったよ」
「ミヤビ殿が正体を隠して友誼を結んだのと同様、向こうも正体を隠している可能性もあると思ってな。……まぁ、ものすごくいい人なだけというのも否定はせんが。警戒するというより、何か事情を抱えているものと見て、手助けしてやるべく観察するか、というところだ」
千尋がこのように思う背景はいろいろあるが、まぁ、『触れなくてもいいこと』であろうとは思う。
十子がため息をつき、
「……で、敵味方に分かれた本当の事情はなんだ?」
「気になったから」
「さすがに、それだけが理由ならお前ら並べてぶっ飛ばすぞ」
「情報収集だ」
気分で敵味方に分かれたというのもまあ、間違いではない。
しかし最初から『二つの陣営両方の事情について知れる立場に分かれよう』という前提で話し合った理由は、まさしく情報収集のためである。
なんの情報を集めているかと言えば、それはもちろん、
「『
「……ま、そうだな」
「だからまあ、大きな事件が起きれば、それに噛もうとは思っていた。……ウズメ大陸での
「……そもそもよ、『襲われた。斬り殺しに行く』って即行動するのがな、おかしいんだわ。もっとミヤビに時間を与えてよ、情報収集をさせて、居場所ぐらいは掴んで、そんで斬りに行くってのがさ、当たり前にたどるべき道筋だったんじゃねぇか?」
「その『情報収集させて』に遣わすのにふさわしい人材が、俺であり、乖離だ」
「……」
「十子殿は俺を持ち上げてくれるがな、俺は十把一絡げの人斬りだぞ。そういう潰れそうで、いつ終わるかもわからない、雲をつかむような話の先行情報収集役としては、ちょうどよかろう」
「……まぁ、そう言われりゃそうかもしれねぇがよ」
「乖離も天使たらいう立場ではあろうが、あれは中身は人斬りだからな。そういう観点で言えば、十子殿がこの旅路には一番ふさわしくない。何せ、天下の天野の里、その当代
「ケツが痒いな」
「ははは。……だが置いて行けば怒ると思ってな。誘わせてもらった」
「正解だ。ったくよ、殺し合いを中途半端に止めやがって──っていうのは、あの場で戦う意義やら意味をたずねたあたしの言えることじゃねぇわな」
「……」
「何もあそこでやらんでも、とは思ったよ。だが、あそこで止められた──水を差した女にはな、思い返せばムカッ腹が立つ。かと言って、あそこでどっちかが死んでたとしても、それはそれで寝覚めが悪いっていうか……お前らは本当に、あたしを複雑な気分にさせるのばっかり達者になりやがってよ」
「すまんな」
「反省のない謝罪をすんじゃねぇ。……『違う生き物』だってわかって付きまとってんのはこっちだ。ただ、ぼやくぐらいは許してくれや」
「それはいくらでもしていただいて構わんぞ」
「まあ、『いくらでもぼやけ』っていう目に遭わすなっつー気分だが……実際、水賊を倒せそうか?」
「討伐だの殲滅だのは、定義を決めないといつまでも戦い続ける羽目になる。そこはまぁ、ラヴィ殿を信用しよう」
「……信用を裏切られたら?」
「それはいつものだな」
「『斬る』のか。……三大公爵家のうち一つの頭領──」
「……」
「──っていう『身分』とか『立場』は、お前の前じゃあ意味ねぇか」
十子が笑い、千尋が応じるように唇をゆがめる。
そしてしばらく、二人して夜空を眺めた。
言葉のない時間だった。だが、心地いい時間でもあった。
ぼやけた頭で空を見上げていた二人の意識を地上に引き戻すのは──
コンコン。
そういう、遠慮がちなノックの音である。
千尋が応対に向かおうとしたのを、十子が「あたしが行く」と止める。
だがそれより早く、寝落ちしてしまっていたキトゥンが起きて、寝ぼけまなこのまま「ふぁーい」と声をあげ、応対に出てしまった。
そうして出て行ったキトゥンが、扉を開けて……
尻尾がわかりやすく持ち上がり、毛が逆立つのが見えた。
キトゥンがカチコチになりながらドアの前を空けて、来訪者を中へ招く。
その来訪者は……
「ウズメ大陸のお客人、夜這いに来たよ」
ベビードールに身を包んだ、子供のような兎耳の女。シルフ公ラヴィニアであった。