夜這い。
この言葉で
だがしかし、緊張を高める十子を見て、ラヴィニアは明るく笑った。
「そんな警戒しないでほしんだわ。もう、冗談だよ。あたしに女と寝る趣味はないからね」
「……そうかよ」
異常に高まった自分の緊張から逆に千尋の性別を知られてしまうのではないか──
反射的な警戒状態にいた十子はそのあたりを反省し、つとめて軽く受け流した、が。
(……わかんねぇんだよな、公爵様)
見た目通りであれば、イタズラやサプライズを好む、子供である。
だがその実年齢がまず見た目通りではない。
そもそも、この小柄さにして彼女は戦士である。しかも、血統と歴史の最先端に立つ、戦士として生まれた武の者だ。
おまけにかなり頭も回るし、察しもよさそうだ。
何をしても見抜かれる気がする──と十子が緊張してしまうのも、無理はなかった。
十子が悩んでいる間にもラヴィニアはバルコニーまでやってきて、千尋と十子の間に立つ。
そうしてぴょんと静かに飛び上がると、バルコニーの柵のふちに乗ってしまった。
「……いや何してんだあんた!?」
ここは五階にある客間であり、シルフィアにあるシルフ公爵屋敷は天井が高い造りなので、落ちたらただではすまなさそうな高度となっている。
そこに上る人はシルフ公爵。
突き落としてケガをさせたなんて言われたらたまらない。
十子は思わずラヴィニアを引きずり降ろそうと手を伸ばしかける。
だが触れて落ちてしまってもそれはそれでまずいので、伸ばしかけた手が中途半端なところで止まり、
「……女の尻を見る趣味はねぇから、降りてくれ」
ベビードール姿で高い場所に立つ、淑女らしからぬ振る舞いに突っ込むのが精一杯であった。
「いい風を感じられるんだけどなあ」
「ガキかよ」
名残惜しそうにするラヴィニアについつい突っ込んでしまってから、『しまった』という顔をする。
その十子を見て、千尋が笑っていた。
「しかしまあ、実際問題、落ちられてもたまらんのでな。同じ高さに立ってくれれば助かる」
「まったく、このぐらいの場所から落ちるような半端な訓練は積んでないっていうのにねぇ。よっと」
飛び降りた先──
空中で姿勢制御をしたラヴィニアは、千尋の正面に降り立った。
千尋は未だ成人したて。
それを差し引いても小柄だ。
だがラヴィニアはその千尋よりもやや小さいか並ぶぐらいの小柄さである。
こうして近場に立っていると、彼女の小ささがよくわかった。
(戦場で見た時にゃあ、でかく見えたんだがな)
十子はラヴィニアの実際のサイズと、水賊との戦いの場で大柄な女に斬りかかって行った時のサイズとか合わないように感じられて、首をかしげた。
「で、夜這いの時に交わした話っていうのはさ、『その場だけの秘密』にするのが常識なんだわ」
これには千尋が、喉を鳴らすように笑いながら応じる。
……その喉には、布が巻かれている。防寒のためのストール──と言って言えない気温ではないが、実際には、いかにも男らしい喉のふくらみを隠すためのものである。
「そうらしい。古今東西あらゆる権力者が、
「ま、本来なら、公爵家当主は、夜這いでも一人じゃ来ないからねぇ。いろいろあるのさ。そもそも、男なんていうのは数少ないし……特にアンダイン大陸だと、ウズメ大陸より厳重に管理されてるんじゃあないかな? 基本は『国家』、つまり『王家』の持ち物でね。立場がある女からの乱暴狼藉を働かれないために、夜這いには監視がつくもんだよ。そこから通例化してね。女が女に夜這いをする時も覗き見られるのが普通になってる」
「権力のあるお方というのも、大変なものよな」
「で、その監視をまいてきたわけ」
「どのような睦言をささやけばいい?」
「この大陸にはどういう目的で来たの?」
その時十子の体に、またしても緊張が走ってしまう。
……言えないことが多すぎるのだ。
そもそもウズメ大陸を支配する天女教の総本山で内乱があったということを言えない。
それを言えないから、『アンダイン大陸人を追っている』という話だけして、その目的が殺すことだということを言えない。なんの罪もない外国人を殺すために天女が刺客を差し向けることはできず、内乱について語らないとあの商人の罪について語れないからだ。
そもそもにして、あの商人の動きはあまりにも大きかった。
普通にアンダイン大陸の王家や貴族から遣わされて、ウズメ大陸の治安を乱すための工作をしていた可能性もある。
そういった『正体不明』の商人を探しています──だなんて、少なくとも公爵当人に言えるはずもなかった。
……普通に考えればここで選びうるのは『沈黙』のみなのだが。
「実は、俺と乖離との殺し合いを邪魔したアンダイン人を殺すため、ここに来ている」
千尋は、言ってしまう。
十子はやっぱり驚くものの、千尋、ノリで生きているようでいて、深い考えがある。
……ノリだけとしか思われない時もあるので、『深い考えがある
ちらりとうかがったラヴィニアの反応は、わからない。
口角と唇の真ん中を持ち上げるような、曲者の笑顔を浮かべている。だが、今の話を聞いて、驚いている様子も、納得している様子も、見えない。鎧のような笑顔である。
「そいつは『
ラヴィニアは──
ため息をつき、肩をすくめる。
「サラマンダーどころじゃないね、あんたは」
「真っ直ぐ──だったか?」
「真っ直ぐどころじゃない。透明どころでもない。隠すっていうことをしない──お日様のようなやつだわ」
「で?」
「心当たりはあるよ。……最近、王家に出入りしている商人がいてね。そいつが奇妙な風体──角が生えているっていう話だ」
「アンダイン人でも角がある者は珍しいのか」
「そうだねぇ。……昔、差別があってね。角つきっていうのはその時の王に『浄化』された」
「……」
「だから生き残りはほとんどいない。……はず、なんだけど。そういう歴史がある角つきのアンダイン人が、王家に出入りして、しかも、アンダイン王に直接言葉をかけられる立場になってるから、複雑でね。かつて差別して世界から消しかけた人種をさ、また消そうとする動きにはみんな慎重なんだわ」
「なるほど」
「しかし『空間をこじ開けて現れ、空間から兵器を取り出した』? ……ちょっと想像がつかないね。そんなことまで出来んのかい、あいつ。いやまあ、あいつと同一人物かはわかんないけど」
「この大陸の『魔法』ではできないことなのか?」
「…………使い手は見たことはない。ただし、文献でそんなような記述は見たことがある。ただ……四大精霊の御業って感じでもないから、『失われた精霊』の技術かも」
「ふむ。その能力を使わせない方法は?」
「とびきり強引なもので、『四大精霊の遺骸』を全部壊せばまあ、使えなくなるだろうけど……それをされてしまうとね、この大陸の人全員が魔法を使えなくなるんだわ。そんな方法をとるんなら、さすがにあたしも、公爵として止める」
「……なんだか『そこまで聞いてなおやりそうなヤツだと思っている』と言われている気がするなァ」
「やりそうでしょうが」
千尋が『どうだろう』という目で十子を見た。
十子は反応に困った。……やりそうだからだ。
ラヴィニアはその視線のやりとりを見て笑う。
笑って──切なげに、ため息をついた。
「……王は、『商人』と接してから、変わってしまわれた」
「……」
「怯えるようになったか、あるいは、断固とし始めたか。遠ざけられたんでどっちかはわかんないね。でも、結果として、多くの貴族家が改易──お取り潰しの憂き目にあってる」
「そうなのか」
「今、あたしらが頭を悩ませてる
「……『ということになっている』?」
「そうだねぇ。幼馴染だから。実際にはそんな長生きじゃないのは知ってるよ。でも、王は代々の記憶を引き継ぐとか、歳をとらないとか──『中身』が変わらないとか、そういうことを言われている、天上のお方さ。三大公爵家と違って、王だけは精霊のそのものの血筋だしねぇ」
「……」
「今回、ああいう水賊が出て、『詠唱』だなんて凶行に及んだ背景には、間違いなく、変わってしまわれた王の治世という原因がある」
「『商人』を倒せば元の王に戻る、と?」
「だといいと思ってるよ。人が変わった原因がさ、『悪者がいて、そいつのせいだ。そいつを倒せば、元通りだ』っていうんなら、ものすごくいいことだからねぇ」
……実際には、そうではないかもしれない。
いや、人の変化の原因というのが、そんなに単純なわけがないのだ。
変わったきっかけがあり、そのきっかけをどうにかできれば、元の通りになる、だなんて。
そんなのは、おとぎ話でしかありえない。
「でも」とラヴィニアは息を吐く。
「あんたらの探してる『商人』と、あたしが思ってる『商人』が同一人物かはわからない。……ただ、こいつに目的があるとすれば、今回の水賊に武器を卸しているのは、そいつだと思う」
「どうしてそう思う?」
「……目的が『混乱』に思えてならないからなんだわ。とにかく無軌道でしっちゃかめっちゃかに、この世の安定しているもん全部ぶち壊す──そういう動きをしているようにしか、見えない」
「確かにな」
「商人とは言うけど、利益は度外視してるんじゃないかな。だいたい、金の流れを追えば目的や足取りがつかめるなら、あたしはもうとっくに、あいつの影を踏んでる。でも、何もない。……商人のくせに、商売をしてないんだよ、あいつは」
「ふむ」
「差別され浄化されかけた人種の復讐譚──ってことにすりゃ、気持ちはわかりやすいけどねぇ。実際どうなんだか。……そんな人間的な感情があるようにも見えなかったけど」
「そうか。……俺からも何かを語ろうと思って記憶を探ったが、そちらの方が詳しそうだ」
「ま、ともかく、『商人』の影は感じてる。見つけたら──まぁ、斬ってくれていい。あたしがあんたらを探す。結果、行方不明ということにする」
「そいつは助かる」
「こっちも斬り捨ててもらったら助かるけどね。……立場の問題もある。王から遠ざけられてて剣が届く場所まで近づけないのもある。でも……一目見てね、不気味さに竦んだよ、あたしは。あいつ……尋常じゃない」
「そういうものこそ、斬りがいがある」
「『斬りがい』なんていう言葉はないんだよねぇ……斬ることは目的じゃなくて手段だから。歯応えとか手応えなんてもんは、ない方がいい。でも、そういうのに喜びを見出すんだね、あんたは」
「おう。人斬りなのでな」
「……とんでもないもんが外国から来たんだわ」
ラヴィニアは笑って──
「互いに表に出せない話をできてよかったよ。……ああ、普段のあたしがこんなに口が軽いとは思わないでほしいねぇ? 一目見た時から、どうにもあんたはなんだか、特別な感じがした。だから、話した」
「……」
「こういう時のあたしの直感はよく当たるんだ。……水賊退治、期待してるよ」
「応えよう」
千尋が力の抜けた声を発すると、ラヴィニアは肩を竦め、その場から立ち去っていく。
完全にラヴィニアが部屋から出たあと、十子はため息をついた。
「……生きた心地のしねぇ会話だったぞ」
「特に剣呑ではなかったと思うが」
「いや、もしかしたら『商人』の味方かもしれねぇだろ」
「それはないな」
「……今ならあたしも、なんとなくそう思うけどよお。……とりあえず……っていうか、キトゥンはどうした?」
十子が視線を巡らせると、ドアの前で固まったままのキトゥンを発見する。
どうにも寝起きに公爵襲来という事態に、すっかりフリーズしてしまっているらしい。
「……キトゥンを寝かせてやるわ。どうにもあいつ、放っておけなくてな」
千尋は笑って十子を見送り、夜空を見上げる姿勢に戻った。
「『商人』。怨敵ではある。だが……そちらにも何かの事情があるのか? まぁ、斬るが」
敵にも敵の事情はあろう。
だがそれは、味方を背にして振るった刃を止める理由にはなりはしない。
そして相手に何かかわいそうな事情があるものと想像してみても、やっぱり、それで刃を止める自分の姿が想像できない。
人斬り。
「……これはもはや」
喉を揺らして笑う。
人斬りとは、もう、そういう生き物──一つの人種なのかもな、と思った。