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第168話 精霊の血管

 シルフィア領主、シルフ家の屋敷。


 港街にそびえたつ高い建物。その最上階付近にはいわゆるところの『軍議室』がある。

 これはシルフ家が代々シルフィアの街を守るために軍備をし、戦術を練る家であるから、大きな窓から街を一望できるこの場所に軍議をすべき部屋が設置されていると、そういう事情の配置であった。


 その軍議室の中には現在、五人の人物がいる。


 一人はシルフ公爵家当主ラヴィニア。

 この軍議室を含む建物の持ち主であり、代々陣頭指揮によってシルフィアの街を守り続けてきた貴族家の最先端たる人物である。

 その身は小柄で、声も顔立ちも無邪気な少女めいている。

 しかし体にフィットする鎧をまとった彼女は、その見た目からは想像もつかないほど武人である。それも、最前線で勇猛果敢に戦い、その背で部下や領民を鼓舞する武人なのだ。


 その武人の横に立つのがシルフ家に仕える軍師である。

 この女性はラヴィニアより頭三つほど大きい、わかりやすい『強い女』。しかし、軍議台に乗り出すようにして地図をのぞきこんでいる主人の、ぴょこぴょこ揺れるかわいらしい兎耳とまんまるの尻尾を見ても、その目にあるのは尊敬の念のみである。

 忠臣にして有能なる軍師であり、戦闘においては突出しがちなラヴィニアの背を冷静に部隊運用して守るという、まさしくシルフ公爵家の懐刀と呼べる女性であった。

 続柄としてはラヴィニアの姪っ子にあたる。生真面目そうなので老けて見えることを若いころから悩んできたという一面も持つ女性である。


 そしてそれ以外の三人──


 青毛の猫耳の少女、キトゥン。

 そしてだいだい色の髪と瞳を持つウズメ大陸人の天野あまの十子とおこおよび、黒髪の美しい人斬り、宗田そうだ千尋ちひろであった。


 軍議台の上に小さな体を乗り出すようにして地図とにらめっこしていたラヴィニアが、無言のまま、台から上半身を下ろして二本の足で立つ。


 その幼く見える顔には神妙……というより、深刻な色が浮かんでいた。


 彼女は『何か』に気づいたのだ。


 今、彼女が見ていた地図はシルフィアの街のものであり、その上には、いくつかのピンが刺されている。


 そのピンの位置はこれまで水賊『暴風テンペスト』が襲撃してきた場所であり……


 シルフ家現当主ラヴィニアは、襲撃地点の法則性に気付いてしまった。

 気付いてなお、認めがたい法則性であった。即断の武人たるラヴィニアをして、口に出すのをためらうほどの、事実であった。


「……ウズメ大陸のみなさん、『精霊の血管』の概念はわかるかな」


「なんとなしには想像がつくが、説明はほしいところだな」


 応じるのは千尋である。

 ラヴィニアは「じゃあ」と説明を開始する。……その様子にはいくらかの安堵がある。彼女をして語るのをためらう『気付き』。それを語る前にいくらかの時間と心の準備を欲していて、説明というのは、そのための時間を稼ぐ、彼女のためのものでもあった。


「このアンダイン大陸には、『精霊の遺骸』と呼ばれる……史跡が四つ存在する。そのうち一つはこのシルフィアにある、『シルフの聖骸せいがい』なんだけど、ここを心臓部として、各地にシルフの風の力を流す管みたいなものがある。それが『精霊の血管』っていうものなんだ」


 いわゆる『龍脈』などの概念だ。

 人々は大地に力があるとして、その力には流れがあると考えた。

 その流れは大陸全体を満たし、強い場所ではいいことが起こり、大地の意思が反映されやすいと想像した。

 そして、大地、水脈などの人知を超えた強大なものを龍にたとえた。そういう考えのもと『大地の力が流れている場所』を語る言葉として存在するのが『龍脈』である。


 ただしアンダイン大陸の『精霊の血管』は、実際に、精霊力が流れている場所だ。


「……まぁ、『管』って言っても、陸路が整備されてるとか、水路だとか、見てわかるようなものじゃないんだけどね。そうやって整備されてるところももちろんあるけど、基本的には目に見えない力の流れ──まあ一部の人だけ知覚できる力の流れる場所、みたいな感じかな」

「想像は及ぶ」

「……その『力の流れ』をね、潰して回ってるんだわ」

「わからんな。聞くだに重要そうな場所だが、どうして『今、気付いた』という様子なのだ? この大陸の人らは、その精霊から力をいただいているという考え方なのだろう? であれば一か所襲撃された時点で過敏に気付いてもよさそうだが」

「あり得ないからだよ!」


 そこでラヴィニアが声を荒らげたのは、本人にもコントロールしきれない感情の爆発だったらしい。

 千尋に怒鳴ってしまったことで気まずそうに「ごめん」と謝ったあと、ラヴィニアは声を抑えて続きを語る。

 ただし、完全に抑えることはできないようで、その声には静かながら、圧力のようなものがこもってしまっていた。


「……このアンダイン大陸において、『精霊の遺骸』から流れて各地を巡る力っていうのは……女すべてにとって重要なものだ。もちろん、水賊の女どもだって、『精霊の血管』の中に精霊の血が巡っているからこそ、いろいろ……それこそ、戦いだけじゃなくて、生活だって、出来てる」


 女は清浄な水を出したり、火を熾したりといったことができる。

 それはウズメ大陸のみならず、アンダイン大陸でもそのようで、そういう前提の設備がこの領主屋敷の中にさえいくつもある。


「『精霊の血管』を潰して精霊の血の巡りを悪くするっていうのは、すべての女に対する宣戦布告……というか、自分で自分の首を絞める行為だよ。狙ってやるはずがない」

「ちなみに、その『精霊の血管』を潰し続けてるとどうなる?」

「…………精霊の遺骸は、いまだに大陸全土に渡るほどの力を発し続けているんだよ。それが、流れなくなれば、溜まって、溜まって……」

「破裂する、と」

「破裂どころじゃない! 大爆発だよ!」

「わからんなァ。だからこそ、捨て身の狼藉者に狙われる可能性は警戒しておくべきだったと思うが」

「だからその『捨て身の狼藉者』でさえも狙わないようなものなんだって! ……まあ、狙われてる以上、なんの説得力もないかもだけどさ」


 このあたりは宗教的価値観もかかわってくるのだろう。

 いわゆる『聖地』だ。聖地は奪還するものではあるかもしれないが、爆発させるものではない。それは、その地を聖地と定めるすべての者が、何に記されずとも守ろうとする、本能と神への恐怖に根差した絶対のルールである。


 そして聖地というものは不思議と、異なる二つ以上の宗教でも同じ地を指すことがままある。

 だからこそ有史以来、聖地を爆発させようという狼藉者は出ていなかったのだろう。


 ……つまり、


「相手の覚悟は、相当なものである、か。……いやァ、うずくな」


 史上初と言えるほどの覚悟を持った者が相手である。

 千尋はついつい、頬を朱色に染めてしまう。


 その顔を見て『うわ……』と『えっちすぎる……』が混ざった目が複数方向から向けられ、不思議な沈黙が一瞬あった。

 そのおかげで多少は冷静になれたらしいラヴィニアが、「ふう」と息を漏らし──


「……四大精霊の遺骸が、この地と女に力を与えてる。たとえ……こんなこと仮定でも口にしたくないけど……たとえ、シルフの聖骸が破壊されても、まだこの大陸から『魔法』は消えないんだわ。でも、仮に全部が壊されたら……」

「この大陸から、魔法が消え去る、と」

「…………そうなるね」

「そしてラヴィ殿は、『そう』なる可能性が──この件の黒幕は、『そう』しようという野望があると、考えているのだな?」

「……まったくない、とは言えないね。そういうことをしそうなヤツだと思う」

「ふむ」

「まあ、だからこそ、相手が『精霊の血管』を狙ってる可能性が見えた時点で、あんたらと、信頼できる右腕だけをこの場に呼んで説明したんだわ。……普通の女にゃ聞かせらんないよ。相手が『この大陸から魔法を消し去るために動いているかもしれない』なんて、大抵の女が取り合わないからね。あり得なさ過ぎて」


 この場になぜか呼ばれているキトゥンが、「それ、アタシに聞かせていい話ではないですよねぇ!?」と必死の抗議をした。

 しかし、みんな相手をしている場合ではなかったので無視した。


 ラヴィニアが神妙な顔をしている。


「……この大陸の危機につながるかもしれない事態を解決するのに、頼れるのは……こういうあり得ないことを信じて、それを防ぐために殺し合いに興じてくれるような人だけなんだわ」

「つまり、俺か」

「不本意ながらね。こういう危機こそ、公爵家が総出であたりたいもんなんだわ。でも、規模が本当にあり得なさすぎて、これを発表するとあたしの乱心を疑われる」

「……それほどか」

「それほどだよ」

「で、あれば──斬りがいがあるな」


 千尋が腰に手をやる。

 その手つきは艶めかしく、その表情はなんとも淫靡なものだった。


 ラヴィニアは肩をすくめる。


「……ま、本当に、頼りにするしかなくなっちゃったね。で、この話を聞いたうえで、向こうについた、あんたらのお仲間を連れ戻したりは──」

「……」

「──できないんだねぇ。これを知っても、相手側につくような女なんだね、あの眼帯」

「そうだな。まぁ、本人に聞いてみなければわかったようなことは言えんが」


 千尋はそこで、鼻から抜けるように息をつき、


「果たして乖離かいりは、今頃どこで何をしているのやら」


 宿敵のような、仲間のような、そんな女へと思いを馳せるのだった。

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