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第170話 開幕の音

 シルフ家というのはシルフィアの街を含む、アンダイン大陸東側の広い範囲を領地とする公爵家である。

 その守護には、家名の由来となっているシルフ、その聖骸せいがいを守ることも含まれている。

 ……『守る』とはいえそれは、『保全・管理』という意味だ。まさか『大爆発させようという狼藉者から守れ』などというのは、歴史の中で一度もなかったことである。


 ともあれそういった役割を持つゆえに、領主屋敷から『シルフの聖骸』までは、直通の水路が存在した。


 これにより、水賊より後手に回ろうとも、水賊に先んじて『シルフの聖骸』に布陣出来る。


『シルフの聖骸』。


 シルフ家当主ラヴィニアはこれを『史跡』と評したが、その言葉を口にするまでは若干のためらいがあった。

 迷いの理由は、実際にその地に立つと、宗田そうだ千尋ちひろにもわかった。


 わかって、思わず笑ってしまう。


 朝日が昇るまでもう少しという時間帯、そこでたどり着いた『シルフの聖骸』。その姿は──


「まさかここまで『生き物』だとはな」


 ──兎、である。


 それを『兎のような形に見える山』と述べるべきか、あるいは『超巨大な兎の死骸』と呼ぶべきか。

 まさしく山のようであるそれは、巨大さゆえに生物とは認めがたい。だが、実際に近づけばわかる。これは死体なのだ。巨大な兎の死体。だというのに生きている。雪が積もったような白い兎は、何かがあってこの場で休眠し、そして二度と目覚めることはない。だが、存在するだけでなんらかの力を今も発していることがわかる──そういう代物であった。


 なるほどアンダイン大陸の人々が精霊というものを信じ、その精霊を破壊するなどととんでもないと思い込むわけだ。

 破壊すれば危険──というのはいわゆる『精霊力』とか『魔力』を見える者からは一目瞭然なのだろうが、そうでない者からしても、一目でわかる『破壊など考えないであろう理由』がある。


 こんな強大な生物、たかだかヒトの身で殺せるわけがない。


 ……だが、殺すのだろう。

 水賊『暴風テンペスト』は、これを殺すための準備を整え、ラヴィニアの視点において、そしてシルフ家の首脳の視点において、この巨大な死骸を殺し尽くすだけの可能性を示しているのだ。


「……前世の肉体であれば、首でも斬ってみようかと思っただろうが、この身では──いやはや。単純に巨大な生き物というのはやはり、この小さな手には余る」


 とはいえ千尋は狩りを趣味とはしておらず、まして無抵抗な死体の首を断つ趣味もない。

 罪人を重ねて刀の斬れ味を見せるような催しもやったことはあったが、やった感想は『つまらん』であった。空しくも悲しくも気持ち悪くもなく、罪の意識もなかった。何も残らない。ただ強いてあるとすれば、『無意味なことに時間を割かされた』という思いがあるのみであった。


 だから、死体を斬ろうとは思わない。が……


「あのさぁ、物騒なことを言わないでほしいんだわ」


 どうにもシルフ家当主ラヴィニアからすれば、千尋は『やりそう』と思われているらしい。


 現在、千尋がいるのは『シルフの聖骸』を目の前にした場所である。

 この聖骸はいくつかの川が交わる地点、巨大な湖めいた場所に鎮座している。

 それゆえに、千尋らの『足場』は船である。公爵家の船。巨大な母船があり、それの周囲を中型の船が囲み、さらにその周囲には小型の船がある。


 未だ暗い時間帯なものだから、船の上では篝火が焚かれている。

 水面を滑る風に揺れて、船に映る影があちらこちらにゆらめくのを見ながら、千尋はラヴィニアに「いやあ」と困ったような声を発する。


「やらんぞ、さすがに」

「……『やりそう』な気配があるんだわ。あんたってば、望んでヤバそうな道に行く人でしょ」

「これでも節度は守っているつもりだが──」


 と、弁護してくれる者を探して視線を巡らせれば、暗闇の船上でも元気に体調を崩している船酔い十子とおこを、「なんでこんなところまで着いてきちゃったのかなあ!?」と現状を元気に嘆いている青い猫耳女キトゥンが介抱している様子が見えた。


 どうやら弁護人はいないらしい。

 千尋は肩をすくめ、


「──疑われるならば仕方ない。俺の『敵』は後ろの兎ではなく、前にいると、働きで示そう」


 篝火で乏しい視界だが、敵の気配が近寄ってきているのはわかる。

 千尋は戦いの予感に頬を緩める。が……


 気配などより。

 篝火などより。


 もっともっと、確かなものが、敵の存在がそこにあるのだと、示した。


 その『確かなもの』とは。


 火。

 音。

 そして──


 千尋が、叫ぶ。


「回避運動をとれ! 砲弾・・が来るぞ!」


 ──破壊。


 シルフ公爵家軍の外周を囲んでいた小舟が、突如飛来した金属球──砲弾によって吹き飛ばされる。


 千尋は、笑った。

 これは驚きがついつい引き起こした笑いだった。


「まさか、このちまたでお目にかかるとはなァ……」


 千尋も実際に『それ』と斬り結んだことはなかった。

 だが、千尋の生きた時代には、『それ』の脅威がしっかりと伝わっていた。


 だから、知識にある。


『それ』は──


「砲門を備えた『鉄甲船』!」


 海の上を走る要塞。

 この世界の女どもが決して生み出さぬであろう、神力にも魔法にも拠らぬ……それらを用いることが出来る者からすれば、あまりにも非効率で非合理な……


 性別にかかわらず、誰でも平等に破壊をまき散らせる、兵器だった。

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