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第171話 砲火

 シルフ公爵軍、兵。


 彼女たちは公爵、それも伝統的に戦場で陣頭指揮をとることが多いシルフ公爵家に仕えるエリートたちである。


 公爵というのは言うまでもなく、王を除けば権力の最高峰に位置する家だ。

 上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、女爵じょしゃくという具合に貴族の序列はある。そして公爵というのは基本的に王族の分家であり、歴史を遡れば初代王──『精霊王アンダイン』に連なる、精霊の子孫ということになる。


 公爵は金と土地があって他の貴族家からみかじめ・・・・をとっているから、経済的に強く、練兵に時間と人を割けて、装備もいい。だから強い──という、いわゆる『論理的な』話ばかりではなく、この大陸に住まう者にとって精霊というのは、『実在し、自分たちが振るう力の源となっている神』である。

 その精霊に対する尊崇の念は、他の大陸の者には少しわかりにくいほどだろう。本能的に彼女らは知っているのだ。『自分の力も、今の暮らしも、文明も、その大本には必ず精霊の存在がある。精霊の寵愛を受けるよう努力することこそが、自分たちをより強くさせ、富ませ、盤石にさせる』と。


 ……だから、水賊すいぞく暴風テンペスト』が『精霊の遺骸』──『シルフの聖骸せいがい』の破壊を企図して行動していると実感させられた時に起こった義憤たるや、すさまじいものだった。

 現代日本においては比喩表現として『聖域を侵す』という言葉が用いられることがある。これは『人に踏み込まれたくない精神的、物質的に唯一無二の宝を、無遠慮に横合いから手を伸ばした者に触られる』といった意味合いの言葉だ。その原義の通りの怒りが、テンペストに対して向いたわけである。


 ……が、同時に、精霊への信仰暑い彼女たちは、こうも思っていた。


『精霊を害そうとする者に、精霊を守ろうとする我らが敗北するはずがない』


 アンダイン大陸で生きている者ならば、そう考えて当たり前だった。

 何せ彼女らの腕力も脚力も、それ以上の不可思議な力も、精霊の力を借り受けた上で行使される。


 その精霊を踏みにじろうとする者に精霊が力を貸すはずがない。

 それゆえに、精霊を害そうとする連中への敗北はありえない。精霊に歯向かうならば、精霊はその者らに力を貸すのをやめ、精霊への叛逆を企図した者たちは、男の・・ように・・・弱くなるだろう──そう考えられていたのである。


 ところが。


 轟音。

 風切り音。

 水音。


 水柱が暗闇の中で高く上がり、篝火に照らされて巨大な蛇のような影を落とす。

 そのたび小舟が吹き飛んだ。それどころか、中型の船でさえもその船体に穴を空け、沈んでいく。


「『魔法使い』殿、連中は詠唱をしているのですか!?」


 中型の船に指揮官として乗せられた『魔法杖ワンド』持ちへ、兵卒の女が質問した。

 その声は恐慌しており、軍事的に必要な質問をしているというよりは、この不安な気持ちを少しでも抑えたくて叫んでしまっているという様子である。


『魔法使い』は祈るように彼女の魔法杖──白い宝石のはまった剣の柄を握りしめ、答えた。


「……これは『詠唱魔法』ではない」

「しかし、これだけの規模の破壊ですよ!?」

「繰り返す。これは『詠唱魔法』ではない。それどころか──精霊の力が及ぶ、あらゆる現象、そのどれとも違う」


 さすがにどのようにして起こっているかまではわからないが、『魔法使い』の分析は極めて冷静かつ的確だった。


 この砲火は金属と火薬の織り成す芸術である。

 魔法というクラシックに真っ向から中指を立てるロックだった。


「しかし!」


 兵が求めているのは安心だから、『魔法使い』が正確な分析を語っても、声は高くなるばかりであった。


 ……仕方のないことなのだ。

 この大陸の者たちは『精霊の力』のすごさを生まれた時から生活のそこここで自然と叩き込まれる。

 すべての偉大なる現象は精霊の力ありきで、精霊への信仰こそが自分たちに力を与えると思っている。

 王家の祖は水の精霊アンダイン。その血脈を受け継ぎ、他の四大精霊たるシルフ、サラマンダー、ノームに寵愛を受け、それらと契約をした者たちが公爵家をはじめとする貴族なのだ。


 この世界を語るのに『精霊』を抜きにはできない。


 だというのに、『精霊』を抜きにした力が、精霊を信じ、精霊を守ろうとする自分たちに振るわれ、甚大な被害を出している……


 これはただ単に、『命の危機』ではないのだ。

 命の危機であれば、努力と研鑽をするエリートである公爵の兵たちは恐慌などしない。


 彼女らの前で殺されているのは、アンダイン大陸の常識である。


 自分たちが信じ、その人生を尽くしてきた、この大陸に唯一絶対であると思われた偉大なるモノ……

 それとはまったく関係ない、しかし自分たちに甚大な被害を与える力が振るわれている。その事実が攻撃しているのは、『人命』以上に『歴史』なのだ。


『魔法使い』は考える。


(あの金属の筒、そして金属の大岩……鋳造技術はサラマンダー公の領地のものか? サラマンダー公が、あのような精霊を冒涜する武器の使用をさせている?)


 真実はわからない。


 ……『真実』など考察していられる状況でもない。


 轟音。

 風切り音。

 水柱。


『魔法使い』の乗った船についに『金属の大岩』がぶつかり、船が激しく揺れ、傾く。


「船体に穴が!」


 ……街のそこらに水路が張り巡らされた土地。そこを守る兵たちだ。当然、水泳はできる。

 それに、『シルフの聖骸』のそばの水の流れは比較的穏やかだから、鎧を身に着けていたって、女であれば泳ぐのにさほど苦はない。


 もちろんそれは『船がここまで密集しておらず、暗闇の向こうから砲弾が飛んでこない状況』での話だが。


 シルフ公ラヴィニアの布陣意図として、この密集陣形は相手の詠唱魔法警戒だった。

 詠唱魔法を前にばらばらに布陣していても各個撃破されるのみ。だから、相手の詠唱魔法があったならば、船を用いて布いた陣で、それぞれ配置された魔法使いたちが詠唱し、相手の詠唱魔法に抵抗しようと、そういう算段であったのだ。


 ここに『公』と『賊』との有利不利がある。


 公はあくまでも街や聖骸の守護を考えているため、精霊の力を大量に喰う詠唱魔法を、相手の詠唱魔法に対する防御措置としてしか使えない。

 いくら詠唱魔法の解禁があったとはいえ、それを用いて敵に叩きつけていい、という話にはならないのだ。何せ禁忌の技術である。扱うには節度が必要だ。

『解禁して相手にとにかく詠唱魔法を叩きつけてその威を以て敵を撃ち滅ぼした支配者』を相手に、そこの土地に住まう民がどう思うか、というのを考えればわかりやすいだろう。そんな大量破壊兵器を先制で放つ支配者のもとでなど安心して暮らせない。それがたとえ、庶民と距離の近いシルフ公であろうとも、だ。


 ところが賊はそもそもシルフの聖骸の破壊が目的であるし、『その後のこと』など考える必要がないので、いくらでも大量破壊兵器を用いた先制攻撃をできる。


 ……そしてこの賊の頭目が貴族であるため、『貴族は詠唱魔法への対抗としてしか詠唱魔法を用いない』ということを知っている。


 だから・・・詠唱魔法を・・・・・使わない・・・・


 敵の攻撃は砲火だ。砲火というのは詠唱魔法並みに被害を出すものだ。

 だが魔法ではないのだ。精霊の力を一切使わないのだ。


 この世界、この時代に初めて現れた兵器。

 それに対し、歴史あるシルフ公軍は──


(これに詠唱魔法を撃って、その後の治世はどうなる? 民は我々の行為を認めてくれるのか?)


 ──身動きがとれない。


 通常魔法により抵抗を試みるものの、通常魔法──身体強化や、武器に魔法の刃をまとわせるといったものだけでは抵抗しきれないぐらいに、『砲火』というのは強い。

 しかし詠唱魔法を使っていいかどうかはわからない。


 加えて、シルフ公爵軍は、水賊『テンペスト』もまた、詠唱魔法の使い手であることを知っており……

 このシルフの聖骸のそばで詠唱魔法を使うことで、シルフの聖骸にどう刺激が加わるかを読み切れていない。


 だから、あらゆる意味で詠唱魔法は『相手の詠唱魔法を撃ち消すため』にだけしか使えないのだ。


「『魔法使い』殿!」


 部下の金切り声が聞こえる。

 船が沈んでいくのが、傾きでわかる。


 死がそこまで迫っている中──


(我らは無抵抗で沈んだ方がいいのではないか。いや、しかし、それとも……ともあれ、シルフ公のご下命を待つしか、ない……か)


 ──動けない。


 砲火は続く。

 敵船団が集まってきており、その密度も頻度も増えている。


 無限とも思える砲弾の雨の中……


 シルフ軍は動けない。


 未だ、夜明けは遠い。

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