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第172話 貴族と人斬り

「見ろ! 連中、なんの手出しもできない! 勝ちだ! 我らの勝ちだ! テンペストの勝利だ!」


 そこらで『勝利だ!』という声が唱和される。


 水賊テンペスト旗艦──


 それは、アンダイン大陸の歴史上類を見ない大戦艦である。

 大きさをたとえるならば、ガレオン級に分類されるだろうか。

 全長にして三十六メートル。大砲は側面に合計十四、前後に合計八を備える大戦艦。それこそがテンペスト旗艦『ホワイト・ハインド』号。

 鹿ハインド、つまり角有り・・・の動物の名を冠する、アンダイン大陸の常識からすれば──有角の人種を排斥どころか『浄化』し、歴史的タブーとしてきたアンダイン大陸の歴史からすればありえない名をつけられた未曽有の船であった。


 海から『シルフの聖骸せいがい』へ続く水路へ渡るには、途中でどこか狭い水路に必ず引っかかる。

 しかしこの船はテンペストのアジトである入り江で姿を見せてから、いったんどこかへ姿を消して、気付けばシルフの聖骸に至る広い水路の上に浮かんでいたという代物だ。


 ……もちろん、『商人マーチャント』の特有の魔法による収納・転送である。


 この戦艦の威容。ここに乗れば敵の船がおもちゃの群れのようにさえ見える全能感。

 砲火一つで強力な領主軍が木っ端のように吹き飛んでいく爽快感。

 今まで自分たちを見下していた、自分たちから不当に搾取した者らが手も足も出ない姿を見る優越感──


 そういうものに沸き立つ旗艦で、乖離かいりはただ静かに、アリエルの横に控えていた。


 乖離は新参の外国人である。

 だが、この怪しい眼帯女が、当主にして『家の再興を望む貴族』であるアリエルの横に控えることに、異を唱える者はいなかった。


 乖離の雰囲気は貴人の横に侍るのにあまりにも自然だというのもあり……


 当主アリエルその人が、乖離は気の置けない相手であり、特別な信頼を込めた眼差しを向けているからでもあった。


 そのアリエルの顔を、乖離は見た。


 白髪の女丈夫。背が高くしっかりした体つきをしている、若く美しく強い貴人。

 優れた大きさの胸の谷間で『魔法杖ワンド』がほの白く輝き、彼女の顔を下から照らしている。


 ……微笑ではある、けれど。

 乖離から見たアリエルは、どこか寂し気に見えた。


 少なくとも、沸き立つ配下たちと同じ気分ではなさそうである。


「悩み事ですか」


 乖離は問いかける。

 アリエルは、大騒ぎの中に隠すような小声で、応じる。


「……ええ」

「解決しましょうか」

「……」

「あなたは目標を達成されるでしょう。このまま押し進み、領主兵を蹴散らし、『シルフの聖骸』を破壊し──家を再興する。いえ、家の名を永遠にその歴史に刻む」


 アリエル及び、テンペスト家家臣の目標とされるもの。

 それは『家の再興』だった。


 ただし、一度改易された家である。しかも、王直々の命令によって、すべて奪われ、当主を殺された家である。

 彼女らはもはや、『功績をあげて王に認めていただき、家を再び興そう』とは考えていなかった。


 再興──『再び歴史の中に、その名を記すこと』。


 彼女たちは、『シルフの殺害』によってその目的を達成しようとしている。

 歴史的な犯罪者になることで、テンペストの威を永遠に吹き荒れさせようとしている──


「本当に迷惑な、集団自殺だと思います」


 乖離がはっきりと言えば、アリエルはそこでようやく、心からという様子で笑った。


「乖離、あなたは本当に、言葉を選ばぬ人ですね」

「抜き身であることが信条であるものですから」

「では問いましょう。あなたがそれでも、わたくしに力を貸す。その理由はいかに?」

「あなたが好きだからです」

「……ええと」

「人として、ですよ。私は男装女優──この大陸にもいるでしょうか」

「……いるようですね。わたくしはかかわったことはありませんが」


 そこに若者特有の恥ずかしいような様子を感じ取り、乖離は微笑ましく笑い、


「……そういった者には、興味がない。私は強者との斬り合いを求めるのみですから」

「意図は伝わりました。……しかし、『好きだから』というのは、命を懸けるほどのこと、なのでしょうか」

「そうでなければ、好きとは言わない」

「……」

「命を、人生を尽くして惜しくない相手こそ、私が愛を向ける者なのです。それは、殺し合いの相手も含みますが」

「歪んでいるのですね、あなたも」

「ですが、あなたは歪んでいない」

「……」

「今のこの進撃に思うところがあるのでは?」

「あったとして、どうします? 我らは悲願を達成しようとしている。みな、喜んでいる。みなのために命を使うのが貴族である──というやりとりを、もう一度繰り返しますか?」

「いえ。私が聞きたいのはつまり、こういうことです」

「……?」

「死ぬなら笑って死にたくありませんか?」


 そこでアリエルが呼吸さえ失ったのは、あまりに言葉が胸に突き刺さったからだった。

 抜き身であることが信条と語る女の言葉は鋭く、的確に急所を狙ってきた。


 アリエルは、十数秒かけて、ようやく呼吸を取り戻す。

 だが、微笑を取り戻すことはできなかった。


「……わたくしは笑って死ぬことは、できそうにありませんか」

「そうですね。結果がすべてと言う者もおりますが、やはり、『すべて』なのは、経過なのです。何かの目標を達成しそうな時、胸によぎるのは、『本当に自分は、納得してここまで歩んでこれたかどうか』だと思います」

「何か、納得できない、後悔するようなことに経験が?」

「生きていればいくらでも。……というのは誠実な答えとは言えませんね。白状しましょう。幼馴染のことで、後悔しています」

「……それは?」

「私は幼馴染にもらった刀で人を斬り、それ以来、人斬りとして生きてきた。人を斬ったことも、その後人斬りとして生きていることにも、後悔はない。ただ……私が言葉を尽くさなかったせいで、幼馴染が道を迷い、長らく鍛冶師として死んでいた。そのことだけは、後悔しています」

「その幼馴染は、今……?」

「持ち直しました。結果だけ見れば、あいつは本来歩むべき道に戻り、私の、まともな鍛冶師として生きて欲しいという願いも叶った。しかし、経過がよろしくない。だから未だに、後悔している。あいつの数年を、私のやり方が奪ったことは、間違いないので。もっと他のやり方があったのだろうと、後悔します」

「……」

「生きればこうして振り返ります。そして、死ぬ瞬間にもきっと、振り返るでしょう。……あなたは笑って死にたくありませんか?」

「……わたくしは、家の再興をするべきだと考えています」

「知っています」

「そのために手段を選ぶべきではない。というよりも、手段を選んでしまえば、シルフ公には絶対に敵わない。我ら水賊はきっと、領主軍に敵わないだろうと、そう思うのです」

「……知っています」


 そこから、アリエルは語るのに少しばかり沈黙した。

 けれど、もはや、止まらなかった。


「けれど、わたくしとシルフ公とならば、わたくしが勝つこともありうるのではないかと、そう思えてならないのです」

「……」

「このように兵器を用い、相手の大規模破壊のための魔法を封じた中で、剣を交えずに勝利する──なるほど、正しいのでしょう。確実なのでしょう。しかし……貴族として家を再興せんと願うならば、それなりのやり方があるとも、思うのです。堂々とシルフ公と一騎打ちができれば、どれほどいいかとも、思うのです」

「く」


 乖離がそこで漏らした声は、笑いである。

 すぐに口を押えて「失礼」と言う。


 だが、アリエルは、たずねた。


「今のは、どういう……?」

「いえ。……本当に失礼な物言いになってしまいますが──共感できすぎて、笑ってしまいました」

「……」

「人生の大一番ならば、華々しく強敵と戦いたい。その結果であれば、こちらが負けようが、笑って死ねる。……本当に、共感できるのです。ですが私は、人斬りであり、貴族ではない。だから、失礼にあたるかと」

「……わたくしは、人斬りのような考え方をしてしまったのですか」

「ですが、あなたは貴族だと己を定義した。貴族は家と領民のために生きる。それは、経過よりも結果を優先するということ──そうですね?」

「……ええ」

「であれば、私の行動も決まった」


 乖離は背負っていた剣を抜く。


 その銘は『乖離』。

 すべてを斬り裂き、あらゆるものを分断する。希代の名工、十子とおこ岩斬いわきりの処女作。


 乖離は剣を持って、アリエルに向かい合う。


「水賊『暴風テンペスト』、この時を以て離反させていただきます」

「……理由を問いましょう」

「あなたのために」

「……」

「貴族のあなたには共感できない。だが、人斬りのあなたには共感できるし──応援したい。あなたのその純粋な気持ちを守りたい」

「どうするつもりですか」

「こうするのです」


 乖離が刀を振り上げ、振り下ろす。


 アリエルは反応できずに、立ち尽くす。


 その行為の意味とは──

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