「貴族のあなたには共感できない。だが、人斬りのあなたには共感できるし──応援したい。あなたのその純粋な気持ちを守りたい」
「どうするつもりですか」
「こうするのです」
乖離が刀を振り上げ、振り下ろす。
アリエルは反応できずに、立ち尽くす。
その行為の意味とは──
──船の、破壊。
乖離は
……しかし。
乖離の髪は黒であり、目も黒い。
天野の里のすべての者が、目と髪が橙色というわけではないのだ。
橙色の髪と目を持つ者は鍛冶師として育てられる。……
一方でそうではない者は、里の雑用をしたり、里を守護したりという役割をこなせるよう育てられる。……乖離のように。
だからこの一撃は、特別なものではなかった。
女であれば誰でも出来るものでしかなかった。
刀と己を神力で強化し、思い切り剣を振るう。
たったそれだけの一撃が──
──仮に、橙色の髪と目を持って生まれていれば、十子と競う鍛冶師になったであろうと言われる乖離の莫大な神力で放たれた。
船に、突き刺さる。
否、斬り裂く。
刀より長いもの。鋼より硬いもの。
それを斬り裂く、この世界特有の力。妖術使いと言われる千尋とはまったく別種、属性もなく、特殊な身体運用に頼らず……
ただ強い女の剣が、戦艦を真っ二つに斬り裂いた。
船が左右にズレて、沈み始める。
乖離は、さすがに神力を使いすぎて息を切らせながら、眼帯に隠れていない方の目でアリエルを見た。
「頼みにしていた兵器が、壊れてしまいましたね」
壊したのは言うまでもなく、発言者である乖離だ。
アリエルは──
「ふっ……あはっ、はは、あはははははは!」
──笑った。
我慢しきれないように体を揺らし、涙さえ浮かべて笑った。
周囲の
大笑いをどうにか鎮めたアリエルは、真っ白い髪をまだ揺らしながら、口を開く。
「乖離! ああ、乖離! なんということをしてくれたのですか! 『ホワイト・ハインド号』は、我らが公爵軍に勝つために必要な兵器だったというのに! 魔法の力に拠らない──遠くから一方的に公爵軍を叩き潰せる、『勝利』そのものであったというのに!」
「申し訳ありません」
「……これではもう、残る我らの『勝利の目』は一つだけになってしまいましたね」
アリエルはようやく笑いを完全に収めて、息を吸い込む。
背筋を伸ばしたその顔は、火薬が衝撃で爆ぜでもしているのだろう、内部から噴き上がる炎によって照らされて、笑みが残っているのを集まる視線に示していた。
「みなさん。……我がテンペスト家の再興を望み、我が家に忠義を尽くす、みなさん。我らの最後の希望たる兵器は壊れ、我らの優位はなくなりました」
まだ、何を言われているかわからない、という様子だった。
だがアリエルはかまわずに言葉を続ける。
「我らはこの兵器に頼り、『結果』を出すことが出来たでしょう。命を賭してシルフ家を倒し、シルフの
そこでようやく、周囲が言葉の意味と状況を把握し始めたようだった。
うろたえ始める。叫び始める。
「どうすればいいのですか!?」「その女を殺せ!」「我らの希望が……テンペスト家の再興が……!」
慟哭があり、悲嘆があり、絶望があった。
得られると思っていた勝利が遠ざかったのだから、当然の反応だった。
アリエルは人々の声に耳を傾けた。
そして、
「しかし、この兵器に頼って結果を出したとて、それは『貴族としての勝利』と言えるのでしょうか?」
声には力があり、迷いがなかった。
届く者の言葉を止め、話に集中させる力があった。
アリエルの微笑には──
もはや、陰はなかった。
「勝利は確かに大事でしょう。目標達成を軽んじるのはよろしくないことです。……しかし、我らはなぜ、家を再興したいのでしょうか。我らはなぜ、このように野蛮な手段をとってまで、名を後世に遺そうとしているのでしょうか? ……我らは不当に奪われたからです。奪われるべきではないものを、奪われたからです。それを取り戻すために声をあげ、活動をしているのです。……我らの怒りは、貴族の怒り。正しくない王への
アリエルの胸の谷間で、ペンダント型の『
「貴族らしく勝利しましょう。最新兵器になど頼らず。勝ち目のない戦いだとしても。魔法と剣技を以て、シルフ公を、貴族として打ち倒すのです」
まだ困惑があった。
まだアリエルの言葉をくだらないおためごかしだと思ってしまう心があった。
そういう者たちに、アリエルが突き付けた言葉は──
「堂々と戦い、シルフ公に勝利します。ゆえに、このアリエル・テンペストの勝利を信じる者のみ、ついてきなさい」
それは突き放すような言葉だった。
これまで『家の化身』として無私の働きをしてきた少女である。ただただ亡国の臣がため、家の『再興』をしようと、その目的に徹しようとしてきた貴族である。
もともと、輝かんばかりに美しかった高貴なる少女。
それはこの時、誰もの目を焼く輝きを得るに至った。
……家を出て、歩き始める。
家の化身こそが貴族。家のためにすべてをなげうつ、家の端末こそが貴族。
誰もがそう思っていた。
だが、ただ一人で家を出て歩き始めた少女は……
誰もが膝をつくほど、圧倒的に、高貴なる者だった。
理屈では、ない。
言葉の意味を理解していた者も、そう多くはないだろう。
ただ、迷いを振り切った高貴なる輝きに、みな、ひざまずいた。
アリエルは、乖離を見る。
「乖離、この時よりお前は、わたくしに……テンペスト家に仕えなさい」
「水賊を裏切って唯一の兵器を壊した者ですが」
「であるから挽回の機会を与えるのです。我が前に立ち、シルフ公までの道を空けなさい」
乖離は、こらえきれないように口角を上げた。
「承知。あなたの露払いは、私が請け負います」
……兵器による完全なる勝利を捨て、水賊どもが──
否。
貴族軍が、進む。
シルフの聖骸を巡る戦い、かくして最高潮へと至る。