「これは──大変なことになってきたんだわ」
ラヴィニアは苦笑した。
敵の最大の兵器は破壊された。
船体は左右に真っ二つになり、船首を上に向けるようにして沈み、先ほどまで降り注いでいた『鉄の大岩』の雨はもはややんでいる。
戦闘は白兵戦に移っていた。
互いが互いの陣地から船を進め、ぶつけ合い、互いの船に乗り込み、斬り合う。殴り合う。相手を水に沈め合う。そういう、泥臭い戦いに、なっていた。
最新兵器はすでになく、詠唱魔法を用いた華麗にして豪壮なる魔法戦もない。
ただただ通常魔法──身体強化だの、刃や衝撃をまとうだのというものを用いての殴り合い。最新でもなんでもない、古代から女どもがしてきたような、戦いだった。
この戦いになれば、兵力と財力で勝るラヴィニア・シルフ公爵軍が強い。
相手はいかに『裏からの援助』を受けていようとも、
だから、この公爵軍と戦いになる者があるとすればそれは──
使命を背負った貴族軍に、他ならない。
激闘。死闘。苦戦。
敵の最大の兵器が破壊された。すなわち攻め時である。
だからこそラヴィニアはすでに旗艦を降りている。だから、彼女のやや前方に『最前線』はあった。
その最前線で起こっているものこそ、『戦い』である。
戦争ではない。蹂躙でもない。討伐でもなく、ただの治安維持業務でもない。
戦い、だ。
味方が攻める。
敵がそれ以上の勢いで攻め寄せる。
味方が持ちこたえきれず、水の中に落ちていく。
数に劣るはずの敵が、龍の鱗のように水路に並ぶ小舟を飛び、伝い、どんどん前線を押し込んでくる。
士気と勢いが戦力差を覆している。
これこそが、戦いだ。
とはいえ──
(敵さん、やぶれかぶれじゃあないね。最大の兵器が壊れて、むしろ、奮起してる。……
そうなるためには、貴族がカリスマを示す必要がある。
命を懸け、人生を懸け、それでもなおこの人のために死ねるなら光栄だと部下に思わせる『格』を示す必要がある。
敵は『格』を示したのだろう。
で、あれば──
「公爵家当主が、『格』で敵に負けるわけにはいかないんだわ」
ラヴィニアは、両手に握ったダガー型
そうして、ダガーの一つを肩越しに背後へ切っ先が向くほどに振りかぶり──薙ぎ払う。
風が吹いた。
それは他者を吹き飛ばし荒れ狂う
ただし、誰もが風上を見てしまう、圧倒的な存在感を持つ威風であった。
注目を集め、ラヴィニア・シルフは静かに前を見据える。
「者ども」
小柄な彼女の、幼い声。
だがその声には耳に触れるだけで背筋を震わす重さと存在感がある。
ごっ、ごっ、ごっ、という音は、高まる魔力に応じて吹く風。それによってあたりの小舟が揺れ動き、ぶつかる音だ。
それは居並ぶ軍勢が足を踏み鳴らすように勇壮で、規則的だった。
その音のみが存在を許された、鉄火場の戦場に不意に訪れた静けさの中。
シルフ公ラヴィニアは、
「シルフに勝利を」
そう述べる。
本当にただそれだけだった。
呼びかけ、勝利をと言う。それだけ。
だが、それだけのことで、押されていた味方が気炎を上げ、盛り返す。
一瞬の静寂のあと、爆発的な声と音が響き渡り、前線が再び敵側に押し返される。
これが歴史の力。伝統の力。
正統なる公爵。最前線に立ち続けることを伝統とする武門の当主の秘める『威』である。
ラヴィニアは、爆発するように声を上げ進み続ける味方の中を、ゆったりと前へ進む。
一方──
そのラヴィニアに向けて、こちらもまた、ゆったりと近づいてくる者があった。
その者の進路上にいる者ども、何かに弾き飛ばされ、吹き飛ばされている。
紛れもない『暴』。……だがしかし、その者の露払いをする眼帯女よりもなお、後ろからただ楚々とした歩みでついてくる者の方にこそ、ラヴィニアは濃厚な『暴』の気配を感じてしまうのだ。
その者、
大柄な白髪の女、アリエル・テンペストが、
暴風のように、大いなる嵐の目のように、静かに近づき……
ラヴィニアを視界に捉え、微笑んだ。
ラヴィニアもやはりゆったり進む。
すると、彼女の歩む先に自然と道が出来ていく。敵が接近だけで気圧されて鈍り、味方がその気配を背後に感じただけで奮起し孟優を振るう。
圧倒的なる威風。ラヴィニアが堂々と進む。
暴たるテンペストと、威たるラヴィニア。
その二人がついに、互いに声が届く場所まで、たどり着く。
……気付けば周囲の戦いは止まっていた。
この絶大なる存在感を持つ二者に、周囲一帯が注目している。
『暴風』が告げる。
「ラヴィニア・シルフ公爵。あなたに一騎打ちを申し込みます」
『威風』が肩をすくめる。
「やってあげる理由はないんだわ。──でも、やろうか」
「公の
「あたしだって相手は選ぶ。あんたは選ばれるだけの格があった。そんだけだよ」
テンペストが
ラヴィニアがダガーの柄頭を揃えるようにして体の前に構える。
暴風の胸の間で、ペンダント型魔法杖が白く輝き……
威風の手の中のダガーにはまった白い宝石もまた、呼応するように輝く。
ラヴィニアは、言った。
「先を譲るよ。名乗りな」
テンペストはにっこり微笑み、
「……我が家。精霊王アンダインの御代に興った名家なれど、晩年、経営・政治において失態を犯したとの理由で、王より
「……」
「けれど、その血は今、ここにございます。我が名、アリエル・テンペスト。『暴風』の名を授かりし家、武威を以てすべての敵を吹き散らす家の最後の当主──」
「……」
「──もはや背負うべき過去は記録の上になく、誇るべき歴史も永遠に消し去られた。ゆえにこそ、この身を以て示しましょう。我が家の武はここにあり。暴風は未だ死なず。我が風は、シルフさえも呑み込むと!」
名乗りが魔力を高め、アリエルの周囲を暴風となって逆巻く。
魔法ではなかった。ただ、今の名乗りが、シルフに届いた。……己を殺そうとする者の名乗りが、精霊の寵愛を引き出すに至ったのだ。
ラヴィニアは、表情を引き締めようとして、あきらめた。
こんなの、笑いをこらえるのは無理だ。
だって──あんまりにも、誇らしくて、楽しい。
『真の戦い』が、ここにある。
武人として、うずきを抑えるのは、無理だった。
だから、名乗りの法則からは外れるが……
はやる気持ちから、ラヴィニアはこう述べた。
「我が名、ラヴィニア・シルフ。──暴風を止める威風なり」
家の興り、先祖の功績、近年あった大事件、来歴。
貴族の戦いの名乗りはそういうものを長々と語るものである。
だが、今のラヴィニアの気分は……
「剣撃を以て我が名乗りとしよう。いざ、尋常に」
──早く、
公爵家当主は、戦士としての衝動を優先した。
暴風は、それを微笑みで歓迎し、
「──勝負!」
フランキスカとダガーがぶつかり合う。
戦いの大一番が始まる──
──その、時に。