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第176話 商人と人斬り

「どうしてワタクシの居場所がわかったのでしょうねぇ?」


商人マーチャント』の問いかけは、心の底からの疑問でもあった。


 ……『角有り』のアンダイン人。

 黒いスーツを身にまとった、出るところが出て、引っ込むところが引っ込んだ、見事なスタイルの女。


 そいつは未だ明けぬ夜の闇に紛れるように、シルフ公爵軍の船を抜けて、全軍突撃のためにほとんど空いた本陣……


 つまり、『シルフの聖骸せいがい』のそばにいた。


 ほのかに白く輝くような、巨大な兎の死骸である。

 だがそれは雪の積もった山のように雄大で、ただの死体ではありえなかった。死んでいるというのに、まだまだ強い力を秘め、二度と動かないことが確信できるというのに、今にも動き出しそうなほどの生命力を感じさせた。

 今は特に、『精霊の血管』が潰されたことで、その莫大なエネルギーは、この聖骸に集まって、より強大な力を放っている。


 商人は、目の前にいる二人の外国人・・・へと、問いかけを続けた。


「普通、ここまで危険な状態になれば、さっさとどこかへ逃げ去ると、みな、思うでしょう? だというのに、なぜ、ワタクシが、こんな──爆発寸前のシルフの聖骸のそばに来ると、思ったのでしょう?」


 二人の外国人──


 宗田そうだ千尋ちひろ乖離かいりは、同時に笑った。


 視線で発言を譲り合うような間があり……


 千尋が、声を発する権利を獲得した。


「何、おぬしが現場主義であり、一番の決戦を台無しにする邪魔者だというのを、天女教総本山で知っているのでなァ」

「……」

「それに、転移能力──という名でいいのか? どうにもな、ラヴィ殿をはじめ、この大陸で使われる魔法についてある程度の常識がある者は、おぬしのその力を、どうにももっと、不便なものと思っている様子がある。……瞬時に準備なく、大陸と大陸の間を渡れるほどの力だと認識しておらん様子なのよ。だから、ここは無警戒であったのだろう」


 とはいえシルフの聖骸の守護が役割であるから、最低限の警戒はされている。

 だがしかし、ラヴィニア・シルフは、敵の兵器がなくなったタイミングで、敵の『軍』を殲滅することを優先した。


『軍』もまぎれもなく脅威であったし……

 軍に紛れ込んだ『商人』を探し出すつもりも、あった。


 魔法的な常識がある者ほど、『商人』の転移という力に、距離的、重量的、準備時間的制約があるものと、無意識に判断するものらしかった。

 だが天女教総本山で実際に見た千尋は知っている。


 この女の能力は、はっきり言って、反則チートであると。


「あとな、おぬしの気配、やはり独特だぞ」


 千尋が付け加えた言葉に、商人は「へぇ?」と反応した。

 片繭を上げるようなその顔にあるのは、千尋が言いたいことへの興味と、かすかな不愉快さが混在している。


 千尋は鼻で笑う。

 彼らしからぬ、あまりにも敵を挑発するような顔だった。


「俺の嫌いな気配だ」

「……」

「うむ、こうして向き合って改めて確信した。……貴様は、『戦い』をないがしろにする者だ。『戦い』を隠れ蓑に、己の目的を叶えようとする者だ。誰かと誰かが大事なものをぶつけ合っている最中に、こそこそと動き回り、すべてを台無しにする者だ。……世の中はな、貴様のような者が『賢い』とされる。経過がどうあろうが、誰を出し抜こうが、己の目的を達成する者こそを、『賢い』とするのだ。俺も、異論はない。だが……」


 そこで千尋は言葉を探した。

 しかし見つからなかったので、笑った。


「……俺は、嫌いだ。誰かと誰かの魂がぶつかり合うその瞬間に価値を感じられぬ者とは、分かり合えぬのよ」


『商人』は──


 こちらも、笑った。


「ワタクシも、あなたたちのような者のことは、嫌いでございますね」


 もともと、目が笑わず、口元にだけ張り付けたような笑みを浮かべている女である。

 だが今は、その口元の笑みさえも、なかった。

 感情の抜け落ちたような顔のまま、『にこやかな声』で、語る。


「経過にこだわり、達成感にこだわり、美学にこだわる。……己がそういう『贅沢』を許される立場であり、それが得難いものであると気付かぬまま、他者にまでその『こだわり』を強要する。ご存じないのでしょうね。『経過』にこだわることができるのは、生まれついて強い者のみであると。『何がなんでも結果を出さねばならない』という立場に追い込まれたことのない、強者の傲慢であるということを」

「何があった?」

「関係ありますか?」

「……」

「歩む人生が違いすぎた。そして、立場が対立している。……お前たちみたいな連中と分かり合うことも、話し合うこともない」


 商人の背後で空間がゆがむ。

 中空に、砲門が現れる。


「私は平等を求める。強者と弱者が均等な機会を得て、弱者が『弱い』というだけですべてをあきらめなくともいい世界を望む。そのために邪魔になる強者は──我が『平等を実現するためのもの』が、消し飛ばす」


 千尋は、笑う。


「いい顔をするではないか。……少しだけ、貴様のことが好きになってきたぞ」

「そうですか。こちらは話せば話すほど、お前のことが嫌いになりますよ。……臭うんですよね。『強者』の臭い。生まれつき優れていた者の臭い。どのような苦境も、なんだかんだと越えられる者の臭い。経過にこだわり結果を出せる者の──そういう、傲慢な臭いが。鍛えれば鍛えるほど強くなり、努力すればその報いを得られる。そういう、『当たり前に成功する者』の臭いが!」

「このちまたでそのように扱われたのは初めてだ。さりとて、『お前が強者だから、戦わない』というようにも見えんな」

「お前が強者だから、私はお前を殺す」

「よろしい! では──蹂躙してやる、弱者よ」

「抜かせ!」


 砲門が火を噴く。


 千尋と乖離が同時に、違った方向へと跳ぶ。


 商人と乖離、そして千尋。


 貴族と貴族との戦いの裏で──


 人斬りどももまた、戦いを始めた。

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