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第178話 『経過』と『結果』

 威風。


 ラヴィニア・シルフ。

 真っ白い髪の上に、かわいらしく立った兎耳を備えた、小柄な女性。

 少女、と言ってしまいたくなるほど幼い。手足は短く、手は小さい。顔立ちは幼さがあって、声だって、子供みたいに高い。


 アリエル・テンペストは、このかわいらしい女性に、こう思う。


(なんと勇壮な武人でしょう)


 たった二人が、戦っている。

 無数に並んだ小舟の浮かぶ場所。周囲を互いの配下が囲み、見守る場所。

 じきに迫る明け方が夜の闇の向こうに薄紫色の光を発し始め、二人の戦いを彩る水路の途中。


 戦いの音が、耳をつんざくほど響いている。


 投げ斧フランキスカが周囲を飛び回り、さらにアリエルの手によって振るわれる。

 対応するのは子供のような女性が、たった二つ、両手に一つずつ持ったダガーのみ。


 だが、その防御を抜けない。


 魔法によってフランキスカを操り、手に持ったそれを持ち前の体格から振り下ろすように打ち付けても、さばかれ、いなされ、あるいは受け止められることさえある。


 小さな女の子──などとは、最初から思っていないつもりだった。

 だが、認識が甘かった。


 テンペスト家の再興を前に立ちふさがるラヴィニア・シルフ。


 それは巨大な嵐。暴風を呑み込む威風である。


 ……もともと絶望的な戦いだった。

 ただ『結果』だけを求めて兵器に頼った。頼らなければ、ほんのわずかな希望さえ、見えなかった。


 滅びた家に仕える忠臣たちのみで構成された水賊すいぞく

 ……と、言ってしまえば聞こえはいい。けれど、違うのだ。実情は、そんなに気高い集団ではないのだ。

 テンペスト家が滅びた時に、当主に近い位置にいたために他の道を選べなかった者。あるいは、新しい環境に身を置いて一からやり直すことができなかった者。もしくは、そもそも『やり直すべきかどうか』さえ考えることができず、ただなんとなくついて来てしまったもの。


 結果的にテンペスト家の再興を目指す志士ではあった。だがその実情は、『もう、そうするしかない者たち』という方がふさわしい。


 再興という結果を求めて。

 でも、まともな『再興』など叶うわけがなくて。

 だからせめて、『名を遺そう』と目指して。

 そのために『名を遺す』という以外のすべてをなげうって。

 ……そうして、全部なげうってまで手に入れた『兵器』を失い、もう、どうしようもなくなって……


 前を向くしかなかった。

 自分に懸けるしかなかった。


 ……この醜く迷惑な紊乱びんらん行為を、美しい騎士道の物語にせねば、とても耐えきれなかった。

 そういう者たちの集まりである。


 経過にこだわっていられるほどの余裕などない。

 ただ『賊』として滅びる未来しかない、でも、『賊』と扱われて滅ぼされるぐらいなら、死んだ・・・方が・・マシ・・と思ってしまった。……最後までプライドを捨てられなかった愚か者どもなのだ。


 もちろん、


(わたくしも、『そう』なのでしょうね)


 貴族の家に生まれた。

 家が滅びても、貴族として期待された。

 その期待を背負う物語に酔っていたのだと、思う。彼女らを見捨てられなかったのは、とうとい者としての責務ではない。乖離かいりには格好つけて語ってしまったが、ようするに、他にどう生きていいか、他に格好いい死に方があるか、それがわからないから物語に酔っていた。それだけのこと、なのだろう。


 誰よりも『結果』を求め、手段を選ばない行動をしながら──

 その本当に求めるところは、『経過』にあった。


 だから、乖離の言葉は突き刺さったのだ。


 それは、巨大な『威風』、ラヴィニア・シルフを打倒しうるモチベーションを生むのか?


 実際に戦ってみればみるほど巨大な壁としか思えない、この貴族の中の貴族を前に、膝をつかず、命乞いをしないだけの勇気を生み出してくれるのか?


(勇気には、なりませんわね)


 結局のところ『なんか格好よく死にたかっただけ』の集団だ。

 こうして真に強大で気高いものに阻まれれば、打ちのめされ、冷静になる。

 自分は何をしているんだろうという気持ちが今さら、腹の底から湧き上がってくる。


 ……でも。


 勇気は出ない。勝てる気がしない。モチベーションも尽きかけている。

 それでも──


「『ここであきらめる』などという格好悪いことは、今さらできませんわね!」


 格好つけて死ぬ。

 馬鹿みたいだ。


 でも、その馬鹿に命を懸ける価値を感じている。


 ラヴィニアが風をまとい、攻めてくる。

 なんと恐ろしい女なのだろう! 視界の中でかすむほどの速さ。小柄だから軽いかと思えばまったくそんなことはなく、魔法により刃にまとわされた風は近づくだけでこの身を刻む。


 フランキスカを操り舞わせている。だというのに、死角から己を狙う斧の動きを完全に読まれている。

 むしろアリエルの方こそ、己が操作するフランキスカに振り回されていた。


 年季の差。

 修練の差。

 ……背負ったものの、差。


 ラヴィニア・シルフは貴族の中の貴族だった。


 格好つけたいだけの若者が、家の再興といういかにも重大そうなお題目を唱える自分に酔っている酔客を従えて殴り掛かっていい相手ではなかった。

 絶望的。


 ……だからこそ・・・・・


「あなたに勝ちます、シルフ公」


 なぜなら、


「絶望的な戦いを制して勝利を得られたならば──最高に、格好いいでしょう?」


 その言葉に、ラヴィニアの表情がゆるむ。

 動きは、まったく緩まない。


「『格好いい』だなんて夢を叶えさせるために負けてやるほど、あたしの背負ったもんは軽くないんだわ!」


 わかっている。


 吹き荒れるような攻撃。

 アリエルの身に傷が増えていく。


 押し負ける。

 速さでも勝てない。


 魔法の出力では及ぶと思っていた。恐らく、離れた場所での詠唱魔法の撃ち合いであれば、分けるのだろう。

 だが、背負ったものが違う。それがそのまま修練の密度と期間になり、実力差になっている。


 フランキスカが、撃ち落される。


 一本、二本、三本、四本。

 魔法の力で強化された斧たちが断たれ、地に落ちていく。


 手にした二本のうち一本を投擲。

 ラヴィニアは突っ込んでくるように加速。


 フランキスカがラヴィニアの耳に切り込みを入れながら通り過ぎる。

 突っ込んできたラヴィニアに、最後の一本で対応する。


 アリエルの胸にある魔法杖ワンドが──

 ラヴィニアのダガーにつけられた白い宝石が──


 まばゆいほどの光を放つ。


 ──金属音。


 静寂。


 まばゆい光が消えたあと、周囲にいる兵どもが見たのは、交差し、互いに背を向けた状態で立つラヴィニアとアリエルだった。


 次いで……


 まず、ラヴィニアのダガー、二本あるうち一本の刃が、半ばから断たれ、船の上に落ちた。


 ……そして。


 アリエル・テンペストが、前のめりに倒れこみ、彼女がいる小舟に、血があふれ出した。


 決着はついた。

 ラヴィニア・シルフが勝利し……


 アリエル・テンペストが、敗北する。


 ラヴィニアはどっと汗をかき、息を切らせ、背後を振り返った。

 倒れ伏すアリエルに向けて、


「……テンペスト家は歴史から消されたけど、この一戦はウチの史書に記さないわけにはいかないんだわ」


 はなむけというには、あまりにも独り言めいて語る。

 ……それは、水賊に堕ちた敵へ向けるには、とてつもない賞賛だった。


 こうして、水賊暴風テンペストの頭目は倒れ、すべては解決──


 ……とは、ならない。


 どくん。


 大地が脈動する。

 背後で何かがざわめいている。


 ラヴィニアが視線を向けると、そこでは──


「──まずい」


 シルフの聖骸せいがいが、不気味に、強く、白く、発光しているところだった。

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