目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第179話 神と人

 震動。


 それを起こしたのは、これまでの砲火に慣れてしまった宗田そうだ千尋ちひろからすれば、あまりにも小さな爆発だった。


 シルフの聖骸せいがい──

 目を閉じ、耳を伏せ、ただそこにある、巨大な白兎である。

 明け方の空よりはまばゆく、昼の日差しの中では目立たぬ光を放つ、そういう物体である。

 遠目に見れば雪の積もった山にも見えよう。……それが湖面に唐突に出現しているという以外には、どこにでもありそうな、うっかりすればそれが『シルフの聖骸』とは思われない、そういう山に、見える。


 少なくとも、見た目はそうだ。


 だが、その気配は濃厚で強壮な生命力を伴うものだった。


 それを襲う、小さな爆発──


(火薬の臭い)


 千尋の鼻をついたのは、これまでの砲火に混じってわかりにくい、けれど、新しい火薬の臭いだった。

 独特の乾いた辛い臭い。


 だがしかし、その程度の爆発で、一体何ができるというのか?

 これだけの生命力を持つ『シルフの聖骸』。山のように巨大なそれが、たったこれだけの爆発で揺らぐものか。揺らぐならば、今までも危機に陥っていたはずだ……


 だが。


 神力しんりき、精霊力あるいは魔力。

 それを見ることに長けた乖離かいりには、その爆発の結果が予想できた。


「まずい。破裂・・する」


 その言葉を皮切りにしたかのように、シルフの聖骸が震動を始める。

 揺れはだんだん強くなり、次第にただ立っているのも難しい有様になっていく。


 ……明らかに、『何か』が始まる。

 甚大な被害をもたらす、『何か』が。


 千尋は、次第に光を強めていく『シルフの聖骸』を見上げながら、乖離へと問いかける。


「逃げるか?」

「いや、間に合わん」

「ではどうする?」


 どうする、と問いながらも。

 ……『剣神』と呼ばれた男は、この事態を解決するための──


 逃げることは到底間に合わない脅威に対し、できること。


 千尋は、乖離の答えを待たずに、こう提案した。


「斬るか」


 乖離は、千尋に並んで答えた。


「ああ、斬ろうか」


 二人して剣を構える。


 震動が強くなる。光が強くなる。

 ここから先に壊滅的な破壊が待ち受けているのが、直感でわかる。


 これをどうにかするために『斬る』とは、どういうことなのか?

 この巨大な物体が、『精霊の血管を潰す』ことでエネルギーをさんざんため込まされた、アンダイン大陸中に『風の精霊力』を行き渡らせるほどの聖跡が、剣の一本や二本でどうにかなるなど、ありうるのか?


 千尋と乖離、そのあたりのメカニズムについて、もちろん──


 何も知らない。


 何も知らない、が。


 逃げても間に合わないもの。

 自分を殺すもの。


 これに対して剣で向き合う以外の方法を知らない。この二人は、人斬りであった。


 相手が女だろうが男だろうが。

 人だろうが兵器だろうが。

 シルフの聖骸だろうが──


 斬ることによってのみ、生きていく。

 結果はどうあれ、斬るという経過をたどることだけは、どのような状況でも、最初から決めている。


 そうしてたどり着いた『果て』が自分の生命を失うものであっても、後悔しない。

『ただ全力で斬った』という実感によってのみ、自分が生きている感触をつかめる者ども。

 それこそが、人斬りである。


 乖離が思い切り、長刀を振りかぶった。

 刃が白く発光する。それは、テンペスト旗艦を左右に両断した時よりもなおまばゆい輝きだった。


 千尋が剣先を地面に垂らすように構える。


 男の剣。

 乖離のように神力もない。この山のような巨大物体を前には、振る意味など感じられない、爪楊枝にも等しい頼りなさの剣。


 だが──


(相手が『生物』ならば、その『生命』を断つ)


 生き物を殺すのに、派手に両断する必要はない。

 命に届く刃は、重くもなく、鋭くもない。

 剣の重さに従い、腕の振られるまま、相手の命を見て、これを断つ。


 千尋は、笑う。


(いやしかし、このちまたは本当にいいところだ。『刃の通らぬ人体』『軍を成した者ども』『不可思議な妖術を用いる者』──それに加えて、『身の丈をはるかに超える巨大な獣』まで斬る機会を与えてくれるとは!)


 千尋は暇をもてあました妄覚もうかく者であった。

 様々なシチュエーションを想定した。様々な強敵を妄想した。


 その中に、巨大な獣を相手取ったもの──もちろん、ある。


 ……剣神だのと呼ばれ、味方からは尊崇の目を向けられ、敵からは畏怖の目を向けられた。

 多くを指導し、その人格を褒め称えられた。


 だがしかし、千尋本人は……


 他者から『老成』を求められる年齢となっても、あらゆるものを斬る妄想をし続けた、剣を持ったばかりのガキのころから何一つ成長していなかった。


 だから、斬る。


 乖離が『シルフの聖骸』の胴体へ向けて、刀を振り下ろした。


 千尋は……


 滑るように進み、高く飛び上がる。


 そして、宙の最高点に至って、シルフの聖骸の、眠るように垂れた首めがけて、刀を振り下ろす。


 山を斬る。山のように、巨大な獣を斬る。

 ただ体がそう求めるまま、もっとも力の出る斬り方を選んでいた。


 奥義でさえない、初めて剣を手にした子供がめちゃくちゃに振って遊ぶような一撃──


 果たしてそれが、効果を発揮したのか、どうか。


 刃がシルフの聖骸の首に食い込む。

 おおよそ皮や肉ではない。風だ。吹き荒れる暴風雨。その中に、着物を広げて立つ。すると感じる風の圧力。それが、刃を跳ね返そうと、ぐぐっと押し込んでくる。


 尋常の刀で嵐を裂くことはできない。


 だが、この手にある、桜色の刃を持つ刀──


 人の身で、神の力を断つための刀である。


 ぶつりと引き裂く感触。

 圧力をさらに強く圧し、降すような感覚。

 久々に己から感じる『力強さ』の中……


 シルフの聖骸が強く、強く発光し、そして──

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?