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第180話 シルフのいない港街

「俺の剣は、シルフの命に届いたかどうか」


 生きている。


 宗田そうだ千尋ちひろは生きている。

 だが、満身創痍まんしんそういである。


 あの、明け方──


 シルフの聖骸せいがいが輝き、今にも破裂しそうになっていた、あの明け方。

 太陽より先に昇りかけていた真っ白な、絶大なる破壊を伴う光。


 それは、止まった。


 乖離かいりと千尋、二人で斬りこんで、シルフの聖骸の中にあったエネルギーが破裂し、吹き荒れるのを防いだのだ。

 だが……


「もしやアレを殺したのは、乖離、お前一人の手柄だったのではないかと、振り返れば思うのだ」


 千尋はそばに座る乖離に声をかけた。

 千尋の横たわる・・・・ベッド・・・の横で椅子に掛けていた乖離は、「いや」と首を振る。


「その不安は、杞憂だろう。お前の剣なくば、シルフを殺しきることはできなかったと思う」


 乖離は良くも悪くも正直な女だ。

 千尋は「そうか」とだけ応じて、痛む体に顔をしかめかけた。だが、こらえた。

 ……この世界にあってはまず使われない表現ではあろうが、『男の意地』というものがあるのだ。


 シルフの聖骸が破裂・・されかける事件から、すでに一週間が経っている。


 どうにも『戦争』の痛手を癒すのに、千尋の肉体ではそのぐらいの時間はどうしてもかかってしまうらしい。


 あれから……


 千尋らが参加した『暴風テンペスト』との戦いが終わってから、様々なことがあった。


 シルフの聖骸は、破裂し、大爆発し、広大な範囲を吹き飛ばすということはなかった。

 ただ、そうせぬように、千尋と乖離でトドメを刺してしまった。


 結局のところ、風の精霊力というのは弱まり、今はもう、アンダイン大陸に流れていた残滓がわずかに循環するのみになって、新しく発することはない──というのが、シルフ公の話だ。


 そのシルフ公は現在、事後処理に追われている。


 街を巻き込む水賊との戦いももちろん大事件だった。

 この戦いのために、多くの者──兵に限らず、民までも──が様々なものを差し出したので、その補填をせねばならない様子なのだ。


 だがそれよりも何よりも、シルフの聖骸が完全に死んだことが、彼女を多忙にしている。

 守るべきものを守れなかったのはどうしようもない事実であり、その『守るべきもの』は、アンダイン大陸に王国が出来て以来ずっと存在する、人々の心の支え、聖地なのである。これを失ったことは、各所に報告するとともに、これを失った民の心を慰撫もせねばならない。


 だが、


 ──まあ、悪い結果じゃあないんだわ。


 シルフ公の幼い、いたずらっ子のような笑顔を思い出す。


 ──確かにシルフの聖骸は大事だけど、それよりも大事なもんを守れたからね。

 ──もちろん、『多くの民の人命』だよ。


 経過はともあれ。

 これ以上の『最良の結末』はもちろんあったにせよ。

 もっとやりようは、後から振り返れば、なんとでも言えるにせよ──


 悪い結果ではなかった。

 そう語るシルフ公ラヴィニアは、シルフの聖骸の殺害ということをやらかした千尋に気遣っている風ではなく、心の底からそう言っている様子だった。


 ……演技ならばもう、見事なものだ。騙されてやる他ない。

 子供のようだが、彼女は大人で。

 それ以上に、貴族なのだ。……外国の平民に心配されるような顔は、しないだろう。


 千尋はラヴィニア・シルフのさっぱりした物言いを思い出し、口角をわずかに上げた顔で、呼びかける。


「乖離」

「なんだ」

「アンダイン大陸には、あのような『遺骸』が、あと三つあるのだったな」

「そうだな」

「それらが、この大陸の女たちの『魔法』の源、なのだったな」

「そうだな」

「ということは──すべてを殺せば、『商人』の、あの厄介な力も使えなくなる、ということで相違ないな」

「そうだろうな」

「どうする?」


 この大陸の者たちにとって大事なものを、壊して回るか。

 そこまでしてでも『商人』を打倒するのか。


 その問いかけに乖離は、


「まぁ、成り行き次第だろう」

「……そう、だなぁ」

「今回も、惜しいところまではいった。途中で邪魔が入ったし、そもそも、『我らの戦い』ではなかったので、一歩下がって譲ったのは否定しない。だが、『商人』を追ううちに、こうして戦いに巻き込まれれば──その流れの中で、あの日邪魔された決着をつけたくなるような場に立つこともあるだろう。そもそも、我らが『商人』を追う目的はそれなのでな」

「成り行き次第、か」

「そうだ」

「成り行き次第で、この大陸の人々が大事にする『聖地』を破壊して回る可能性もあるのか」

「それはあくまでも『結果的にそうなる』というだけの話だ」


 乖離は至極真面目な顔で、


「我々に大事なのは、『結果』より『経過』だろう」


 千尋は笑うしかなかった。


「確かにそうだ。だからといって、世間が許すわけではなかろうが」

「そういうものを気にする男が、男の身で剣を振り回しているとは思えんな」

「確かにそうだ! いや、なんというか──今さらだな!」

「だから問題は、どうやって十子とおこを納得させるか、だな」


 乖離がそうつぶやいた瞬間、千尋のために用意された部屋の扉が開かれる。


 十子とキトゥンが入ってきた。

 その手には、シルフ公からもらったと思しき果物を載せた皿がある。


 乖離は、


「私は十子を説得するのが苦手だ」


 千尋も、うなずく。


「奇遇だな。俺もだ」


 話が見えない十子が「なんの話だよ?」と言いながら近づいてくるので……


 千尋と乖離は、ただ黙って、笑った。


 シルフの聖骸という未曽有の命には迷いなく『斬る』という決断が出来た二人も……

 十子を前には、笑う以外にどうしたらいいか、わからなかった。

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