サラマンダー公爵領、首都サラマンデル。
シルフ領からはアンダイン大陸の南側沿岸に沿うように街道を進み、サラマンダー公爵領のいくつかの街、つまり多くの関所を含む道を通り抜けてようやくたどり着く大都市である。
かかった日数にして
ここまでの関所の数、多い。
ウズメ大陸にも関所というものはあったが、その数は五日の距離でもせいぜい十かそこら、大きめの街、警備に熱心な領主がいればもっと増えるといったものであった。
関所の密度自体は濃い方ではない。それは、女が一日に移動できる距離の関係だ。だいたい一日に一つか二つ関所にあたる、そういった配分で設置されているのである。
ところがここまでの旅路、日に四つも関所を抜けることがあった。
サラマンダー領は(シルフ領より)もっといろいろ厳しい、とキトゥンは言っていた。
なるほどと千尋も思う。監視が強いというのだろうか。行く街も、どこか人々は上を恐れている様子があった。閉鎖的でも陰鬱でもないが、常に『上』の目を気にしている──という様子。普通に雑談をしている人は見かける。酒を飲んでいる者も見かけた。だが、サラマンダー公の話題を口にしている者はいない、というのが、雰囲気を作り出している原因であろう。
厳しい領主。
迂闊に物申すことを許さぬ公爵。
厳格で規律に厳しい雰囲気がうかがえるのが、サラマンダー……火の精霊の寵愛を強く受けた者を祖とする公爵なのだろう。
その雰囲気の領地で、千尋ら『外国人三名を含む旅人』は、何も引き止められぬまま、それどころか過分とも言えるほどの優しさで、ここまで関所をパスさせてもらった、というわけだ。
(何かあるなぁ。『商人』の手配か?)
罠の気配、濃厚。
しかしそれで退くような千尋らではない。
唯一何か言いそうなのはキトゥンだが、もうここまで来てしまった時点で『じゃあ、今からシルフ領に帰っていいぞ』というわけにもいかず(すでにサラマンダー領に入って数日歩いているので脱出が容易ではない)、キトゥンもキトゥンで何やら譲れないもののためにこの旅に同行しているので、その覚悟に砂をかけるようなことも悪かろう、ということで、千尋は何も言わずにいる。
さて、そういった怪しさの中を進み、サラマンデルへとたどり着いた。
そこはやはり煙の街である。
煙と鋼が打たれる街、である。
街はいくつかのエリアに分かれているらしく、千尋らがまず入った場所にあるのは、いくつもの工房と、その職人たちが食事をしたり酒を飲んだりといったことをしている通りであった。
いわゆるところの『目抜き通り』であり、両側に商店・食事処が並ぶ道をまっすぐ行った先にあるものが、領主サラマンダーの屋敷なのであろう。
だがしかし、あれは屋敷というより……
(まるで砦だな)
……シルフ公の屋敷も独特な、白い高い建物であった。
あれは宗教的意味合いの強い建物であったらしい。特に、天井が高いのなどは、『シルフの通り道』という、風が通り抜けやすい独特の構造で、シルフ領だけあり、精霊シルフに失礼のないように──つまり宗教的価値観から設計された構造であった。
だが、サラマンダー公の館は、千尋が見ても設計思想の意味がわかる。
砦だ。
高いのは見晴らしをよくするため。
銃眼──銃がこの領地にあるかどうかはこれから調べるところなので、いわゆるところのアロースリットがあるのは、狙撃のためだろう。
大きな分厚い門があり、その左右には兵が立っているのがわかる。
領主の屋敷であるから警備のためにああいう兵がいるのは普通かもしれないが、重武装の兵が五人ずつ門の両側におり、しかも近場に大きな詰め所もあるというのは、いかにも厳しい警備であった。
屋敷自体も金属の装甲が各所にあしらわれている造りである。
住みよいとは言えなさそうだが、防御力は高そうだ。しかもその『防御力』、魔法を使う女に備えているのであろう。千尋では力押しで抜ける場所は一つたりともなさそうだった。
千尋が街の入り口からついつい『砦』の検分をしていたわけだが、そのあいだにも十子はすでに活動を開始している。
というのもこのあたり、職人向けの店もあるのだが、店と店の間などの狭いところで露店もやっている。
そこではいかにも職人風の身なり(裸にツナギ)をした犬系の特徴を備えたアンダイン人が、何かを売っている。
千尋から見ればよくわからない小物なのだが、十子から見ると違うらしい。
いくらかのやりとりをしたあと、料金を払って小物を買った十子が、戻ってくる。
その手にあるのは、金属製の
「……千尋、乖離、こいつを見てくれ」
十子が神妙な顔をして示したものを、みんなで見る。
その根付けは耳の垂れた犬を鋼で作ったものである。
見事な細工だ──と、千尋でもわかるぐらい精妙だ。
だが、十子はもっといろいろな物が見えているらしかった。
「『あの剣』を作ったのは、ここで間違いねぇな」
「根拠をたずねて、俺にわかるかな」
「……まず、この大きさのモンが鋳造でないのはわかるか?」
「まぁ、この大きさの型をいちいち削り出すのも大変であろうな。大量に売ってる土産物であれば、そういう型も作ろうが」
「ああ、こいつはな、見習いが研ぎと削りの練習のために、端材を使ってやる小遣い稼ぎだそうだ。……見ろよ、犬。根付け自体は指先に乗るような大きさだってぇのに、目鼻立ちがはっきりしてやがる。こんな細かい細工をしてんのに……見ろ!」
そこで十子が根付けの犬を指先でつまむと、思い切り力を入れて潰すようにした。
その『力』にはかなり神力を入れてるらしい。十子の腕に、炎のようなものが薄く立ち上る。
しばらくそうしたあと……
十子は再び、根付けを千尋らに示した。
「……あたしが力を入れても、ゆがみも曲がりもしねぇ」
乖離が「私がやってみようか?」と問いかける。
十子は慌てたように根付けを乖離から遠ざけた。
「てめぇの馬鹿力にゃさすがに耐えられねぇよ! ……ただな、この堅い素材に、この精巧な細工をする連中が、そこらの露店で小遣い稼ぎをしてる『見習い』なんだ。見習いが触れる素材で、見習いがした仕事が、これなんだ。……こいつはすげぇぞ」
千尋らにはいまいち感動のポイントがわからないのだが、十子の興奮具合から、とてもすごいことだというのはわかった。
……そうして話を聞いていると、ざっざっざっと背後から近寄ってくる女性がいることに、千尋は気付く。
……今、気付いたのだ。すぐそこに近付かれるまで、気付かなかったのだ。
派手な、女性だった。
真っ赤な髪を腰まで伸ばした、犬耳の女性。
背が高く、すらりとしていて、身に付けているものは、体のラインにぴったりと沿うような金属鎧。
その鎧には流麗な細工が施されている。赤く色づいているのもあり、その装飾は炎のように見えた。
そして、左の腰には剣を帯びている。
千尋が見るに、あの剣は──サルタの帯びていたものと、似ているように思えた。
背の高い彼女は十子の背後に立ち、声をかけてくる。
「若い職人は我が領地の宝だ。その仕事ぶりを大声で褒めていただけるのは、嬉しいな」
女性が声をかけてくる。
同時、あちらこちらから、人が出て来る。
赤い鎧で武装した──兵が、出て来る。
その兵らは一瞬で整列し、女性の背後で停止した。
見事な日ごろの鍛錬がうかがえる、きびきびした動きだった。
千尋は、
「……立場については予想がつくが、一応、お名前とご用件を伺いたい」
女性は艶やかな唇をゆがませて笑う。
「これは失礼。私はドーベラ。ドーベラ・サラマンダー。まぁ、公爵だな」
「……」
「用件は二つあるが、そのうち一つには心当たりがあるという様子だ。なかなか賢い」
心当たり。
……千尋が思い出すのは、ここまでの道のりのことだった。
やけにすんなり通れた関所。
やたら優しかった兵たち。
目つき。
あの顔つきは──
「『男』でも迎えに来たか?」
千尋は問う。
ドーベラは笑みを深めた。
「ウズメ大陸からようこそお越しくださった。アンダイン大陸は、向こうより男性が貴重でな。すべて捕獲して特定施設で世話をすることになっているし──この大陸のサラマンダー領を闊歩するからには、我らの法に従ってもらうよ。チヒロ、とかいう名前だったか?」
「……」
「異国情緒があっていい名前だ。それに、美しい。大人しく従うなら私の寵愛をくれてやってもいいが、そういう性格の男ではないと、『
ドーベラが片手をあげる。
背後の兵たちが、武器を構える。
「──多少手荒になるが、傷つけないように気を付けよう」
……かくして『罠』が発動する。
サラマンダー領深くまで誘き入れられた千尋を、サラマンダー公爵の軍が、襲った。