「この俺が男──というのは、何かの間違い、その情報源らしい『商人』とやらの勘違いではないか?」
ドーベル・サラマンダー公は魅惑的に微笑んだ。
「この場で脱がせてみてもいいが? そもそも──男がそんな、女みたいな服を着て出歩くなど、認められない。男の着る物は、柔らかな質のいい衣服のみだ。外を出歩くことも許されない。食事も管理されるべきだし、それに……ここまで、長く徒歩で移動? ……あり得んな。自分をなんだと思っている?」
「一人の人間だと思っている」
「違うね。男は人間ではないよ。男は、『男』という生物だ。弱弱しく、管理が必要で、自分では何も出来ず、愚かで、ただ人口を増やすためだけに存在する、『資源』だよ」
「……」
「ウズメ大陸はよほど男があふれているのかな? 天女ミヤビの前でもろ肌をさらしたそうじゃないか。だというのに海を渡すとは──狂っていると言うほかない。男が船旅? 聞いただけで哀れすぎて卒倒しそうになる」
「なるほど」
その思想は、ミヤビにも近いもの、なのだろう。
ただし彼女はもっと根底から、男性というのを弱者だと考えている。彼女の常識ではそうなっている──というのか。動かしがたい前提。それが、発言の声音に滲んでいた。
(ミヤビ殿が目指すのは、そういう管理体制か──と、考えてみようとしたが、うまくいかんな)
たったこれだけの言葉だけれど、千尋は、サラマンダー公の語る『男への扱い』は、ミヤビの目指すそれとは何かが違うように思えてならなかった。
その『何か』の正体は言語化できるものではないが……
「まぁ、
大人しく従っていいことがあるとは、まったく思えない。
では、やるか──
千尋が、腰の刀に手を触れる。
と、まさにその瞬間、向かい合うドーベラ・サラマンダー公爵が、「ああ、そうだった」と気の抜けた様子でつぶやく。
千尋は笑ってしまった。
(機をずらされた)
戦闘というのは、気を高め、機を探り始まるものである。
さぁ、やるぞというテンションのままやるのが一番強く出られる。
だがしかし、巧い者は、あらゆる手段でその機をずらしてくる。
相手が強く出られず、こちらが強く出られる、そういう機を以て始めるために、手管を尽くすのだ。
千尋の弱点──というほどでもないが。
相手がやる気のないところに斬りかかることができない。
それは千尋の目的が、どのような状況であっても『勝利』にはないからだ。
勝利はあくまでも結果である。千尋の求めるものは勝利の途中にあり、そこに至るまでの経過をよりよいものにするために、相手が惚け、戦意をなくした瞬間を狙えない。
また、
『男隠しの村を襲え』などの最初から『満足いく戦い』が起こりようのない状況ではさっさと相手を『処理』しようとするところもあるのだが……
ドーベラ・サラマンダー。
ラヴィニア・シルフと並ぶ手練れであると、その立ち姿から匂い立つ。
だからこそ、こうして機をずらされると、千尋も乖離も動けない。
この二者が動けないと、十子もまた動けない。
もちろんキトゥンはこの三名の誰よりも動けないし──
ましてや。
公爵の目が自分を捉えてしまうと、尻尾の毛を逆立てて硬直するしかない。
キトゥンの感性はよくも悪くも普通のアンダイン人なのだ。
権力者の視線が向けば緊張する。そういう、普通の、アンダイン人。どこにでもいる、まだまだ年若い、街の少女。
その少女に、ドーベラ・サラマンダー公が、
それは攻撃ではなかった。
片膝をついて、頭を垂れる。
つまるところ、『平伏』である。
「………………!? !!!!???」
偉い人にいきなり跪かれて、キトゥンは言葉も発せないほどに驚いていた。
ましてつい先ほど、これまで一緒に旅をしてきた千尋が男であるという事実が奇襲的に告げられ、これをこれから捕獲しようか──とサラマンダー公が気を吐いたところである。
立ち位置的に千尋側と思われているはずの自分に、公爵様が膝をつく。
状況の理解が追いつかなかった。
そのキトゥンに、サラマンダー公は、畳みかける。
「キトゥン、と名乗っているようですね。……長きにわたる隠遁生活、お見事にございました」
「ちょちょちょちょっと、ちょっと待ち、あ、いえ、待ってくださいませ!? なんの話!? 何を話されてるのかしら!?」
「突然のことで驚かれるのも無理はありません。しかし──」
そこでサラマンダー公は何かを腰の後ろから取り出した。
それは青く輝く石のはまったペンダントである。
装飾品にしては粒が小さく、公爵の身を飾るには不適格だと思われる。恐らく、
サラマンダー公が、その石をキトゥンに見えるようにかざす。
そうしてしばらくすると……
石がぼんやりと輝き、何かが浮かび上がった。
それは青い光で描かれた紋様だ。
流れる水をそのまま落とし込んだかのような紋様。ただの流れを表すものにも見えるし、素早くどこかからどこかへ飛び移る猫の姿を描いたようにも見えた。
千尋はその紋様について知らない。
だが、読書家だという乖離は、その紋様について、知っていたらしい。
ぽつりと彼女の声がこぼれる。
「……アンダイン王家の紋章」
「ほう、外国人にも我らが王の威光は伝わっているか」
乖離が「いや」と口にする。
いや、本で読んだことがあるだけだ、と言おうとしたのだなと十子と千尋にはわかった。
だがその前に、サラマンダー公が言葉を続けた。
「言う通りだよ。これは我らが王家の紋様であり……王位継承権を保持する者の視線を受けることで、精霊王アンダインがその者を『我が子孫である』と証明する。そのための魔法がかかった魔道具だ」
視線が一斉にキトゥンに集まった。
キトゥンは驚きすぎて──というか、キャパシティをはるかに上回る情報の洪水を前に、固まっている。
ドーベラ・サラマンダーは構わず続ける。
……最初からそうだが。
サラマンダー公の話運びは奇襲的であり、キトゥンの理解を求めるものではない。
後ろの兵や周囲の者たち、あとは千尋らに聞かせるような……
聞かせて、なんらかの自分に有利な証拠でも集めようとするかのような。
そういう、話運びだった。
「キトゥン──セプトラ・アンダイン姫。我らが領地は、あなたに王冠を戴いていただくため、支援をすると決定しました。どうぞ、このドーベラ・サラマンダーにお命じください。『我を玉座へ運べ』と。さすれば、この領地のすべての武力を以て、
視線の中でキトゥンは……
「え、いえ、その、あの、し、知らない、知らない知らない知らない! 何それ!? え、王!? 何それ何それ!?」
たいそう、混乱していた。
……彼女は確かに知らないのだ。
事実として、王族の一人である。だが、知らないのだ。
何せ、彼女の半生は──
なんの変哲もない、街娘のものだった。
……少なくとも本人の視点では、そういうもの、だったのだから。