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第185話 騎士道

「だって──」


 と、キトゥンは己の半生を回想する。


 キトゥンの人生は王都アンディーナで始まった。


 親は小料理屋の『看板娘』。キトゥンも物心ついたころには同じ料理屋で給仕役ウェイトレスのようなことをしており、それは初等学校卒業まで続いた。

 王都には六歳から入ることが義務付けられている学校というものがある。キトゥンはそこで学びつつ、家に帰れば夕食時の店の手伝いをし、そうして疲れ果てて眠るという日々を送っていた。


 お金に困った記憶はなかったが、裕福であったという記憶もない。

 そもそも毎日、学校で勉学に励み、戻れば仕事をするという日々の繰り返しだった。そんな中で気にすることは『ご飯が食べられるかどうか』『周囲のみんなと比べて服や道具が綺麗かどうか』だけだ。そうしてキトゥンは周囲と比較して、特に上でもないが下でもない、という立ち位置にいた。


 そんな日々の中で転機が訪れたのは、初等学校卒業を目前に控えたころだ。


 王都の初等学校は『平民に読み、書き、歴史を教える』というわけで三年間の教育をする機関だ。

 だが同時に、初等学校より先、家業を継ぐ以外にも道はあるのだということを示す場でもある。


 そんな中でキトゥンが出会ったのが『騎士道ロウマンズ』という概念だった。


 これは貴族を中心に、それに仕える者たちが基本としている考え方だ。

 いわゆるところのノブレス・オブリージュを含む『人の道』である。弱い者には施しを、世間のために奉仕を、そして何より男性によく仕え、これを守れというような教えが含まれていた。


 貴族だとこれをそのまま実践すればいいのだが、平民出身者だとそもそも自分が『弱い者』なので、そうも言っていられない。

 そこでキトゥンはこの生き方を実践するための道として、『兵士』になる道を選ぼうと思った。


 基本的に騎士道というのは『貴人の生き方』および『貴人に仕える者の心構え』を謳ったもので、平民が『貴人に仕える』ためには、兵士になって位を上げるのがほとんど唯一の道とされていたからだ。


 そういうわけでキトゥンは九歳のある日に兵士になって偉いお方に仕えて騎士道を実践したい、と親に訴えた。

 ところが親から大反対を喰らった。

 取っ組み合いのケンカに発展するぐらいの大反対だ。


 親は『看板娘』である。

 看板娘に大事なものは三つある。度胸、根性、そして腕っぷしだ。


 ……仮に男女比がだいたい均等ぐらいの世界であれば、『看板娘』というのは、『ついついこの娘目当てに店を利用しちゃうようなかわいい子』という意味合いになるだろう。

 しかしこの世界は圧倒的に女性が多い。そういう世界での看板娘というのは、店同士の抗争、あるいはみかじめをとろうとするようなアウトロー、こういう連中が手出しをためらうような腕っぷしの持ち主のことを指す。つまり悪者たちがチラリと見て引き返すような、堂々たる立て看板のごとき凄女せいじょなのだ。


 母は異常に強かった。


 騎士道に感動し兵士を目指し始めたキトゥンだからわかることだが、母はどう考えても正規の兵士がやるような武術を修めていた。『街のケンカ自慢』のレベルじゃない。なんらかの大会で優勝候補になってもおかしくない、そういう圧倒的な強さである。


 さんざん打ちのめされたキトゥンだが、手も足も出ないからといって夢をあきらめる気にはなれない。


 家を出ていくことにした。


 しかし十歳にもならない女の子が一人で生きていくのは、王都の治安がいいとは言っても大変なことである。


 王都の仕事というのは結構身分の保証などが必要であり、保証をしてくれるはずの親とはケンカ中。

 そこで街で情報などを集めた結果、港街シルフィアなら力仕事をする人手はいくらでも欲しているということなので、単身、シルフィアへと向かうこととした。


 そこでキトゥンは住み込みで働ける場所を探して王都をさまよい、ようやく住居を見つける。

 ここでお金を稼いで騎士課程へ進もうと、そういう野望があったのだ。


 しかし初等学校は無料だが、そこから先の専門性のある学校へ進むのには結構なお金がかかる。

 なんらかの後ろ盾や実績があればまた違ってくるのだが、キトゥンにはその両方がないっていうか、後ろ盾になってくれたりお金を出してくれたりするはずの母とケンカ別れしているので、全部自力でやるしかない。


 そんな時、勤めている店に来たミヤビと仲良くなる。


 ウズメ大陸から親にくっついてきた商家の娘さんということで、年齢の近いキトゥンが接待役に選ばれたのだ。

 そうして話しているうちに、ミヤビから支援の話をもらう。

 キトゥンが騎士学校(兵卒を育てる場所)に進みたいというので、お金を出してくれるというのだ。


 それは断ったものの(出会って間もない人にそこまでしてもらうわけにはいかないため)、ミヤビがなぜか押しが強いので、こういう約束をした。


『アンタが何か困った時に、アタシを頼りなさい。そのお礼としてなら、学費を受け取ってやってもいいわ』


 その約束から数年後、生活していくのが大変なので騎士学校へはまだ進めていないし、シルフ公の兵士も外向けに募集はしていないようなので、倉庫整理業務に精を出していたところ……

 ミヤビからの手紙が届く。


 そうして今に至るというわけだった。


「──どこに王族要素があるのよ!?」


 キトゥンの話は長くて懇切丁寧であったため、千尋ちひろらもついつい聞き入ってしまった。

 何もそんなに詳細に話さなくても……という具合ではあるのだが、何がなんでも自分が王族であることを信じられず、とにかく『自分は王族じゃない』という証明に必死になった結果なのだろう。


 キトゥンはこのように必死になると周囲が見えなくなるところがあり、それはシルフ公の屋敷などでもいかんなく発揮された彼女の性質であるが……


「そもそもにして、『年齢が近いから』という理由でミヤビ殿の接客をさせられるのはいささか不自然ではないか? 身分は偽っていたようだが、彼女は結構な貴人だぞ」


 これは千尋。


「話を聞くだにその母君というのが一廉ひとかどの武人のようだが、王都というのは、下町の小料理屋にそんな人材が普通に転がっている場所なのか?」


 これは乖離かいり


「当時のアンダイン王国軍の騎士団長が、王家の第七子誕生と同時に姿を消している。第七、つまりセプトラ様の生誕と同時にだ。そして、セプトラ様は生まれてすぐ亡くなられたと言われている」


 これはドーベラ・サラマンダー公爵。


 千尋は「ふむ」と顎を撫で、


「そもそもの話で言えば、お忍びの貴人が来るような商店に、ふらりと後ろ盾もなく住み込みで勤めるというのは、この大陸だと可能なことなのか?」


「いや。シルフィアはアンダイン大陸とウズメ大陸を結ぶ玄関口である。我がサラマンダー領のような風紀の整った領地とは言い難いが、あそこもあそこでかなりシルフ公が目を光らせている。特に、大事なお客様をお通しするような店はな」


「と、くれば『なんらかの意図』でキトゥン殿はその商店に自ら勤め始めたと思うように仕向けられたということか」


「というより十歳ぐらいで勤め始めたのならば勤続年数はもう五年ぐらいになるのではないか? さすがによほど仕事ができないという場合を除けば、いつまでも倉庫整理をさせられているというのは不自然では」


「倉庫整理、表に出さないようにした。正体がバレる危険性を減らした。加えて他大陸の貴人に顔つなぎだけはさせた」


「そう考えるのが自然だ。男のくせに頭が回る。愛いやつめ」


「つまりキトゥン殿は、死んだことにされて騎士団長に守られながら育てられた姫という線が濃厚か」


「濃厚というよりも、この魔道具が示す通り、彼女は年齢から言ってセプトラ様に違いない。……当時、ちょうど王の治世が乱れ始めたころだ。将来的に誤った王を倒し新たな王となるため隠されて育てられたというのが、セプトラ様の抱えている事情であろう」


「そういうわけでキトゥン殿、どうやらおぬし、姫だぞ」



「ねぇ!!!! なんで!!!! サラマンダー公と!!!! チヒロが!!!! 協力して!!!! アタシが王家の血筋であることを立証してるの!?!?!?!?!?!?」



 自分が王家の血筋であることを否定したくて身の上話までしたのに、千尋が王家の証明をしてくる。

 とんだフレンドリーファイアであった。


 しかし千尋には千尋の考えがある。


「いやな、ここから始まるのはどう考えても荒事であろう? しかもだ、公爵を向こうに回しての荒事だ。国家との敵対である」

「……」

「キトゥン殿の出自次第では、これに巻き込まれない選択肢も出て来るというわけだ。であるからして、ここで王家の血筋であると証明するのは──まぁ、『安全』ではある。今、目の前の脅威と争わなくていい、という意味合いではな」

「ねぇ」

「おう」

「アタシ、馬鹿かもしんないからよくわかんないんだけど……」

「うむ」

「サラマンダー公のところに残ったら──革命のための旗印にされるわよね?」

「そうだな」

「……危険じゃないの?」

「まぁ、危険だな」

「どっちにしろ危ないじゃない!? だったら王様にされるのなんか嫌よ!」

「しかし王様というのは、憧れる女子も多いのではないか?」

「アタシは騎士になりたいの! 貴人を守る騎士に! 美しい男性に仕えて手の甲に口づけする感じのやつに! そ、それを、王様……!? 王様って言った!? 無理よ! アタシ、小料理屋生まれなのよ!?」

「いや生まれは王宮……」

「そういう話じゃないの!!! 意識! アタシの意識の問題!!!」

「なんだつまり、担がれて王になるのは嫌か」

「当たり前でしょ!?」

「では逃げるか」


 千尋が刀を抜く。


 サラマンダー公もまた、すでに剣を抜いていた。


 千尋の背後では、先ほど一言発したきり黙っていた乖離が、すでに刀を片手に『どこから斬り進むか』の検分を終えている。


 キトゥンは周囲がすでに準備完了状態であることに驚く。


「た、戦うの!? あの、アタシ、だいぶ雰囲気を台無しにしたと思うんだけど!」


 その言葉には、やはり金鎚をすでに構えている十子とおこが肩をすくめて答える。


「こいつらは『雰囲気』なんか気にしねぇぞ。談笑しながら殺し合う連中だからな」

「頭がおかしいの!?」

「そうだよ」


 笑う。声をかける。歩く。手を振る。

 食事をする。酒を飲む。眠る。

 それとまったく同列に『殺し合う』という選択肢がある。


 笑いながら殺す。相手を気遣いながら殺す。礼を述べながら殺す。

 武器を握り、振り、人に当て、命を奪う。……不慣れな者は、この行為にかなりの心の準備を必要とする。雰囲気を盛り上げ、闘争心を奮い立たせ、その果てでようやく、『よし、やるぞ』と武器を握る手に力を籠め、目の前の相手に向かって振る覚悟を完了する。


 だが人斬りという生物にとって、『殺し合いを始めること』はコミュニケーションの一環である。


 親しい相手に『ちょっと』と声をかけるのにためらう者がいないように、人斬りは人を斬ることをためらわない。


『ねぇ、ちょっと』と相手に刀を振り下ろすことができる。

 ゆえにこそ人斬りなのだ。


 ドーベラ・サラマンダーが鮮やかな唇の端を上げた。


「まぁ、待て。我らの目的は、男を『あるべき場所へ連れて行くこと』と、セプトラ様の歓待だ。せっかく抵抗すると仰せなのだから、せめてこの抵抗の果てに敗北したとて、納得できるよう配慮する義務が、我らにはある」


 千尋が首をかしげる。


「つまり?」

「セプトラ様がお望みであるならば、『さあ、戦うぞ』という雰囲気を作ってさしあげるのも、我らの務めというわけだ。というわけで──」


 サラマンダー公は笑顔のまま──


 手にしたロングソードに、炎をまとわせる。


 それを天へと掲げ、


「──騎士たちよ」


 呼びかける。


 背後に従えた兵たちが、応じるように剣で鎧の肩を叩く。

 重々しい、けたたましい、しかし数十名がぴったりと揃った音がする。

 剣で鎧を叩く──戦いの音が、する。


「騎士たちよ」


 ドーベラ・サラマンダー公爵の声は静かだった。

 だが、剣で鎧を叩く音の中で、よく通った。


「その剣はなんのためにある?」


 騎士たちが答える。

「民の敵を討つために!」


「その鎧はなんのためにある?」


 騎士たちが答える。

「民の盾となるために!」


「我らはなんのためにある?」


 騎士たちが、答える。

「悪を焼き尽くすために!」


「悪、すなわち、不条理、不道徳、不義、不信心。我らは精霊サラマンダーの炎を宿す者である。我らはアンダイン大陸の悪を滅する者である。さあ、騎士たちよ──正義の炎、ここにあり。我が敵を滅せよ!」


 騎士たちが声を上げる。


 その声、鎧を叩く音、踏み鳴らされる足音、すべてが空気を『戦場』へ塗り替えていく。


 ドーベラが片目をつむり、


「お待たせした。では、ろうか」


 騎士たちが、突撃を開始する。


 人斬りはこれに笑顔で応じる。


 サラマンダー軍と、千尋たちの戦いが始まった。

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