ドーベラ・サラマンダーの左右を騎士たちが駆け抜ける。
目的は
男は弱い。
そもそも、完全武装の軍隊と、鎧もまとっていない女が三名に、男が一名。
やる気など上がりようもない『矮小なる寡兵』である。軍隊が相手取るにはいかにも大げさな、街のケンカ程度の人数である。
だがしかし、サラマンダー軍の者ども、目が血走るほどやる気を充溢させている。
千尋は思わず笑っていた。
「なるほど、『公爵』。見事なり!」
寡兵に対してやる気を出させる空気づくり。
サラマンダー公はそれをした。どのような任務であろうとも最高のモチベーションで挑む部下を育て上げ、その人材が迷いを抱かず専心できるような空気を作り出す。
キトゥンのために『さぁ、戦うぞ』という空気を作る──これもまた本音ではあったのだろう。
だがしかし、軍団の意気が最初から最高潮なのは、間違いなく、サラマンダー公の檄あってのことであった。
鎧をまとい、剣を抜いた女たちが突撃してくる。
数の有利を活かさぬ乱暴な進撃、というわけではなかった。
あれだけの興奮状態にありながら、女ども、列を乱していない。
先頭の者が剣を振り上げ、その後ろから剣を腰だめに突き出した者たちが続く。
列が列のまま、女の全速力で接近してくる。
軍が軍のまま、女の全力でかかってくる。
一糸乱れぬ突撃。
相手にとって不足なし。
……だが、唯一、不満があるとすればそれは。
「おおい、俺の方にも来てくれ」
この軍が向かう先、
すなわち、『女』の方向なのである。
(まぁ、わかるがな)
男は弱い。
この軍はたった一人を相手にも全力で挑みかかることができる。それだけの訓練を受けているのだろうし、先ほどの檄も見事なものだった。
だがしかし、男を相手には挑みかかれない。
そもそも彼女らの目的は千尋の『捕獲・保護』なのだ。
これを傷つけるわけにはいかない。だから、乖離らのいかにも強そうな女を倒してから、ゆっくりと捕獲しよう──などという目論見があるのだろう。
(だが、最近はなんというのか──『弱さ』が戦いの足を引っ張ることも増えてしまったなぁ)
あれだけ渇望した弱さが、満足な戦いのために準備の手間を生むことが増えた。
だから、
(示すか、強さを)
──いくら強くてもいい。
強さを示して、戦いに持ち込める。
なんと──素敵な世界だろう!
千尋は突撃していく軍の横腹に、ぬるりと踏み入る。
横合いから唐突に来た『男』に、軍がこわばる。
これを轢き殺すわけにはいかないし、走っている女にぶつかっただけであっさり死んでしまいそうなほど、頼りなく、細く、弱弱しい。それが男だからだ。
だが、この男──
「こっちを見てくれ。寂しいではないか、なぁ!」
──剛柔両面の技を極めた剣神である。
突進する女の体に軽く触れ、さする。
……さすっただけにしか、見えなかった。
だが、女の体がぐらつく。
列をなして突撃している一人がぐらつけば、その横にある者、後ろにある者、前にある者もぐらつく。
当然、そうなる可能性は警戒すべきである。
そもそも、鎧をまとって全力疾走する女の群れに、男がするりと入って鎧を撫でただけで、バランスを崩すなどということは起こりえない。
起こりえないことが起こった。
列が横へとゆがむ。
ゆがんだ列の『でっぱり』を、乖離が刀で薙ぎ払う。
圧倒的な力。『女』の戦い。
だが……
(これではただの『補助』。俺自身の力を示すには、こうではないなァ?)
列にもぐりこんだ千尋が笑う。
笑って、刀を振る。
力任せ──に見えるように。
豪快──に見えるように。
なんの仕掛けもなく、ただ力いっぱい振っただけ──に見えるように。
そう見えるように偽装した横薙ぎで、女の群れを横から吹き飛ばす。
がしゃがしゃがしゃがしゃ! とすさまじい音がして、鎧をまとった女たちが宙を舞う。
「ほう」
その演出に目を見開いたのは、ドーベラ・サラマンダー公爵だ。
千尋は女たちを吹き飛ばした姿勢のまま、ドーベラを見て笑う。
『どうだ、強いだろう』と言いたげな笑みだ。
吹き飛ばされた女たちは、起き上がるとともに混乱した顔をしていた。
『男ではなかったのか』『話が違う』という顔だ。
兵卒たちは誰も、千尋の技術について想像さえ出来ていない。
だが、ドーベラは違った。
「『商人』から聞いていたが──本当に妖術を使うのか」
「よく言われる。『妖術』とな」
「だが、そう表現するしかない。なるほど……集団が進む勢いの方向を変えたのか」
千尋のしたことは、相手の力の利用である。
これまでも女との戦いではしてきたことだ。たとえば遊郭領地
今度したことも同じ。
ただし、剣を相手に返すのではなく、力だけを相手に返す、しかも集団を相手にしてそれをやってのけるという離れ業である。
ドーベラの笑みが深まる。
ゆがみ、薄くなる唇とは対照的に、赤い瞳が見開かれ、爛々と輝き始める。
「女を斬る男──話に聞いた時は半信半疑だったな。そもそも『商人』の語り口はうさんくさい。わかるだろう?」
「そうさな」
「『銃弾』を返した技法だな? ……なるほど、なるほど。力が足りぬなら、力を持つ者から拝借すればいい。戦いという刹那の中でそれをやってのけるのは……」
「……」
「……いや、まだだな。まだ、まだだ」
ドーベラが笑みを深める。
興味と好奇心で爛々と輝く瞳が、千尋を見ている。
(人斬りの目だ)
千尋もつられて笑ってしまう。
ドーベラは、
「まだ、小手先の手品かもしれん。手品とはいえ見事ではあろうが、『真の強さ』は技術ではない部分に宿る」
「まったく同意だ」
「だからな、お前を『強い』と、男に向けることのないような表現で褒めてやる前に──私自身で、確かめてみよう」
炎をまとった剣が振るわれる。
軌跡に火炎が尾を曳く。
その剣を顔の前に立てるようにして──
「我が祖、精霊王アンダインが子の一人。特に火炎の精霊サラマンダーの寵愛を受け、これと深く契約を交わした愛し子。未だ『悪魔』のはびこる大陸において、精霊王の剣となり最前線に立ち、戦い続けた果てに領地と家を得る」
名乗り。
……精霊が、呼応している。
サラマンダー公が己の出自を語るたび、彼女の周囲に火炎が舞う。
「『南の悪魔』『東の妖腫』『
ごん、ごん、ごん。
それは彼女の周囲で炎が燃え盛る音だ。
精霊が、サラマンダーが、彼女の闘気に応える音だ。
その音が、
「炎は消えず、我が心にあり」
ひときわ強く響いた。
周囲の熱が上がる。
千尋は、背筋を駆け上がる興奮と感動に震えた。
(武人だ。人斬りだ。間違いない、あの女──『一対一』が主戦場。強者との斬り合いを好む者!)
「我が名、ドーベラ・サラマンダー。戦いを忘れて久しいこの時代に、戦いを求める者である。……我が敵よ、名を聞こう」
千尋は剣を下段に構え、応じる。
「我が名、宗田千尋。魂に血のこびりついた人斬りである」
「結構。それは『悪』だ。我が炎は『悪』を焼き尽くすためにある。いざ──」
「……尋常に」
「「勝負!」」
二人の声がそろい、二人の機が合った。
炎をまとった公爵と、血のこびりついた人斬りが、激突する。