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第187話 戦士

 灼光しゃっこうが横一筋に空間を斬り裂いた。


 炎熱をまとい赤い燐光をまとい、長い髪をたなびかせて迫るモノ。

 それは女である。

 だが、人である。

 少なくともこの世界においては、人と呼ばれるべき生き物の一種である。


 だというのにその動きの苛烈さは、見る者に『神』を思わせた。


 ただ見ている者が悲鳴をあげ、身をすくませる。

 まさしく荒神のごとき者──サラマンダー公ドーベラ。火炎の精霊サラマンダーの寵愛を深く受けた当代公爵にして、軍と兵器を大量に生み出し、実戦のごとき練兵を繰り返す『武』の領地の惣領であった。


 立っている姿だけでも人を震わす強大な力を感じさせるそれは、雄大なる火山にも等しい。


 それに対する者、あまりにも静かである。


 なんの力も感じない。

 風が吹けば折れそうなほど細く、少し触れ方を間違えれば壊れそうなほど脆い。

 あのサラマンダー公が剣を向ける相手には到底思えない。


 それは男である。

 それは、『人』ではなかった。

 アンダイン大陸アンダイン王国において、男は『人』ではない。

 人としての権利──自由な場所に住む権利、自由に職業を選ぶ権利、自由に学ぶ権利というものを保障されていない。最優先たる『人類の繁栄』という役割のための搾取される愛玩動物。もちろん、愛玩動物だけにこれを傷つけるようなことをしないよう人は気を付けるが、そうして気遣ってやらねばいけない、しかし人類の繁栄のために必須な面倒くさく弱弱しい生き物、それが『男』であった。


 そして、ここではない世界においても、その人物は──宗田そうだ千尋ちひろは、『人』としては扱われなかった。


 噴き上がる火山、迫り来る溶岩流。それにも等しい雄大且つ強大なる、その名もたかきサラマンダー。


 脇に構えられたロングソードが赤熱した光を一文字に棚引かせながら迫る中、切っ先を下げてただ待ち構える千尋。

 傍目には『反応出来ていない』ようにしか見えなかった。当然である。サラマンダー公の全力の疾走は、女であっても捉え切れるものではない。


 だがしかし、その男はすでに行動を終えている。


 下げられたままの切っ先が、サラマンダー公の突撃に合わせてわずかに上へ向く。

 と、サラマンダー公の棚引かせる赤い線がブレ、揺れる。


 サラマンダー公はそのまま、体ごとぶちあたるように、剣を振った。

 千尋の胴を上下に分ける軌道。


 だがしかし、その軌道は千尋に操作されたもの。

 剣先のわずかな動きによって相手に・・・動きを・・・読ませ・・・、相手の動きを操作する。


 千尋の剣はすべて先読みが必須だが、千尋は超能力者ではないのだ。


 もちろん膨大な実戦経験、それに人の肉体の癖や性格を見抜く目があってこその先読みである。

 だがしかし、もっとも優れた技術は、視線や身じろぎで相手の選択肢を減らすというもの。達人との戦いにおいて、下位の者がしばしば感じさせられることになる『やりにくさ』。『何をしても返され、次の瞬間には自分が倒される』という未来が頭によぎる現象。それを発生させる技術こそ、『相手の選択肢を奪い、相手の動きを誘導する技法』なのである。


 何もあからさまではないがゆえに、相手からすればただただやりにくい。


 その技術によって腹へと誘導したサラマンダー公の剣に、千尋は体でぶつかる。

 剣が、土手っ腹に触れる──


 一瞬後には両断されるまさにそのタイミングで、千尋は剣に押されるようにして後ろへと倒れこむ。

 同時、下げて構えた剣を倒れながら、上へ突き出すように振った。


 鎧の下から相手の脇腹を刺す攻撃。


 剣を腹で受け、その勢いを突きに変換し発せられたそれは、精霊の力により身体を鋼の如くした女にも突き刺さるモノである。


 サラマンダー公はさらに踏み込んで加速。

 素早く千尋の横を通り過ぎることで突きを振り切り……


 ザザザザザ! と地面を両足と片手でこすりながら減速。

 再び剣を脇構えにして千尋へ向き直る。


 仰向けに倒れた千尋も転がりつつ立ち上がる。


 再びのにらみ合いが始まった。


 二者がにらみ合う静けさの中……


「…………何が起きた?」


 兵の誰かが、こぼした。


 わからないのだ。


 今の交錯、傍目には『サラマンダー公が急加速し攻撃、それを千尋は偶然・・後ろに・・・倒れる・・・ことでかわした。そのままサラマンダー公が通り抜けた』というように見える。


 つまり奇跡が味方して千尋がたまたま生き延びたと、そのように見えるのだ。


 ただの一瞬、単純なやりとりにしか見えない中に含まれた駆け引きと技術が、普通の者、否、兵士として武をやっている者にさえ、わからない。

 あまりにも精妙にして巧妙、そういった技術は得てして地味なものだからだ。


 だが、ドーベラ・サラマンダーは……


「見事だ。『死』を予感した」


 今、何をされたのか、理解していた。


 千尋は背筋を駆け上がるぞくぞくした感じを抑えきれない。


 今のが、わかる。

 それすなわち、ただ『強い』だけではない──

 ──技術としての武が身についている、真の武人である。


 ドーベラの目が、爛々と赤く輝いている。


「宗田千尋。お前は男だ。だが、『強い男』だ」

「お褒めにあずかり光栄」

「……今初めて知ったことがある」

「?」

「私はどうにも──『強い男を倒して屈服させてみたい』という欲望を持っていたらしい」


 ドーベラが剣を振る。

 赤熱した剣が赤い光を曳く。


 そうしてドーベラは体の前で剣を立てるようにして、


「【炎が戦士と民とを分けた】」


 声を発する。


 ……その声の独特な響き方、現代の言葉とは異なるイントネーションを、千尋は覚えている。

 その声は、


 ドーベラの陣営から、悲鳴のような声が、上がった。


「ドーベラ様!? 詠唱魔法・・・・などおやめください!」


 ──詠唱魔法。


 大規模な破壊をもたらすがゆえに、古い時代に『禁忌』とされた技術。

 秘され、消され、隠され、これを使うには知る者さえ慎重にならなければならない技。


 シルフ公の領地で、アリエル・テンペストが口ずさんでいたそれが、今……


 千尋に向けられようとしている。


「さすがに、待ってやるほどお人よしではないぞ!」


 千尋が飛び込む。

 ドーベラは、ロングソードを回して千尋の攻撃に対応しながら、


「【燃えろ、燃えろ、燃えろ。我ら戦士。我ら炎に向かう者。我ら傷と血を炎で洗う者】」


 詠唱をしながら、千尋の攻撃を防御する。


 防戦一方──


 まずい状況だった。


 人というのは案外、防御性能が高い。

『さばいて崩してやろう』とか、『隙を見て攻撃に転じてやろう』とか、そういう欲をかかずただただ回避と防御に専念する限り、素人がプロの格闘家の攻撃をも避けきり、大事な部分……頭部など……を守り切ることもできる。


 ましてドーベラには力と技術がある。

 これが防戦一方の動きをすると、千尋でも崩すのに困難を感じる。


「【焼かれ果て、溶け果て、いつしか我らは形を失う】」


 周囲の温度がさらに上がっていく。


 主人が『男』を相手に詠唱魔法を使うという狼藉を働くのを見ていられなくなった者たちが、ドーベラを止めるために突っ込んでいく。

 だがしかし、地面から噴き上がる炎が彼女たちの行く手を阻んだ。


「ねぇちょっと、これ、まずいんじゃないの!?」


 キトゥンの声に、乖離かいりが応じる。


「そうだな」

「『そうだな』!? チヒロが死ぬわよ!?」

「しかし戦いだ」

「だから何!?」


 火炎がついに周囲で噴き上がり、炎のリングが形成される。


「【鎧は溶け落ちた。剣は鋼となり手から零れた。肉は墨となり、血は辺りに漂うのみとなる】」


 何か、とてつもなく巨大な力が、ついに千尋にもわかるほどの圧力となって『すぐそこ』に出現した。

 まだそれは形を成していないが……


「【気付けば我らは、炎となっていた】」


 太陽が、もう一つ出現する。

 ……否、それは炎の球体だ。空をふさぐほどの白熱した炎が、そこに浮かんでいる。


「【意思なき、命なき、鎧なき、剣なき、肉体なき者どもよ。我とともに──】」


「ちょっと! やめてよ! 保護するんじゃないの!?」


 キトゥンが必死に叫ぶ。


 ……その瞬間。

 彼女の全身から青い輝きが一瞬、発せられた。


 その輝きに、ドーベラの視線が吸い寄せられる。


 ──瞬間。



 ドーベラの頭上から、いくつもの石が飛来した。



 落石──否、投石である。

 それはドーベラにとって無視できない威力であったのか、頭上から迫る石への対応に意識が持っていかれた様子だった。


 ちょうどその、他にはないというタイミングで、


「おい、坊ちゃん、逃げるぞ、こっちだ!」


 千尋の手が引かれる。


 千尋は──


「……そうだな、そうするか」


 高まりに高まった殺し合いの機運を惜しく感じた。

 だがしかし、何やら邪魔が入ってしまったし……


 このまま行きつくところまで行ってしまうと、そもそもの目的である『商人』の情報が何も手に入らない。

 なので、


「わかった。ついていく」


 唐突に自分を引く手に従い、その場から撤退することにした。

 ちらりと見れば、弱まった火炎のリングの向こうで、乖離がこちらを見てうなずいている姿も確認できた。


 逃走──


 これ以外ないというタイミングで、ここしかないという間隙を突いた、見事な逃走である。


 降ってくる石への対処を終えたドーベラ・サラマンダーは、逃げていく千尋の後ろ姿を見て、笑う。


「……うむ、そうだな。こういう睦み合いには『時』と『場所』が肝要だ。また改めて誘うとしよう」


 剣を納める。

 ……周囲の温度が、だんだんと、元に戻っていく。


 一応周辺確認をするが、千尋も、石を投げて来た連中も、眼帯の大柄な女──乖離らも、いない。


 慌てたように周囲から「さ、探せ!」という声が挙がったが、ドーベラは『すでに遅い』と思っていた。


 まぁ、自分が男を相手に詠唱魔法など使ったせいで、精鋭たちさえも異常な事態に混乱し、自失していたというのが理由ではあるのだが……


「見事な逃走であった。……つまらんコソ泥かと思いきや、なかなか見事に機を読む。もう少ししたら本気で潰してやろう」


『つまらんコソ泥』。

 ドーベラは、千尋らを連れ去った者たちに心当たりがあった。


 自分に狙われている『男』を救い、連れ出すその連中。

 千尋らが同行することになった彼女らの正体は──

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