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第189話 新しいペンと古い剣

「おや、もうお越しだったか。これはお待たせしてしまったかな?」

「いいえぇ。公爵様の貴重なお時間をいただこうというのですから、どうぞ、お気になさらず」


 サラマンダー公爵邸。


 そこは要塞のような建物だが、空に面した場所には東屋ガゼボが存在した。

 季節の花が色とりどり咲き乱れる中にある、白い屋根の東屋。

 メイドが茶と菓子を用意して一礼し下がれば、そこは周囲に潜んで盗み聞きをすることのできない、極めて開放的な密室となる。


 すでに夜も深い時間だが──


 サラマンダー公が手ずからともした炎が、二人の間でぶら下がったランタンにともされると、そこは燃え上がるような明るさに満たされた場所となった。


 二人の影が東屋から飛び出して大きく、輪郭を揺らめかせる中……


 ドーベラ・サラマンダーが深紅の唇をみずみずしくゆがめて、語り始める。


「さて、金の話をしようか」


 あまりにも単刀直入である。


 会話相手……


商人マーチャント』は不可思議な瞳孔を備えた目を細め、笑う。


「ワタクシなどよりも、公の方が『商人』の才能がおありのようだ」

「もって回った言い回しというのを、本来は好まなくてね。部下の前だとそのように振る舞うが──いやはや。実際の私は飾り気のない女だよ。父上からも『お前は女らしいなぁ』とあきれられてしまったぐらいでね」

「お父上──ハテ。サラマンダー公のお父様についての話は、どこでもうかがったことがありませんネェ」

「ああ、私が殺してしまったからな」

「……」

「母上が選ぶほどいい男だったから、少しつまみ食いをしてみたが。いやはや、男性というのは予想以上に弱かった。勉強になったよ」

「……そう、ですか」

「まぁ少女時代の過ちだ。父上の犠牲のおかげで、今ではきちんと加減が出来る──と、思っていたのだが。今日は久々に興奮した。私はやはり、強い男を屈服させるのが好きらしい。なかなか叶わない夢だがね」

「……」

「ああ、失礼した。では本題だが──我が領地の一部を貸し出して『兵器』の生産をさせている件だ」


 ドーベラがそう切り出す前も、あとも、『商人』の表情は笑顔のままだ。

 ただし彼女の笑顔は、そういう仮面を顔に張り付けたようなものである。……ビジネスパートナーとしては及第点の愛想笑いだが、社交界を生き抜いてきたドーベラからすれば『張り付けているように見える笑顔』などというのは未熟極まりない仮面である。


 だが。


 この『商人』の卒のなさを思えば、単に笑顔がへたくそなだけとも思えない。


(もしやこの女、『笑い方』を忘れたのかな)


 笑顔という概念を失った女が、それっぽく作っているだけの笑顔。

 ドーベラから見た『商人』の顔は、そういうものだった。


『商人』は笑顔のまま、笑っているかのような声を発する。


「ええ、ご承知の通り、うまくいっておりましてね。さらなる工廠こうしょうの拡大を──と、王は仰せです」

「うまくいっている、か。さて、私はその『兵器』の力を知らんのでな」

「サラマンダー公の精強なる軍を前にしては、さすがに……ワタクシの『兵器』は、戦う力のない者を戦えるようにするためのものです」

「ほう。たとえば、『男』をか?」

「まさか! サラマンダー公は精霊の寵愛甚だしく、その直属のみなさまも、武門の名に恥じぬよう優れた才能の上に鍛錬を積んでおいでです。しかし、すべての女がそうではない。たとえば才能のない者。訓練を積まぬ者。そういう女たちでも『不意の危機』に備えられるように──と、そういうものでございます」

「不意の危機? たとえば強引に改易された貴族軍の起こす叛乱などかな?」

「そういった可能性も、残念ながら『まったくない』とは申し上げられませんネェ」

「王にも近衛はいるはずだが?」

「陛下は才能よりも『仕えたいという意思』を見ておいでです。そして、忠義あふれれど、力がなく望んだ務めを果たせない者がいることを憂いておいでです。『望む者に、望む道を』というのが陛下が天下に示していらっしゃるやさしさなのですよ」

「素晴らしいお言葉だ。改易された貴族家の者どもにも聞かせてやりたいものだ。連中は貴族でいることを望んでいただろうに」

「しかしもっとも大事なのは『忠義の心』でございますから」

「ああ、わかっているとも。だがな、私はやはり、家の歴史こそが忠義の心を示すものであると思うよ。数百年間ずっと仕え続けてきた。これ以上に忠義を証明する根拠はないと思うのだ。……それとも、何かあるのかな? 数年前に突如現れ、陛下の寵愛を受けている『商人』、秘訣があるなら教えていただきたいものだな」

「陛下は正直な心を持つ者を見抜く力をお持ちなのでございます」

「ほう、生まれた時にもそのお姿を拝見し、幼少のみぎり、お傍に控えさせていただいたこともある。不敬かもしれないが、『友誼』も感じたことがある。されど、そういった力をお持ちとは知らなかった」

「で、あれば最近身に付けた力なのでしょう。人生経験は人を変えるものでございますから」

「あなたは数々の『魔法』を扱うと聞くが、もしや人に力を与える魔法も使えるのかな、『商人』。ぜひとも目録カタログを拝見したいものだ」

「いいえ、いいえ。ワタクシが取り扱っているのは、あくまでも兵器、そして『運送』でございます。それも、公爵閣下が一顧だにする価値もない、弱い女向けの商品でございますれば。王に力を与えるなどと、そのような不敬なこと、出来ようはずもございません」


『商人』はずっと、変わらず笑っている。


 ドーベラもまた、笑っている。


 ランタンの炎が揺れて、二人の影がはためく。


 ……しばし、沈黙があった。


 風さえも息を呑むような、静けさ──


 それを破ったのは、ドーベラ・サラマンダーだった。


「工廠の拡大、承った。この答えを以て、王にも私の『正直な心』を見抜いていただきたいものだ」

「上奏しておきますとも。王は国家に尽くす者への労いと褒章を忘れたことなどございません」

「実に素晴らしい。まさしく賢王とはかくあるべしといったお姿だ。では能臣のうしん殿をもてなさねばな。いい酒を冷やしてあるが──」

「まことにありがたい申し出ではございますが、ワタクシはさっそく、サラマンダー公の『正直な心』を陛下のお耳に入れねばなりませんので。豪華な酒杯よりもペンを持つ方がワタクシには似合ってございます」

「──そうか、欲のない人だ。では今度、ペンでも贈らせよう。我が領地、特に領都サラマンデルはな、兵器のみではなく工芸品・芸術品もかなりのものだ。きっと気に入っていただけると思う」

「サラマンダー公のお膝元で出来上がるものは、ワタクシごときには新しすぎますので。ワタクシは古いペンで古い文字を書くのが似合いの女でございます」

「次々と革新的な兵器を生み出す割には、保守的なお人だ。……まぁ確かに、古いペンも悪くはない。兵器が必ずしも剣に勝らないようにな」

「すべては使い手次第、ということでございますね」

「なるほど、その通りだ。では私は、酒杯で人を斬る方法でも模索するとしよう」

「公であれば武器など選ばぬのでしょうね。……それでは」


『商人』は立ち上がって一礼すると、その姿勢のまま掻き消えるようにいなくなった。


 ドーベラは「ふん」と鼻で笑う。


「まあ確かに、すべては使い手次第だな。──愚鈍な王も転がし方次第で暴君には出来る、か」


 それから体を折り曲げるようにして笑い、


「愚鈍で善良なる王よ。新しいペンに夢中なのはいいが、古い剣の使い方を忘れて刃を握る羽目にならねばいいが。……まだ戻れるぞ。まぁ、戻りはしないのだろうがな」


 ため息をつく。


 ドーベラ・サラマンダーは──


 古い剣は、その切っ先のような瞳を、王都の方へ向けていた。

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