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第193話 契約

(とはいえ、だ)


『サラマンダー公の横暴を見て、ついに決起を決意した』とはいえ。

 組合を名乗る集団が、軍隊に挑みかかるには、『今日決めた、今日やる』というわけにはいかない。

 そもそも集団である。それもサラマンダー公のような強権を持った指導者の命令に従う集団ではなく、互助会とかそういう属性のものであるから、組合員たちの意思を飛び越えて『やれ!』と言うわけにはいかない。そんなことをしても誰もついてこない。

 だから意見を揃える必要があり、そのための準備には時間がかかる。


 宗田そうだ千尋ちひろは、組合のリーダーであるジニに『ついていく』と言った、とはいえ。

 彼女らの戦いだ。彼女らの意思を尊重し、方針を尊重する──とはいえ。

 ……ジニの発言に気になることがあったのは、事実。


(武力のアテ、か)


 シルフ領でのことがなければ、千尋もここまで過敏ではなかっただろう。

 だが、気になるのだ。公爵に対し武装蜂起する、いわゆる『賊』の勢力。これに武力をもたらす存在──どうしても『商人』の影がちらつく。

 ましてジニの話を聞くに、彼女は王がある日変わったことを知っている様子ではあるが、その変化の理由を知らない様子なのだ。


 ……千尋もまた、予想しかできない情報量ではあるが。


(王の方針転換の方向性から言って、『商人マーチャント』が、王になんらかの多大な影響を与えているのは間違いなかろうな)


 王が王の名を以てさせている貴族家の改易かいえき

 その果てにしていることが工廠こうしょうの建設。

 そして工廠で行うことは兵器作成。


 アンダイン人たちはそろって『いらない。必要ない』と述べる兵器の製造。

 これで『商人』が無関係だと言われる方が頭が痛い。


(王にすり寄り、権力者の立場で工廠の建造を進め、兵器を量産させ──やっていることは、公爵へ叛逆する勢力の手助けか。目的は……)


『精霊の遺骸』の破壊。

 ……詳しい事情を知っているとは言えないが、『商人』の目的は間違いなく、アンダイン人にとっての精神的支柱かつ、力の根幹でもある『精霊の遺骸』の破壊なのだ。

 その果てに待っているのは、アンダイン人全体の弱体化。


『強者』と『弱者』。

『商人』はその表現にこだわっていた。そのあたりに詳しい事情はあるのだろうが……


(まぁ、そこはどうでもいいか。問題は──)


 千尋の『祭壇』。

 今日も周囲に女どもが来てひとしきり拝んでいくそこから、暗がりの中のジニを見る。


 相変わらずジニは何かを激するようにまくしたてては、すぐに冷静になり、謝罪している。

 だがその頻度は日増しに増えているように思われた。


 千尋が聞いても『なんでもねぇよ』と言うだけで、その悩みを吐露しない。


 もともとこの組織がただの『賃金向上を望んで結成された労働組合』であり、ジニはそもそもリーダーになるつもりがなく、なんだか流れに任せて転がっていたらいつの間にか決起目前のクーデター軍になりつつある──という状況は確かに胃を痛めるものであろう。

 だが、千尋から見るジニの悩みは、それだけではないように思われた。


(たずねても答えんのであれば、無理に聞き出すような真似はせんが。……やはり『武力のアテ』は『商人』なのであろうな。あやつがいかにも手を貸しそうな組織であり、情勢だ。そして──『悪魔』か)


 アンダイン人は『かつて地上に精霊が降り立って滅ぼした敵』という意味で『悪魔』という名を使う。

『悪魔』とは『崇めるべき、そして国体であり、国王の祖でもあり、公爵たちに絶大な力を与えているものでもある精霊、その敵対者』──大陸人全部が見かければ途端に打ち滅ぼすべき敵だ、ぐらいの意味合いになる。


 ……加えて、文化土壌的には、かつて『浄化』した種族──『角つきのアンダイン人』を指す言葉としても、使われている様子である。


 これら理由から、ジニの武力のアテは『商人』に間違いなかろうというのが千尋の見解だ。


 別にそれは構わない。


『商人』に思うところがあるのは自分たちの事情である。味方をしている組織が必要に応じて『商人』を頼るのを止める理由はない。恐らく、乖離かいりあたりも同じ考えであろう。

 それはそれとして見かければ斬る。『俺が嫌いな相手だから手を借りるな』とは言わない。それは道理が通らないというのが千尋の見解だ。


 だから問題は、


(さて、何を代償にとられるのやら。……きっとそれがジニ殿の悩みの大きなものであろうに、俺が相手では話してくれん。乖離あたりにも……まあ、無理であろうな。ジニ殿が、そのあたりを明かすとすれば、相手は……)


 考えている千尋の視界の中で、ジニに近寄っていく人物がいた。


 青毛の猫獣人、キトゥンだ。


 千尋は笑う。


(……自分から行ったか。意外だな。これまでのキトゥン殿であれば、この状況では固まって動けなくなると思ったが)


 シルフ公爵邸でのキトゥンの様子を思い出す。

 彼女はプレッシャーとストレスに特に弱い。そして、強い重圧を受けると『受け止めない』──『考えず、衝動に任せて行動する』という方法をとってきたようだった。

 この状況で、王族であることがほぼ確定したキトゥンが、これから公爵に反旗を翻そうとしているジニに話をしに行くというのは、シルフ領までのキトゥンであれば避けるかなと思われた。


 だが、行った。


 だから千尋は笑って、そちらから視線を外すことにした。


(あまりじろじろ見るのも悪いか。……頑張れよ若者。どう転んでも、まぁ、生きて帰るまでは面倒を見よう)



「……チッ」


 舌打ちをするジニの目の前には紙束があった。

 それは粗悪なわら半紙であり、美しい川が多数流れるアンダイン王都から全国に安く卸されているものだ。

 そこにガリガリと走らせるのは木片であり、先についているのは炭である。


 ジニが紙に記しているのは何かの計算であり、莫大な数字と複雑ではないが多くの項目が答えに影響するようだった。


 ジニはガリガリと力任せにこすりつけていた木片をピタッと止め、また舌打ちした。


「……クソ。収支が・・・合っちまう・・・・・


 心底から不快だという顔つきだった。

 そこに、


「収支が合って何かまずいわけ?」


 キトゥンが歩み寄る。

 ジニはサッと紙を机──打ち捨てられた木箱──の上からどかし、「なんでもねぇ」とつぶやく。


 しかしどかし方が乱暴だったため、紙の一枚が落ちる。

 それをキトゥンは拾い上げ──


「……何これ、人件費?」

「わかるのかよクソッタレ。ああ、油断した。人払いしとくべきだったぜ。鉱婦こうふも職人もこういう計算をしてると自然と遠のくんだがな……」


 ガリガリと頭を掻く。


 それから、ため息をついた。


「……見られちまったもんはしょうがねぇ。ちょっと相談に乗ってくれ。知識的にも──立場的にも、アンタにしか相談できねぇんだよ、キトゥンさん」

「いいけど、アタシは商家にいたって言っても倉庫整理の下っ端よ?」

「……あのなぁ、本当の下っ端がこの計算式わかるわけねえだろ。教育受けてたんだよアンタは! しかもだ! こいつは商家式じゃねぇ! 貴族家の人件費計算式だ!」

「……」

「……いや、悪い。怒鳴ってもしょうがねぇのはわかってる」

「いいけど」


 キトゥンはジニの対面に腰かけた。


 ジニは重くため息をつき、視線を落とす。


「……オレらが頼れる『武力』だがな。そいつを売ってくれるってぇ商人は、出世払いでいいってありがたい申し出までしてくれてる。出世しなきゃ、自分の職場で働けってな。……こいつがその時に示された人件費だ」

「へぇ、いい商人じゃない」


 そこでジニが眉間にシワを寄せて一瞬黙ったのは、彼女がキトゥンの言葉を否定する論拠を持っていなかったからだ。


 確かにいい商人なのだ。


 ……前提として、ジニは千尋らが追っている『商人』については知らない。

 王が変化した時、王のそばに何者かが現れたという話は聞いているが、それが角つきアンダイン人だという話までは伝わっていないのだ。そこまで詳細に情報を知っているのは、直接王と言葉を交わし、公式ではない場で王との会話をすることもある公爵たちだけである。

 これはジニが『武力のアテ』と口に出した時に、『それはもしや俺たちが追っている商人ではないか?』と感づいた千尋が、明かすことを避けたためである。

 明かせばジニの判断に余計な材料を与えてしまう。この戦いはジニとサラマンダーの戦いであるので、自分たちが彼女らの判断に余計な横槍を入れるべきではないと考えてのことだった。


 そのうえで、ジニはこう考えている。


「……善良だ。いやまぁ、この状況でオレらに手を貸そうってんだから、『自分の安全を確保した上で誰かにサラマンダーを倒してほしい』っていう思惑があるのは間違いない。けど、提示された契約書は善良そのものだ。まともに働けば十年で返済できるし、返済中の生活も今よりずっといい。その後だって働ける……」

「でも何か納得いかないの?」

「……一見すると、『名前を出さずにオレらを陰から利用する代わりに、その後の人生を保障する』って契約だ。こいつは筋が通ってるし、そういうことで納得も出来る。相手がリスクを避けたぶん、こっちを厚遇する。ありうる話だ。……だが、なーんか、うさんくさい」

「……」

「わかってんだって! 根拠がねぇんだよ! こいつはオレの印象でしかない。だから参ってんじゃねぇか!」

「参られても……怪しいと思うならやめたらいいんじゃない?」

「コイツなしでどうやってオレらがサラマンダーに勝つんだよ! それに……それより重要なのは……『働き口がある』ってことなんだ。サラマンダーと戦って、生き残って、その後の生活が出来るってことなんだよ」

「……」

「美しく権力に反抗して死ぬのは革命者の物語として綺麗だがな。オレらは生き残りてぇ。そんでもって、生き残ったからには『はい、おしまい』じゃダメだ。協力してくれた連中の生活を保障せにゃならん。が、オレにゃあ当然、面倒見る手段がねぇ。……この商人の話に乗ればな、『革命のための武力』と『その後の生活』両方が手に入る。本当にいい契約だよ」


 生活。


 命懸けで戦う者の物語に感動をする者は多い。だがしかし、命懸けの戦いのあとには『その後の暮らし』が待っている。

 そして人は生き残りたい。死にたくて戦う者は変わり者であり、この『組合』はどこにでもいる鉱婦と職人が集まり、生活のために互助を試みたところから始まっているのだ。


 生きていくための組合である。

 そこの長にされてしまった以上、ジニは『全力突撃! 玉砕! 美しき犠牲!』で話を終えるわけにはいかなかった。


「だがこいつは──『悪魔との契約』だ。知ってるだろ、基礎教養だ」

「『精霊の敵に魅入られた者たちは、悪魔の軍勢として立った。それは悪魔に幻を見せられ、大事なものを差し出してしまったからである』」

「そうだ。……いやお前さあ、その教養でよく『自分は一般市民です』ってツラしてたよな? 悪魔に味方した連中がいた話、貴族家にしか伝わってねぇぞ」

「しょうがないでしょ!?」

「……ああいや、悪い。あと『お前』呼びも気安かった」

「いいわよそれは! で!? 何を相談したいの!?」

「……お前ならどうする? オレは、明らかにこっちが欲しがってるモンを提示されて、そのあまりの都合よさにビビッてるだけか? それとも、これは本当に悪魔との契約か?」

「わかるわけないでしょ」

「……だよなぁ」

「っていうかそんな心配なら契約なんか結ばなきゃいいじゃない」

「……でもよ、オレらには力が必要だ。目の前のことを解決するために──こうしてる今も虐げられてる職人や鉱婦を守るために、力が必要なんだよ」

「力だけもらえば?」

「………………なんだと?」

「契約書なんか契約書でしょ。精霊に誓います──とか言ったって、精霊は人間同士の誓いに興味なんかないわよ。とりあえず目の前のことを解決するために力だけもらって、あとのことはあとで考えたらいいじゃない」

「いやいや……いやいやいやいや……契約ってのはさあ、誠実さが……まあそういう話は置いとくにしてもだ。サラマンダー公を倒せたとして、だ。そんで『やっぱ契約書の労働と返済はナシで』とか言い出したら、取り立てられるだろ、どう考えても」

「不当な取り立てをされそうになったら、サラマンダー公を頼ればいいじゃない」

「それはこれから倒すだろうが」

「だから、新しいサラマンダー公的な人は必要でしょ。その権力と武力でどうにかしたら?」

「………………………………………………」

「その顔は何!? アタシ、間違ったこと言ってないわよね!?」

「いや道義的には大間違いだよ」

「別に相手が誠実な商人だったら踏み倒さなくてもいいわよ! ただ、相手が怪しいから『もし裏切られたら』っていう話をしてるだけでしょ!? 誠実じゃない相手に誠実に対応する必要なんかないじゃない!」

「帝王学か……」

「教育のせいだって言いたいの!?」

「まぁそうだが……いや、確かにそうだ。……答えは出ねぇんだよな。うさんくさいと思ってる状態で『直接話してもう少し確かめるか』なんてやっても意味はねえし、時間もねぇ。……そうだな、それでいこう。とりあえず力だけ貸してもらって……あとのことは、後で考えるか」


 ジニがため息をつき、持っていた紙を放り投げた。

 厚く硬いわら半紙が『ひらひら』とは言い難い様子で落ちていく。


 キトゥンはそれを見つめ、


「ジニって頭は回るけど馬鹿なのよね」

「あぁ? どういう意味だ?」

「先々の答えが出ないことまで考えすぎなのよ」

「アンタの経歴はどう考えても考えなさすぎだがな。……ま、足したらちょうどいいか」

「……」

「問題は『新しいサラマンダー公的な人』がうまく味方をしてくれるかだが……そこもあとで考えるとしよう。誰がなるかわからねぇしな……」

「ジニがやれば?」

「オレが公爵!? 冗談きついぜ!」

「適任だと思うけど」

「この貧相な体でか?」

「それは今のサラマンダー公が屈強だからでしょ。それに、倒すんだから結果的にサラマンダー公より強くてちょうどいいじゃない」

「……もしかしてアンタ、悩んだことがないのか?」

「あるわよ!? 失礼ね!」

「……そうだな、サラマンダー公の後釜、収まってもいい。ただし、アンタが王になるんならだ」

「……」

「そこは決めてねぇのか」

「だって」

「でも、『ならない』とは言わねぇんだな」

「……」

「なると決めたら教えてくれ。ま、オレが死ぬまでにな」

「不吉なこと言うんじゃないわよ!」

「不吉なもんかよ。オレは生き延びることにかけちゃ誰よりもうまいつもりだぜ。なんせ命の危機だけはたっぷりあったからな。この男みてえな細腕で全部潜り抜けた。だからまあ、今回も生き延びるつもりさ。……みんなでな」


 ジニの指先はかすかに震えている。

 強がりだ。

 怖がりな彼女の精一杯の、強がりだ。


 強がってでも、怖がっていても──

 彼女は困っている人を見捨てられないのだ。


「さて精霊か悪魔か。……契約しよう。ま、悪魔なら滅ぼすが」


 ジニは決意し、腰のポーチに入れていた羊皮紙を取り出す。

 ……羊皮紙。


 羊という動物、あるいはヤギという動物は、アンダイン大陸においては『契約』を司ると言われている。

 それも悪い意味でだ。『もしもこの契約を破ったら、角の生えた・・・・・悪魔・・がお前に不幸をもたらすだろう』──契約に羊皮紙が用いられることは多いが、こういった脅しの意味合いで用いられるのである。


 そこに、サインをしようとして、止まる。


 キトゥンが、対面から、ジニの手に手を重ねた。


「やるの? やらないの?」


 はっきりしなさいよ、と青い瞳が言っている。

 ジニは強がって笑った。


「やるっつってんだろ」


 ジニが手を動かし──

 こうして契約は結ばれる。

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