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第194話 死地への旅路

 決行を決意し、決行が採択された。

 ……もともと、鉱婦こうふや職人、それも底辺の──収入的に底辺の者の集まりだ。

 同じような境遇の者がひどい目に遭わされていることで義憤を覚える者も多く、サラマンダー公を倒すという決起には乗り気な者が多い。


 一部の慎重派が冷静な意見を言っていたものの、それもジニが示した『武力のアテ』で説得されてしまった。

 その様子は説得材料を待っていたようでさえあった。


「『武力』が届くまでは五日だそうだ」


 組合員たちの前でそう話すジニを、千尋ちひろ乖離かいり十子とおこは見て、ひそひそと話す。


「乖離、十子殿、どう思う?」


「相手が『商人マーチャント』であれば、輸送は一瞬、ここに現れるのも一瞬だろう。シルフの聖骸せいがいが壊れたせいでなんらかの魔法的な力が減じていて時間がかかる──と思うのは、こちらに都合のいい妄想だろうな。焦らしているだけだろう。存外、演出好きのようだしな」


「……ジニが力を借りようとしてるヤツは『あいつ』なのは間違いねぇんだな? 止めなくてよかったのかよ」


 千尋はうなずく。


「それは、俺たちの都合。この革命は、ジニ殿の都合だ」


「……まぁ、尻尾を掴む機会をもらうと思えばいいから、あたしも止めねぇがよ。……ところでなんで、キトゥンは『自分も代表者の一人です』みたいなツラでジニの隣にいやがんだ? あいつこそこっち側だろうが」


 そこで千尋は、微笑んだ。


 十子が「なんだその笑い」と視線を逸らす。


「何、これはともすれば、キトゥン殿の物語でもあるのやもしれんぞ」


「決めたのか、王位をとるって」


「それを決めるための冒険であろう」



 五日。


 短いようで長い時間だった。


 サラマンダー公の活動は、この五日でとてつもなく激化した。


 昼は人目につく広い場所であからさまな軍の調練を行い、その調練の最後には演習と称して、捕獲した者たちに武器を持たせ、それをサラマンダー公旗下の軍が蹴散らすという演出まで入った。

 組合の根城、というより組合本部アジトから遠い場所にいる者たちの寝床への襲撃も激化した。

 もちろん、襲撃を受けて捕まった者は、『懲罰軍』と言われるもの──演習でボロボロにされる役割の者にされる。


 そして被害は『最底辺』の鉱婦こうふ・職人から、その上の位階の者へと広がった。

 街に住まう者すべてを兵と化すのではないかというほどの徴兵ぶりである。


「ここまでめちゃくちゃして、サラマンダー公の軍から裏切り者は出んのか」


 思わず感心したように言ってしまったのは千尋ちひろだった。

 それは弟子を世話した経験からくる言葉でもある。強い者、『自分には優しい親分』というのは人を従えるが、それも程度問題だ。特に公爵──ようするに『犯罪組織の親玉』ではない、正義に属する者、領民を守るべき者がここまでをすれば、下の者は倫理観との板挟みになり、激しさによっては倫理観が勝ろう。


 そうすれば裏切り者が出る。あからさまに剣を向けることはなくとも、サラマンダー公の指示による強制徴兵に遅滞が見られるといった『一存で可能な範囲で民の肩を持つ行動』をする者が出てもいいはずだ。


 だが、そういう様子がない。

 サラマンダー公の強制徴兵の勢いは止まらず、加速し続けている。


「よほどの求心力──」乖離かいりが発言をしながら笑う。「という簡単な理由ではなかろうな」

「『必要性を呑ませた』か」

「私もそう感じる。……しかし、戦いも起こっていないこのアンダイン大陸で、しかも、公爵の膝元で、ここまで大規模かつ強制的な徴兵がまかり通る理由というのは……」

「『いよいよ王に反旗を翻し、サラマンダー公が王位をとる!』というもの──だけか?」

「私も違うと思う。それは気高い目標ではあるが、『今、目の前の苦しみ』を踏み越える勢いは与えない。ただ視線を上へ向けるだけの目標だ。……何か『実際の脅威』を目撃し、それに備えるためには多くの兵が必要だと実感した。そういうことでも起こったのではないか?」


 そして千尋と乖離は、サラマンダー公の軍勢がここまで備えたがるほどの『脅威』について、心当たりがあった。


 ……あの日、シルフ領で川面に浮かんだ『戦艦』。

 あのぐらいの兵器をもしも目撃し、その威力を知る機会があったならば、軍とて危機感を覚えるだろう。

 ましてそれが『これから反旗を翻す相手である王の兵力』として知ったものであれば、納得もいく。


 それに備えるため、公爵が率先して・・・・、自分の領都に住まう愛しき民を兵に仕立て上げようとしている──という物語であれば、止めるどころかむしろ、『自分の腹』を切るような公爵の行動に感動し、徴兵はより激化するだろう。


 どちらにせよ、事情も知らず、強制的に『それまでの生活』を奪われる側からすればたまったものではないが。

 つまり、この人斬り二人が言いたいのは。


 乖離が、かすかに笑う。


「……相手の兵はサラマンダー公に忠実であり、士気も高そうだ」

「ああ。──いい『敵』だ」


 千尋も、笑っていた。



 四日目。

 翌日には約束の期日だ。組合に『武力』が届き、革命は決行される。


 だが──


「……もう、無理だ。もう、我慢ならねぇ」


 ジニが机代わりにしている木箱に両手をつき、わなわなと震えている。

 その緑の瞳には普段の怯えがなく、義憤が燃え滾っていた。


「……あと一日。もう一日ってとこまで我慢した。……なんの罪もない連中が! 住む家を奪われて! オレらに助けを求める手を振り払って! 助けに来たヤツに『もうじきだ、もう少しだけ耐えてくれ』って送り出して! 我慢した! ……あと一日だ。もう一日だけだ。ああ、そうだ。もう一日我慢すりゃ、少なくとも体裁は整う」


『組合』のアジトはここ数日でずいぶん手狭になっていた。

 助けを求めた者を迎え入れているからだ。それでも、入りきらない者を泣く泣く送り返しているからだ。


 もはやこのアジト以外の『寝床』はサラマンダー公に特定され、隠れる場所もない。

 ……むしろ、このアジトだけ場所を掴まれていない理由がわからない。


 掴まれているのだろう。


 場所がわかっていて、放置されているのだ。

 なぜか?


「この場所が襲われねぇのは、『ゴミ掃除』だ。家の掃除ぐらいするだろ。……ホウキでな、部屋の中を掃いて、掃いて……集めたクズをな、塵取りに入れて、ポイ、だ。……ここは『塵取り』なんだよ」


 冷静で冷酷だった。

 権力者側としてもっとも恐れるのは、クーデター戦力に取りこぼしが出ることだ。

 取りこぼした革命者が街に潜んでゲリラ的なテロリズムを行えば、取り逃した相手がたった数人でも治安維持に多大な労力を強いられることになる。特に強者は念入りに潰しておきたい……

 だからこそ、ここは残されている。リーダーのもとに強者が集まりきって、そこでまとめて『ポイ』するために。


 ましてサラマンダー公の徴兵はどう考えても『組合』を潰すために集めているわけではない。

『組合』潰しは徴兵の大義名分であり、ついで。本来の目的はキトゥンを確保し、王都へと攻め入ること。この徴兵はそのための戦力確保なのだ。


 もちろん組合を残してもいけない。だからこそ、『出かける前に家を綺麗に掃除しておきましょうね』ということなのだ。


「ここでオレが、あとたった一日さえも我慢できねぇのは、『高貴なる者の責務ノブレスオブリージュ』ってヤツのせいか? オレが今まで割喰ってたのは、全部これのせいか? ……違うだろ。我慢できねえのは、オレだけじゃねぇだろ。目の前で行われる外道を見て見ぬフリできねぇのは、オレだけじゃねぇだろ!」


 アジトは静まり返っているが、とてつもない熱気が渦巻いていた。


 それを女どもの後方で見ながら、千尋ちひろ乖離かいりに話しかける。


「戦術的にはよろしくないな。軍備が整う前に飛び出そうとしているように見える。明らかにこれから進む場所は『死地』だぞ」

「それは同意だ」

「死地というのはつまり──俺らの故郷だな?」

「……里帰りも悪くない。そろそろ、恋しくなっていたところだ」


「人斬りどもがよ」


 十子とおこが『しょうがない連中だ』という顔でため息をつく。

 だが、反対はしなかった。


 ……倫理観も正義感も、この土地に里心もないが。

 それでも、人が理不尽に自由と命を奪われている状況を座ってみているだけというのは──


「『女がすたる』。お前らも、そう思ってんだろ」


 ジニの言葉にはやはり、沈黙だけが返った。

 だが、言葉はいらなかった。この場にいる女どもの目が、強烈に同意している。


 ジニは机代わりに木箱を叩いた。


「ツルハシはあるか」


「あるぞ!」


 鉱婦どもがたくましい腕を上げる。


「ハンマーはあるか」


「あるぞ!」


 職人どもが分厚い掌を掲げる。


 ジニはもう一度木箱を叩いた。


「正直……正直さあ……なんでオレがこんな場所にいて、なんでこれから、サラマンダー公に戦いを仕掛ける流れになってんのか、わかんねぇよ。立ち止まって振り返って、『こんなはずじゃなかったのにな』って思う毎日だ。特に最近はな。……でもな」


 ジニの目が女どもを射抜く。


「ここで出なきゃ、もっとデッケェ『こんなはずじゃなかった』を抱えて生きていくことになる。……あとたった一日も我慢できないオレを恨んでもいい。死ぬ間際に『もう一日ぐらい我慢できたろ馬鹿が』と思ってもいい。だが、今出る。今だ。もう一瞬も待たねぇ。……行くぞ」


 女どもが大声を上げる。


 ジニは、後ろに立つ女へ話しかけた。


「キトゥン、どうする」


 その声にはかすかな笑みがあった。


 キトゥンは尻尾を立ててムッとする。


「行くに決まってるでしょ!」

「よし! 行くぞ!」


 もう一度、大声があがる。


 その中で──


 乖離が、小声で千尋の耳にささやく。


「キトゥンを交えて少し話をしてからがよさそうだ」

「そうだな」


 千尋も同意する。


 ……こうして、死地に向かう女どもの中で……


 最後の確認をすることとなった。

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