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第203話 『精霊化』

 火の粉を曳いて『精霊』が迫り来る。


 まず応じるのは乖離かいり


 乖離というのはいわゆる『女らしい強さ』を持った女だ。

 剣術もやる。精神も強い。立ち回りも考える。


 だが、乖離の最大の強みは『ただ単に強い女』だということだ。

 圧倒的な神力しんりきを下地に、その神力に十全に応える刀を振るう。それだけで強い。


 実際、乖離が『力』で敗北したのは、かつて片目を失った戦いだけであった。

 仮にウズメ大陸の天女ミヤビと刃を合わせる機会があれば、それが二回目の『力で敗北する機会』になったであろう。そのぐらい、並ぶ者のいないほどの剛力。圧倒的神力という才能を持って生まれた『強い女』。


 それが、詠唱魔法を身にまとい──己自身を炎と化したドーベラ・サラマンダーの攻撃を受け止める。


 ……『受け止める』のだ。


 剣士が戦う場合、相手の力を力で止めるような受け方はまずしない。

 振るわれる敵の刃。このもっとも力が出る位置を、刃の半ばで受けるようなことはしない。どのような力もまともに受ければ不利となる。だからこそ剣の術理に長じた者は、どれほど馬鹿正直に受けているように見えても、なんらかの技術を用いて力を流したり、逸らしたり、相手の力が最も強まる場所を避けたりといったことをする。


 それが、『受け止めさせられた』。


 速度が尋常ではない。気付いたら脳天に刃が迫っていて、慌てて剣を立てて受け止めるしかなかった。


「強い女──カイリという名だったか」


 サラマンダー公の顔には微笑みが称えられている。

 吐息を交換するような距離でこちらを見据える赤い瞳。視線は心理的、物理的、両面で熱い。


 精霊化。

 その性質のうち一つはもちろん身体能力の爆発的強化だが、それに加えて、先ほどサラマンダー公自身が言っていた通り、その肉体そのものが火炎と化している。


 炎というのは剣風を前には消える頼りないものだ。

 しかし、ドーベラ・サラマンダーという炎は──


(どろどろにとろけた鋼の中に、どのような炎でも溶かすことの出来ない芯金しんがねがあるかのようなッ……!)


 サラマンダー公の剣を全力で受けている。

 だが乖離が力負けしている。サラマンダーの刃はどんどん乖離の脳天に迫り、踏ん張っている足が土を擦り、体が押し下げられる。


 力負けしたことは、未熟なころにあった。

 だが、その『力負け』だって、『惜しい』『次は勝つ』と思えるものだった。


 精霊化したサラマンダー公の力、乖離をして勝てるヴィジョンがまったく見えない。


「この技法は何せ奥義にして秘伝なものでな。実戦運用はこれが初めてだが──ふむ。ちょっと強すぎたか?」

「抜かせ!」


 安い挑発にあえて乗って、はらから力を引き出す。


 瞬発的に全身に力を込めて、サラマンダーの刃を弾く。


 押し返され弾かれたサラマンダーは「おお」と嬉しそうに笑っている。……弾かれないように圧し斬ろうと思えば出来たのだろう。だが、初めて扱う秘伝の具合を確かめるために、『ここで決める』のではなく、『なるべく戦いを続ける』という方針を選んだ。


 乖離もそういうことはよくやる。

 たとえば千尋ちひろとの最初の戦い。あれは、男の身で面白い雰囲気をまとう千尋が何をするか見る目的で、すぐには決めなかった。

 ほかにも類似したケースで相手の出方をうかがうということをした。


 それら『相手の出方をうかがう』という方針をとったケースに通底する特徴は、『前提として、何をされても勝利が揺らがないと確信出来ていること』。


 つまり今の乖離は、サラマンダー公に『圧倒的格下扱い』をされているのだ。


 この舐め腐った態度に対して乖離は、


「──面白い」


 笑う。


 遠慮斟酌一切なし。

 今ここが、『出し切る』ことの出来る戦場。そして、サラマンダー公こそ、すべてを使って挑みかかり、限界の先に行かねば倒すことの叶わない『敵』である。


 だからこそ面白い。


 人斬りとは、戦いの中で魂と魂がぶつかった時に散る火花を愛する酔狂者であり──


 そういった激闘の中で己が『今以上』になる瞬間に興奮を覚える道楽者である。


 長刀『乖離』がうなりを上げる。


 その剣速、並みの女には出だしから見えない。


 だがサラマンダー公は当たり前のように受けた。技術を感じさせる受けだ。こちらの刃の軌道に重ねるように同時に刃を奮い、鎬と鎬を合わせるようにして力を逸らし、逆に相手を斬ろうという受け。滑らせ、逸らし、斬る。基本に忠実な剣術の動き。


 乖離はすぐさま刀を引き、また力任せに打ち付ける。

 サラマンダーの刃は滑らかにこちらの刀を受け止め、逸らし、反撃を叩き込んでくる。防御と攻撃が一つの動作にまとまった実に高度な技術。そこに速度と力、そして熱まで加わっているのだからたまったものではない。


 乖離はいくつもの刃傷を受ける。

 だが、血は流れない。現在のサラマンダー公、その身は炎。その鎧は炎。そして、扱う剣も炎そのもの。つけられた切創はたちどころに焼けて塞がれる。


 火傷の赤い筋がいくつもいくつも乖離の身に刻まれる。

 サラマンダー公が、楽し気に声を立てて笑った。


「我が刃のみならず、熱も炎も畏れぬとは!」

「鍛冶屋の里の出でな! 熱も炎も、幼いころから馴染んだ相手だ!」

「素晴らしいなカイリ! 我が領地の職人でもこうはいかんだろう! ああ──お前が敵でよかった!」

「人斬りめ!」

「お互いにそうらしい!」


 激烈な勢いでぶつかり合う刃と刃。

 剛力が地面を沈ませ、揺らし、剣の起こす風が建物をきしませる。

 刃と刃がぶつかる衝撃は轟音と震動を巻き起こした。


 この二人の刃を合わせる場所、すなわち死地である。


 誰も近付けない。十子とおこ、キトゥン、それにもともと戦士ではない『組合』の者らは愚か、サラマンダー公直下の精鋭兵たちさえ、この二人の戦いへは噛んでいくことが出来ない。


 こんな場所に加わろうというのは、この二人さえもしのぐ、あるいは拮抗する実力を持ち、この剣圧に押し入る力を持った女か──


「あまり俺を放っておかないでくれ。寂しいではないか」


 ──死地でこそ『生』を実感する、真性の人斬りか、ぐらいである。


 炎と鋼がぶつかり合い、剣がまとう空気さえも凶器となる戦場に、男が一匹、ぬるりと混ざる。


 その男の名は宗田そうだ千尋。


 空気の裂帛する戦場に立ち入った男は、桜色に濡れた刃をうごめかせ、打ち合う二人の女の間に分け入った。

 こうして戦いは乖離と千尋対サラマンダー公というものに──


 ──ならない。


 サラマンダー公と乖離は敵である。

 サラマンダー公と千尋は敵である。


 だが、千尋と乖離もまた、別に味方ではない。


 この二人の目的は『てらいのない殺し合い』にある。

 そして人斬りは、気が高まり、機が合えば殺し合う。前後の人間関係、現在の目的、利害。それらすべてを一切気にすることなく斬り合う。だからこそ理解不能な道楽者なのだ。


 見てから対応しては間に合わない速度の中で、千尋が躍動する。


 もはや先読みでさえなかった。ただ本能が命じるままに動いているだけ。

 その本能は前世・今生合わせて数え切れぬほど行った立ち合いが磨き上げたもの。考えるまでもなく、相手を見るまでもない。直感だけでも熟達の域。それは予知と呼ぶべき異能である。


 だが異能は異能、直感は直感だ。寸毫たりとも失敗の許されない一髪千鈞を引く殺し合いの中で、直感などという不確かなものに命を委ねられるのは、勇気や度胸と呼んではならない。紛れもなく狂態である。

『直感に動きを任せると決めた。決めたからには、それで死んだとて後悔はない』という、キマり過ぎた、度胸とも呼びたくない何かが千尋を突き動かしている。


「ははははは! なんと、やりにくい!」


 サラマンダー公が楽し気に笑う。


 乖離との間に千尋が入って、明らかに『変わった』。

 男一人がこんな鉄火場に混ざったとて、薄紙のように引き裂かれるだけ──普通ならそうなる。だが、間に入った千尋のせいで、まるで空気が急にねばついて重くなったかのように、剣が振りにくくなっている。

 しかもこの『空気』は透明な丸い盾をはらんでいる。真っ直ぐ振ったはずの剣が何かで滑り転がされあらぬ方向に流され、体勢が崩れる。崩れた体勢に容赦なく斬り込まれる。それを避けるために無理な動きをして、さらに動きにくくなっていく。


『剛』の乖離か。

『柔』の千尋か。


 サラマンダーの刃は、敵を定める。 


(この私を殺しうるのは、お前のようだ、『男』!)


 厄介なのは、千尋の方。


 動けば動くほど絡めとられ、底のない水に落とされるがごとき気持ちになっていく。

 乖離はぶつかれば『ぶつかった』実感がある。叩き続ければいつかは壊れるだろうと予想出来る。


 だが千尋は、『殺し方がわからない』。

 ゆえに殺す。最優先で殺す。


 精霊となった公爵。アンダイン大陸でも特に尚武の気風の強い鋼と煙の街の領主は、『男』でしかないはずの千尋を脅威と認め、本気の殺意を向けるに至った。


 ……それは。

 とりもなおさず──


「サラマンダー公。『勝利』を意識したな」


 乖離のつぶやき。


 厄介だから、殺す。

 勝つために、優先する。


 正しい。


 戦いの果てには勝敗がある。勝敗を──勝利を目指して人は戦う。

 何も問題ではない。通常の戦いであればむしろ、当然すぎていちいち言うまでもないことである。


 だが、人斬りと人斬りが噛み合うこの戦場。

 何かで均衡が崩れればすぐにでも致命の傷を負うこの戦場において──


 戦いそのものではなく、勝利を志すというのは、


「それは純粋ではない」


 注意の乱れ、意識の乱れに分類される。


 千尋を『処理』しようとしたサラマンダー公の刃の前に、乖離が滑り込む。


 炎の刃を受けるは十子岩斬いわきり処女作の『乖離』。天才が最初に打った逸品にして、これを超えるために数年の試行錯誤とウズメ大陸での冒険を経るしかなかった、処女作にして最高傑作


 千尋を狙う、というわかりやすすぎる宣言は、実力の伯仲した三つ巴の戦いの中で致命的な隙となる。

 誰が誰を狙うかわからないからこそ拮抗していた戦況で、自分の行動方針を明確にするというのは愚かすぎる行為であった。


 サラマンダー公の胸に、桜色の刃が突き刺さっている。


 炎と化した肉体。だが、心臓はあるらしい。


 乖離に刃を受け止められ、千尋に胸を刺し貫かれる。

 サラマンダー公は口の端から血を垂らし、その血がすぐさま蒸発して鉄の臭いが漂う。


 致命の傷を受けながら、サラマンダー公はまだ笑っている。


「いや見事。まさか、たった二人に『精霊化』をした私が殺されるとは思わなかった」


 死の淵、どころか、死の穴へ落ちていく最中の者の言葉にしては、はっきりとし、冷静な声だった。


『何か』ある。


 千尋と乖離は予感を覚え、サラマンダー公から離れる。


 ドーベラ・サラマンダーは、


「なるほど『勝利』を志すの不純か。それが私の敗因か。うむ、肝に銘じよう。ここから先は、目の前のことに耽溺する。というより──もう、止まれなくなってしまったな、これで」


 重苦しい気配があたりに漂っている。

 空気は燃え盛っているというのに、千尋も乖離も、肚の底が冷えるような、不気味な冷たさを感じていた。


 確かに殺したはずの女は、存外平気そうに剣を構えなおし、


「我が身命、精霊サラマンダーにお返しする」


 ──魔法とは。

 代償が必要なものである。


 決まった手順で祈りを捧げ、供物を添えて、精霊に力を貸していただく技法こそが、魔法。

 だからこそ現代のアンダイン大陸の『魔法使い』は、『魔法杖ワンド』と呼ばれる物を装備する。その宝石をはめた武器や盾が代償を肩代わりしてくれるからだ。装飾品や鎧など『身に付けるもの』を魔法杖にするのは避ける。代償を肉体や魂から持っていかれると言われているからだ。


 ……では、全身火炎化、精霊化の代償とは?


 これほどの奇跡を一人で行使しておいて、剣の柄にはまった赤い宝石だけで足ります、だなんていう甘い話は存在しない。


 公爵家秘伝、詠唱による精霊化。

 その代償は己の身命のすべて。


 死した時にはサラマンダーと一つになるという誓いを以て、この身を精霊と化すこの術式の成れの果ては──


 ドーベラ・サラマンダー公爵が巨大な炎と化す。


 その雰囲気を千尋は覚えていた。


「……シルフの聖骸せいがいの破裂前、か」


 精霊の遺骸に、サラマンダー公の命が吹き込まれる。


 そうして──


 サラマンダー領の決戦が、始まった。

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