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第205話 理解と共感

「で、今からやるつもりか?」


 乖離かいりが問いかける先にいるのは、『商人』だった。


 角つきのアンダイン人。ヤギのような目を持つ女。

 天女教総本山において乖離と千尋ちひろとの戦いを邪魔したそいつが、今、乖離の目の前に立っている。


 赤熱し、冷えて固まった土の上。熱風と爆炎により散らされ倒壊した建物の中。

 公爵兵さえもが半数以上気を失い、意識を保っている者も爆発と熱によって満身創痍という中……


 乖離は倒れた千尋を背に、『商人』と向かい合っているところだった。


「お前が動けなさそうであれば、それもよかったかもしれない」


 すっかり『笑み』の仮面を完全に剥いだ『商人』がつまらなさそうにつぶやく。


 乖離にとって予想出来た回答だった。

『商人』は一度姿を消し、姿を消したまま、上空から『黒い粉』を降らせて爆発を起こした。


 ただ『殺す』だけが目的であれば、乖離と会話出来る距離に出現する必要がない──


 いや。


『商人』は結果だけを求め、結果以外のものを欲すれば失敗する弱者であると言いつつも、その行動はいつも、『経過』の方を重要視していた。

 たとえば天女教総本山の乱の時も、銃弾を撃ち込んだあと姿を現さず狙撃することも出来たはずだ。さらに言えば、天女ミヤビ、乖離、それに千尋が集まっているあの場所に現れず、すべて終わって安堵しきり、しかし疲労がまだ癒えない時間を狙って、各個暗殺していく方法もとれたはずだ。


 あの時点で、神力のない、金属礫を飛ばす兵器──『銃』は、不意さえつけばミヤビを殺せる可能性もあった。

『可能性』はあったはずなのだ。恐らくミヤビに銃弾は通らないが、あの場で銃を並べてこちらに攻めて来た『商人』の中で、銃はミヤビを殺しうる武器だという認識であった。であるならば、暗殺も視野に入ったはずだ。


 だが、そうはしなかった。


 だから乖離は、今この時も、殺し合いが始まるとは思っていなかった。


「何か用件があるのだろう? 聞こうか」


 乖離の申し出に眉根を寄せ、極めて不愉快そうな顔になる『商人』である。


「……お前こそ、私を殺すのであれば、今、この時だと思うのですがね」

「恐らくそちらも承知しているだろうが、今、動くのは私にとっても賭けだ。ぱっと走って首を刎ねるだけと言えばそれまでだが、私もかなり消耗しているうえ、周囲には守るべき者が多い。勝率はそうだな……まあ、八割弱といったところか。お前を相手にするつもりにはならん賭けだな」


 相変わらず乖離にとって、『商人』を斬ることは『雑務』の一環である。

 この大陸まで『商人』を殺すために追いかけてきて何を──という話ではある。だが、メインの目的はあくまでも『千尋とのてらいない殺し合い』。それを気持ちよくするために商人を殺した方がいい。邪魔が入って水を差される可能性を潰すために、という具合だ。

 だからこそリスクをとる気がまったくない。それが『気を失っている千尋をうっかり殺される可能性』まで含んだリスクであれば、なおさらだ。


 今の乖離にとって、『商人』を斬るより、気絶している千尋を守る方が、優先度が高い。

 目覚めている時には技の冴えわたる剣神であろうとも、意識を失ってしまえば、脆弱な男子に他ならないのだから。

 今とて、精霊サラマンダーの死後の余波だけで死にそうになっていたところを、乖離が守った。


『商人』は乖離の意図を察した。

 そしてこの眼帯女にとって、自分を殺すのが『リスクをとらずに進めたい雑事』であることを理解し……舌打ちをする。


「『強者』め」

「で、用件を聞こう。状況が変われば私も静観を続けるとは限らんぞ。たとえばそこらの兵や十子とおこが目覚めるなどすれば、この剣はお前に向かう。時間をとるならば私が有利になるばかりだ」

「……サラマンダーの遺骸──いえ、最後はすでに、遺骸ではなかったようですが。その破壊の手伝い、感謝します」

「そうか。気にしなくていい」

「……」


 もちろん『商人』は皮肉のつもりだった。

『商人』の認識では、千尋たちは『秩序』の側なのだ。精霊の遺骸を破壊しようという行為を止める側、自分の『悪行』を阻もうとする、『秩序に立場を保障された強者』の側、のつもりだった。


 ところが皮肉への返しというわけでもなく、『本当に謝意を告げられたので、本気で気にしなくていいと言っている』という様子で、『商人』は気付かされてしまった。


 この女、精霊の遺骸などどうでもいいと思っている。


 秩序ではなく混沌の側の人間である、と。


「……私を殺したくば、ノーム領へ向かいなさい。そこで、最後の……アンダインを除けば最後の精霊であるノームを私は破壊します」

「ふむ」

「いよいよこの国の女どもは力を失い、男と平等になる。生まれ持ったもの以外で競うしかない世界になる。あと二体の精霊を葬れば……私の兵器が、唯一の力となるでしょう」

「……」

「まずはアンダイン大陸。そして次には、ウズメ大陸。……さらに他の大陸からも『力』を奪い、世界はもっと……平等になるのです」

「そうか。で、用件は以上か?」

「……」

「悪いのだが、世界の命運などというものは、私の気にするところではない。私が弱かろうが強かろうが、私はこの剣で斬り合いたい者と斬り合うだけなのでな」

「その『斬り合いたい者』に勝てる力が失われるのですよ」

「勝てる力が失われようが、斬り合いたいなら、斬り合う」

「……」

「強いかどうか、勝てるかどうかなど関係ない。死や痛みなど最初から厭わん。そういうのを気に出来るぐらい、賢く立ち回れればよかったとは思うが、衝動には勝てんな」

「……理解しがたい生き物め」

「お互い様だと思うがな。というより、人は人を理解出来ん。限定的な特定の瞬間を除いては」

「……」

「その『特定の瞬間』が、我らにとっては『斬り合いの最中』になる。互いに相手を斬りたいと思っていることが確実にわかる。その瞬間だけ、私は誰かを理解出来る」

「話にならない」

「話をしようという者が、いきなり己の大望を他者に語り聞かせたりはしないと思うが……そういうのはもっと段階を踏むか、部下への訓示としてやるべきではないか?」


『商人』は、その場から消失する。

 転移したのだ。……精霊はシルフ、サラマンダーと続けて倒れたが、あの力が『消え去る』ほどにはまだ弱っていないらしい。


 そういえば、と乖離は思い出す。


(シルフ公は『何世代かかけてだんだん力が減っていく』というようなことを言っていたか。同時に、弱まっている、とも。強力な『魔法』であれば確実にその影響を受けるものとは思うが──)


 これは、シルフ領でテンペストの詠唱魔法(アンダイン大陸に降り立った初日の、完成はしなかった詠唱魔法)を見たあと、サラマンダー公の詠唱魔法を見た乖離の所感だった。

 サラマンダー公は強い。しかも、正当なる貴族の血筋、公爵家の最新の精鋭だった。

 だが、その詠唱魔法から受けた『威』と、アリエル・テンペストの詠唱から受けた『威』は、だいたい同じぐらいだった。

 ……アリエという若者の貴族としての在り方の素晴らしさは認めつつも、血筋において、そして恐らく訓練の強度・密度、さらには戦いの才覚において、サラマンダー公の方が、アリエルよりもはるかに勝るだろう。


 そのサラマンダー公が『奥の手』として出した詠唱と、アリエルの詠唱の威が同じ。

 これは確かに『精霊の力が減っている結果』と言えるだろう。


 もっとも、『威が同じぐらいだった』というのはあくまでも感覚的なものだ。

 他者に信じさせるための論拠はひねり出せない。だが、乖離はこの『感覚』というのを最重要視している。命を懸けるに足る己の感覚がそう判断している以上、乖離にとって『精霊の力が減じている』のは『絶対の事実』であった。


(──あの『商人』の扱う魔法は、いったいどこの精霊のものなのだ? シルフは風、サラマンダーは火、ノームは土で、アンダインは水だったはず。転移とはなんだ? 風かとも思ったが、精霊シルフの死のあともそう変わらぬ力を発揮しているところを見るに、風というわけでもなさそうか。……まぁ、今考えて答えが出るようなことでもないな)


 思考をすっぱりと断ち、乖離は周囲の状況を確認する。


 気絶から目覚めない千尋。

『組合』の連中も似たような状況だ。

 サラマンダー公爵兵も多くがそうだが、さすが訓練を重ねた乙女ども。ざっと見て半数は動くことが可能だろう。


 乖離自身も立ってはいるが、気絶寸前というぐらいにまで弱っている。今ここでこうして仁王立ち出来ているのは、背後に気絶した千尋を守っているから──いわゆるところの『乙女の意地』とか、この国風に言えば『騎士道ロウマンズ』というもののおかげだ。


(サラマンダー公は倒したが、『組合』はここから、サラマンダー公を失ったとはいえ、『軍』を相手にこの領地をとらねばならん。サラマンダー公爵家にも『次期当主』ぐらいはいるだろう。どうするのか。まあ──)


 乖離はふっと笑い、


「──ともあれ、『刀』の役目は終わりか」


 次に自分が振るわれるとすれば、『組合』がここからサラマンダー公爵兵によって改めて攻められ、命の危機に陥る時である。

 そうさせないための立ち回り、そしてもし政権をとった場合の立ち回りは、自分の関知するところではない。


 今、乖離が噛みしめるべき事実は一つである。


「また精霊を斬ったな」


 勝利。これただ一つ。

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