「で、『組合』の代表者は誰だ」
その後のことは、ジニにとって理解しがたい──もっと正確に言えば『したくもない』ことの連続だった。
まずサラマンダーの攻撃の余波ですっかり意識を奪われていたジニが目覚めると、何やら知らない豪華な天井が見えた。
しばしぼんやりしていると、その天井の様式に思い至り、冷や汗が流れ始める。
サラマンダー公の屋敷の天井だ。
クーデターの最中に気絶するとかいう大ヘマをやらかした記憶がよみがえり、なんだこれは、捕まったのか、処刑か、あの人斬りどもどこ行った、などいろんなことがぐるぐると頭を回る。
しかし処刑前に捕らえられているとするならばどうにも様子がおかしい。手足は拘束されていないし、ベッドはふかふかだし、治療もされていたし、痛み止めの香まで焚きしめられているのだ。
すっかりわけがわからなくなっているジニのもとに、ノックして(ノックしてだ! 貴人のお部屋に訪問でもしてるのか!)現れたのはサラマンダー公爵兵であり、立ち姿や振る舞いからそれなりの立場の者であることがわかる。
そうして「ついてこい」と言われるまま連れていかれると、広間には『組合』の連中と、人斬りども、そしてキトゥンがいた(ジニの中では
サラマンダー公の家は全体的に『赤』が各所にあしらわれている。
ジニが『このままここに集められた連中と一緒に火あぶりにでもされるのか』という予想をしてしまったのは、色がもたらす効果もあってのことだった。
そうして『組合』を集めた公爵兵が問いかけたのは、『代表者は誰だ』である。
ジニはここまでの流れで絶対によくないことが起こるとわかっていたから、名乗り出たくなかった。
だがしかし、代表者は~のあたりでもう全員の視線が自分を向いてしまったので、そうもいかない。
『だからオレは代表者になんか収まりたくなかったんだよ!』という思いを込めて舌打ちしたあと、「……オレだ」と名乗り出る。名乗り出るっていうか、気分的にはガスの充満する鉱山に背中から蹴られて突っ込んだ、みたいな感じだった。
「そうか。では、サラマンダー公の遺言をお伝えする」
「ああ、待ってくれ、なんだって? サラマンダー公の遺言を『お伝えする』? 『お伝えする』って言ったか、今? アンタかなりの身分だよな? 歩き方でわかるよ。オレに──くだらねぇ鉱山の石拾いにそんなへりくだる必要のある身分にゃ見えねぇ。『うっかりした』って言ってくれよ」
「『自分を倒す者があらば、それが次のサラマンダー公爵だ』と仰せつかっている。我々が見た『サラマンダー公を倒した者』はそこの男だが──」
「話を聞いて反応してくれよ」
「新サラマンダー公のご命令とあらば」
「じゃあいい。続けてくれ」
「──そこの男だが、男を公爵家当主とするのはさすがに前例がなさすぎる上に、『自分たちは組合に助太刀した外国人であり、真にサラマンダー公を葬ったのは、我らという刃の握り手である』とのことで、ようするに『強く辞退した』という事情があり、『刃の握り手』である『組合』、その長こそサラマンダー公を倒した者であろうということで、これを新たなサラマンダー公としてお迎えすることとなった」
「公爵『家』だろうが! いるだろ! 現──ああいや、まあ、故人なんだろうが、とにかく、『現サラマンダー公』が倒れた際に家督を継ぐ相手ぐらい、遺言で指名されてるはずだろ!」
「それが、あなたです」
「血縁者の話をしてんだよ!」
「我々は血に従わない。強さに従う」
「いいね! 賛成だ! よし、今すぐオレと殴り合おう! オレも『いじめ』に遭わないように自分をデカく見せる癖があったんで、実は誰も気づいてねぇかもしれねぇが、ここにいる全員で勝ち抜き戦をやったら初戦でボコボコにされる自信があるぜ!」
「それは見ればわかります」
「じゃあ強くねぇだろうが! 従うなよ! オレなんかに!」
「戦時の強さだけが強さではないと、前公爵は仰せだった」
「今は『戦時』だろうが! この領地で派手に徴兵して、精霊サラマンダーを叩き起こした上に、そいつが消えたこと! 女であれば誰でも感じ取る! 具体的に何が起きたかわからなくてもな! つまりこの領地は今、『攻める口実』があって、『攻めるのをためらう理由がない』んだ! 精霊のいない公爵領なんざ人も離れる! わかるか!? 今は『戦時』なんだよ、間違いなくな!」
「『そういうこと』がわかる力があると、あなたは示された」
「………………」
「前公爵は最前線に立つのを好まれたが、そもそも貴族家当主とはそういうものではない。我らこそが公爵の力たるべきだった。だが、公爵は、我らに背中を示されることを好んだ」
「この貧相な背中で代役が務まるわけねぇよなぁ?」
「だが、後悔を
「あぁ?」
「我らは、公爵を守れなかった」
説明役になっている、それなりの立場と思しき公爵兵は、声も顔もあまり変化しない、人形のような女だった。
よくよく見れば、その髪はかなり赤みの強い茶色だ。……サラマンダー公爵家の、それなりに近い縁者であるのだろう。
だが、彼女は血には従わない。
「我らはあの暴君を尊敬し、敬愛していた。そのお方を守れなかった。……そのお方が歩むのが早すぎて、横に並ぶどころか、ついて行くことさえ出来なかった。それが口惜しく……心残りだ」
「……」
「であれば、今度は前に立ちたい」
「おいおいおい、そりゃあよ、オレをサラマンダー公──ええい、ややこしいな! ドーベラの代わりにするってぇことか? お人形みたいに大人しくしてくれなかった公爵の代わりに、オレっていう藁人形を守ろうって、そういうことか?」
「そうだ」
「清々しくていいね! だが一つ重大な可能性を失念してるぜ。当主になったオレが、『組合』時代にさんざん痛めつけられた恨みを忘れず、元公爵兵どもを残らず処刑しちまう可能性だ」
「それが望みならば、従う」
「……」
「だが、そのようなことをしないとは思っている。あるいは、そういうことをする者である可能性も先ほどまではあったが、今はもう、はっきりと言える。あなたはそんなことを出来ない」
「甘ちゃんだって言いたいのか?」
「否定はしないが、一番の根拠ではない。あなたは損得がわかる。今、公爵兵を失えば領地の危機であり、その危機を乗り越えられなければ、あなたが守りたい者もまとめて死ぬということを理解していた。だから、あなたは公爵兵を弱らせるような選択はしない」
「……チッ」
その舌打ちはほとんど首肯も同然のものだった。
公爵兵は相変わらず、まったく表情を変えずに言葉を続ける。
「アンナスタシエ・ジニ・サラマンダー公」
「待て待て待て。いきなり言われたから反応しそこねた。アンナスタシエ? なんでオレの貴族時代の名前を当たり前のように知ってんだ!」
「敵対者のことは徹底的に調べるのが、ドーベラ様のやり口だ」
「……」
「アンナスタシエ様は──」
「やめてくれ! その名前はもうオレのもんじゃねぇよ。長らく使ってねぇモンだ。呼ばれたって尻がぞわぞわするだけだ!」
「ではジニ様。あなたは我らの領地にある『兵力』を確認する必要がある。ゆえに──王に献上した土地にある『工場』で、何が生産されていたかを知る必要もある」
「……」
その話には、ここまで興味のなかった
サラマンダー公は献上した土地で何が行われているのか──『商人』が
……もちろんそんなわけはない。
『敵』のことは徹底的に調べるのが、ドーベラ・サラマンダーのやり口だ。
「中で製造されていたのは、『銃』だ。火薬により金属礫を飛ばす兵器だ」
「で、なんだあの、金属の……馬車? の上に、連射式の金属礫飛ばし器の乗った……」
「いや」
「……何?」
「あの金属の馬車も、連射式の銃も、工場では一切生産されていない。我らの製造技術が、それを製造するのに追いついていないのだ」
「……」
その事実を聞いて、千尋は思わず笑った。
「『製造』も魔法か! こいつは厄介な『敵』だなあ、乖離!」
十子が「嬉しそうにすんな」とにらみつけるが、どこ吹く風である。
公爵兵は話を続ける。
「あの工場で生産するものは、国民に持たせる兵器だったようだ。『商人』が扱うものは、もっと、なんというのか……『先の時代』にある気がする。私は製造関係は素人だが、単発式を作るのでも成功確率七割ほど、三割は暴発するような有様で、あのような連射式を量産出来るとは思えない。もっとも、サラマンダー公を怪しんで、この領地ではあまり技術を見せていないだけの可能性も検討の余地はある」
「いや」声を発するのは千尋だ。「他の領地でも似たり寄ったりであろうよ。なあ、十子殿」
十子はこの空気の中で発言したくなさそうだったが、話を振られては専門家として意見を述べないわけにはいかなかった。
「……ああ、そうだな。単発式と連射式は、設計思想から違う。単発式はたぶん、弾を増やすことは出来るが、『一回の爆発で一気に多数の弾を飛ばす』ことは出来ても、『弾を次々飛ばす』構造にはなってねぇ。だが、あの金属の馬車の上にあったヤツは、最初から連射前提で設計されてた。たぶん機構がもっと複雑だ。だっていうのに単発式よりも大きさがそれほどデカくなってねぇ。この意味はわかるだろ」
公爵兵の方はわからない。
だが、『組合』の中で、工房務めだった者には、わかったようだ。
「……『複雑な構造』を作るために、『小さく精巧で丈夫な部品』を大量に製造してる」
「そうだ」十子がうなずく。「単発式が七割暴発するってんなら、暴発の理由は『部品の精度が揃ってないから』だ。全部の部品精度をそろえられるなら、暴発確率はもっと減る。単純に『細かく精度の高い部品を大量生産する』ってなあ、どうやる? 職人一人一人がいちいち丹精込めたとしたって、大量生産は出来ねぇぞ」
いわゆる『ネジ』の問題だ。
現代日本などは、たいていのネジ穴に、当たり前のようにネジが入る。
だがしかし、それは異常なことなのだ。画一化された、指先に乗るような細かい金属細工を、大量生産する──いわゆる工業機械のない世界において、それは職人技に分類される。そして職人の質やその日の調子に左右されるのが職人技だ。
工業機械による生産との最大の違いは『質のムラの大きさ』である。誰がやるか、どういう体調・気分の時にやるかにかなり左右される。それが職人技。
それは『トップ』を大量生産より高くすることも出来る。だが細かい部品を大量生産するには、ムラが大きくてはいけない。だからこそ画一化された規格のものを大量に生産するのは、工業機械の独壇場になる。
ネジの問題──とは言うが、ネジを始め、そのほかすべての部品に同様のことが言える。
この状況で『暴発率三割』というのは驚異的な数字ではあるのだけれど。
「しかも、そのやり方じゃあ、作ったもの全部が『とりあえず使い物になる』ぐらいまで行くわけもねぇぞ。材料はどこから仕入れてる? サラマンダー領の鉱山でまかないきれるモンか?」
「無理だ」答えるのは公爵兵だ。「工場で作らせている銃の素材は鉱山から出ている──そのせいで鉱山がいくつも枯れたが、出ている。だが、そのほかの兵器の材料は『どこからか出している』としか言えない」
「ふざけた魔法だなオイ!」
つまり『商人』がどこからか出しているのだ。
……もちろん、工場で作らせるような品には、わかりやすい『原材料生産地』があるのだろう。
しかし商人の兵器はレアメタルを加工しなければ出来上がらない──剛性や柔軟性などが足りない段階にまで至りつつある。そしてレアメタルの加工というのは、相応の技術、何より設備が必要だ。
結論は一つしかなかった。
『商人』は魔法で兵器を製造出来る。
ただし、すべての女に出回るほどの大量生産は出来ない。だからこそ工場を作って、女どもに──あるいは男にも手に入るほどの量を生み出そうとしているのだろう。
ジニは片目を隠している前髪を引っ張り、
「言いたくねぇが、ここで下手に隠しても面倒くせえから言うぞ。……そいつは『福音』ってやつだ。あの馬車みてぇな兵器が大量には出て来ない。こいつは、勝ち目がある情報だ」
「誰に勝つのでしょう?」
「この状況なら王に勝つしかねぇだろうが! なぁ、本気でオレを公爵に祀り上げる気か!? オレが公爵になると王がこの領地を攻める口実が増える! しかも今の王はどう考えても土地を欲しがってる! 精霊の庇護を失って、誰ともわからねぇ女が公爵を乗っ取った! そんな家に攻めない理由があるか!? 一つでも口実を減らそうとは思わねぇのか!?」
「一つ二つ減った程度ではもはやどうにもなりません」
「だろうな! クソがよ! おい! おい! オレが夜逃げしたらどうする!? サラマンダー公の命令としてだ! オレは降りる、放っておいてくれって言ったら、それには従うか!?」
「命令に従わせるのであれば、公としての働きをせねばなりませんよ」
「ああ、だろうよ! つまりオレは『詰み』だ! クソッタレ! ……おい、キトゥン」
ジニが押し殺した声でつぶやく。
ここまで『なんか難しい話をしてる』ぐらいの感じでそこにいたキトゥンは、急に呼びかけられて「な、何よ」とちょっとだけ噛みながら応じる。
ジニはキトゥンの方を向かないまま、前髪を引っ張り引っ張り、
「どうやらオレはサラマンダー公になるしかねぇようだ。順番はあべこべだが、お前も王になれ。いいな」
「いいなって……いいわけないでしょ!?」
「ああそうだな! いいわけがねぇ! だがオレは公爵になるしかない! そこのカタブツに力で勝てねぇ! そんでもって、今、この領地をまとめないと、結局『組合』に入るような連中から死ぬ! それがわかる! わかっちまうんだよ! わかっちまったら、やるしかねぇだろ!」
「……」
「オレは領地をまとめる。いよいよ王に刃を向ける段階になれば、必ず救援として駆け付ける。駆け付けねぇとオレらが死ぬからな。……なんだこ運命は!? 家をぶち壊されて貴族の位を失った三女のオレが、公爵として返り咲く!? ハッ、いいね、いい物語だ! なんて胸の好く貴種流離譚だろう! 後世でオレはきっと『王家の遠縁』とか『精霊の生まれ変わり』とか言われるに違いねぇ!」
「ではそのように風聞を流しましょう」
「流すな流すな! いややっぱ流せ! 公爵家そのものを掌握せにゃならん、そういうハッタリは必要だ。……だからさあ、『これ』が邪魔なんだよ! オレはどうしても『わかっちまう』んだ! 弱い女だからな! 常に怯えて生きてる! だから、何をすればどうなって、先々でどういうことになるかがわかる! そんでもって、わかっちまったらただ座ってるわけにもいかねぇ! 『これ』のせいで組合なんつうモンを興した! どうして精霊はもっとオレの目を悪くしなかった!? 見え過ぎるんだよ!」
「アタシに言われても知らないわよ!」
「知らないじゃ済まされねぇよ。知っておけ。当代サラマンダーは『こう』だ。お前が従える公爵だろ」
「……」
「デカい話だ。重い話だ。オレだって望んでねぇ。だが、必要な場所に空白が出来て、その空白を埋められるんなら、不足でも、不満でも、やるしかねぇんだよ。やらないと、人が死ぬ。それも、大量にな」
「……それは……」
「オレはウズメ大陸も怖いんだよ。精霊が倒れた。シルフに続いて、サラマンダーもだ。全部の精霊が倒されたら、アンダイン大陸人は弱くなる。今もすでに弱くなってる。んでもって、ウズメ大陸には、そんなのお構いなしの化け物が少なくとも二人いる。そこにな」
ジニの視線の先にいるのは、もちろん『人斬りども』である。
「攻める口実の話をしたがな、ウズメ大陸こそ、口実を探してる可能性もある。そして攻めるために、アンダイン大陸の力を弱める工作員としてそこの連中が送り込まれた可能性もある」
「トーコは少なくともそんな悪い人じゃないわよ!?」
「わかってるよ! ……可能性だ。公爵ってのはアンダイン人で、アンダイン人を守る立場だ。可能性については検討せにゃならん。ウズメ大陸の当代天女に侵攻の意思がなかったとしても、その次はどうだ? 現在のオレらは無事でも、オレらの未来はどうだ? 子供は? 孫は?」
「……」
「だから『今』、空白を放置するわけにはいかねぇんだ。そんで、この『空白』は、今の王が王である限り、出続ける。行きつく先は……どう考えても、アンダイン大陸の破滅だぞ。まあ、百年とか二百年後の話かもしれねぇがな。……今を生きるオレらは、未来のアンダイン人が『詰む』ことのないように、手を指さなきゃならん。そしてどうにも、オレも指し手の一人になっちまう。だからお前も巻き込んでやる」
「そんな理由!?」
「味方として指すんなら信用できるやつがいいに決まってんだろ」
「……」
「お前が王になるんなら、オレは公爵になってやってもいい。オレはもう公爵だ。だから約束を履行しろ。いいな」
キトゥンは……
うなずけなかった。
まだ、覚悟はない。
ジニはため息をつく。
「で、ここに残ってオレの左右を固めてくれるってわけでもねぇんだろ。人斬りども、次はどこ行くんだ?」
話を振られた人斬りのうち、乖離が口を開いた。
「我らは『商人』を追う。次は──」
首を巡らせ、見つめる方向は、サラマンダー領から見て北。
大陸北西にあるその場所が、
「──ノーム領だ」
千尋らの次の目的地となる。