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九章 温泉保養地ノーマン

第208話 余暇と波乱

 真っ白い湯気がほこほこと立ち上っている。


 ノーム領は全体的に『農業』『保養』『医療』といったものが強い土地柄だが、領都ノーマンはその三つがどれも最新・最精鋭という様子らしい。

 領都だというのに地面は一面の黒土であり、しかし女どもはそんな柔らかい土の上を力強く荷車を引いて、恐らく作物などをどこかへと運び出している。

 街道整備は間違いなく『政治』の側の仕事であり、領都の道がこんな具合だというのだからもっと不満そうな顔が並んでいるかと思いきや、どうにもこの『街道を街道という形で整備しないこと』は、『精霊への信仰があつい』というように思われるらしい。


 ノームは土を司る精霊。

 土を押し固め封じ込めることのないやり方こそが、肥沃な大地と力強い作物、そしてそこで暮らす人々の笑顔を育むのだ──


 話を聞くにつけわかっているのは、この土地における『精霊』の在り方の特殊性だ。


 ここまで『風の精霊シルフの眠るシルフィア』、『火の精霊サラマンダーの眠るサラマンデル』など巡ってきた千尋ちひろらではあるが、それらの街で耳にしなかったものがある。

『精霊の個性』だ。


 どうにも生き物とみなされ、人間に寵愛を給わす存在として語られる精霊がだ、その個性キャラクターが人の口に上ることは、驚くほどなかった。

 それがこのノーム領ノーマンにおいては『精霊様はお祭り好きだ』とか、『精霊様はお優しい』とか、『精霊様は子供好きだ』、などの話が、ちょっとした民話エピソード付きで語られるのだ。


 意外なことだ。というより、振り返ってみれば、ウズメ大陸人である千尋や十子とおこ乖離かいりにとって、いわゆる『神なる存在』の個性について言及がない方が違和感のある話だった。


「興味深いことだ。あくまでも予測だが、かみを祀る祭りの頻度の高さと、上の個性への言及の頻度の高さは正比例するのではないかというようにも思うな。我らしもの者が上のお方の個性について触れる機会というのは、そうそうない。つまり……」


 乖離は予測を語っていた。

 どうにも意外とそういった与太話、あるいは神話、もしくはその現実的な分析というのが好きらしい。


 十子などは乖離の見せる学者めいた面にどういう顔をしていいか未だわからないようで、口を波打たせるようにしながら、目を片方だけ見開き、喉からなんとも言えない声を出しつつ乖離の話を聞いていた。


 温泉宿である。


 十子が乖離の長話を聞く羽目になっているのも、彼女らに『余暇』があるからだった。


 通常、千尋、すなわち男がいるので、十子が特に熱心に泊まる宿を選別する。

 ……が、同時に、同じ理由──男がいるという理由で、十子も、そしてキトゥンも野宿は許さない。


 そしてここは保養地である。

 サラマンダー領の火山の熱がうまい具合に伝わるのか、ノーム領の大地は肥沃であり、それから複数の温泉が湧いていた。

 宿屋といえば温泉宿を指し、一見して高級な宿も比較的安価で泊まることが可能なほど、宿同士の競争が激しい。


 ウズメ大陸にももちろん温泉および温泉宿というのはあるのだが、アンダイン大陸のそれとは様子が違う。


 アンダイン大陸の温泉宿は部屋そのものは人数分のベッドを備え付け、ちょっとした談話スペースがあるという程度のものだ。

 だが一方で公共の場が広く設けられており、ロビーには独特の浴衣──バスローブの形式のもの──を着た女たちがうろつき、そしてロビーから直接温泉へと入れるデザインになっていた。


 そもそもにして男がこういう娯楽施設に来ることはないゆえの気遣いのなさというのだろうか。

 男性が温泉宿に行く場合、宿は従業員、それも信頼出来る従業員以外を排斥した上で精鋭と呼べる従業員を集め、男性と『それを伴っていらしたお方』、ようするに上位の貴族を全力でもてなすべく、貸し切り状態にするらしい。


 だから一般の温泉宿には女しかおらず、中には上半身裸でロビーをうろついたり、体を隠すことなく露店温泉に飛び込んで、またそういう気遣いなく温泉から出てロビーでだらしなく涼む、というようなものだった。


 そんな場所に千尋を伴って泊まる経緯というのは、このノーム領領都ノーマンには温泉宿以外の宿がないから、というのと……


 乖離が福引きを当てたからである。


 人斬りどものいつもの『恩返しの押し売り』により、ちょっとした困り事を片付けた。

 すると助けられた者はいたく感謝し、乖離らに福引き券を押し付けた。

 福引き──正式には『精霊くじ』と呼ばれるもので、たまたまそういうのをやっている時期に行き会ったらしい。


 せっかくなので引いてみたところ、一等である。


 そしてせっかくなので利用してみよう、と乖離が言う。

 千尋もこれに賛同する。


 この国における温泉宿の様子──裸の女がうろうろしている(これは現代日本風に言えば、湯上りほこほこおじさんが半裸状態でうろついているような場所だから、若い女の子が行くにはちょっと……というニュアンスの忠告である)をキトゥンが述べて止めようとしたものの、当たったからには泊まらないと逆に不自然だし、実際、泊まる先も決めかねていたし……と説得され、現在に至っているわけだ。


 そして十子と乖離は部屋におり、人気のない時間に入浴する千尋には、キトゥンが見張り役としてついている。


 結果、微妙な顔でひたすら乖離の話を聞かざるを得ない状況が出来上がっていた。


「……何にせよこの大陸の者と精霊との関係というのは、興味深い。これも精霊というのが公爵家と強く結びついているからこその『人格を慮ることへの遠慮』、すなわち権力者との距離感というものとも密接に関係している──」

「おい、乖離」

「──どうした」

「まさかてめぇ……機嫌がいいのか?」

「上等な温泉宿に宿泊出来る権利が偶然転がり込んできて、機嫌が悪い者などいるのか?」

「……機嫌がいいのか。しかも、『上等な温泉宿にタダで泊まれる』って理由で?」

「そうだが」

「……人斬りが?」

「別に私の喜びは人と斬り合う瞬間にしかないわけではないぞ。それもそのうち一つであり、もっとも大きな喜びではある、というだけだ。話を続けてもいいか?」

「いい! やめろ! お前の話はくどくどとわけがわからねぇんだよ!」

「相変わらずお前は論理というものをないがしろにする性分のようだな。事前に知っておくことは重要だぞ」

「お前に長話をされるのが嫌いなんだよ!」

「そうか。つまり私のことが嫌いか?」

「だからさあ!? なんかお前は普通にしてるけど、あたしの方はまだ整理ついてねぇんだよ! なんでここにいる!? なんで味方みたいなツラして旅してる!?」

「いや別に、千尋とは依然として敵同士だが……」

「あたしとはどうなんだ!?」

「お前とは少なくとも敵ではない。なるべくなら斬りたくないとは思うが」

「……」

「斬りたくない相手と同行しているのだから、別にぴりぴりする必要もないだろう。人数がいる旅だ。目標にいつ届くともわからん──ああいや、残る精霊はノームとアンダインのみで、決着がそう遠くないであろう旅だ。だからこそ楽しまないとな。生きているうちに」

「……」

「そういう心情でいる。お前が気分を害しているなら、空でも眺めているが」

「害してるっていうか、置いてけぼりなんだよ。通常の人間はな、死を前提に行動出来ねぇんだわ」

「死を前提にはしていない。『そうなる可能性』を考慮した上で行動しているだけだ」

「だからさあ……本当に話が通じねぇよなぁ、人斬りの連中は!」


 十子は会話すれば会話するほど、違う生き物とコミュニケーションをとろうとしているかのような心労が積みあがるのを感じていた。

 乖離の方は宿に備え付けられたバスローブ姿で蒸留酒など舐めつつ、


「まぁ、お前がそう思うならば、そうなのだろう」

「……本当にな」

「だが楽しむべき時には楽しんだ方がいいぞ。そもそもキトゥンが空気を察して我々を二人きりにしてくれたようだし、我々の間にあるものは、会話によって埋められるべきだ」

「あいつ、そんな気遣いが出来るタマかあ?」

「気遣いは出来る。ただし的を外すのが上手いだけだ」

「……」

「あと、ああ見えて若い女だからな。しかも騎士道ロウマンズを標榜している。千尋の入浴を『女らしく』守って、出来たら何かちょっといい目に遭いたい気持ちもあるのではないか?」

「あのスケベ女め」

「いや、健全でいい。千尋も別に嫌がってはいなかろう。それになんだ、こうして戦いから少し遠ざかって余暇を楽しむ余裕が出て来ると、千尋が若く見目のいい、いかにも清純そうな男だということに気付かされて、距離感に戸惑っているのもあるのだろうな」

「……」

「ちょうど、十子もそういう時期があったのではないか?」

「ねぇよ!」

「本当に?」

「………………」

「お前は昔から、わりと色ボケ女だったので──」

「色ボケ女!?」

「──千尋との二人旅は大変だったのではないかと思っていたが」

「乖離、何か誤解があるようだ。あたしと千尋との旅はそういうモンじゃねぇ」

「そうか。では誤解を埋めよう。お前の旅路を聞かせてくれ」


 十子がここで難しい顔をしたのは、乖離の話術に乗せられているように感じられたためであった。

 だがしかし、幼馴染に色ボケ扱いされたままというのは我慢ならないのも事実。


 十子は覚悟を決めた。


「……わかったよ。話してやる。……思えば、いい機会だ。こんなにゆっくり出来ることなんざ、里を飛び出してからこっち、なかったからな。お前がしてるふざけた勘違いを正してやる」

「まぁ、七日泊まれるらしいからな。しかも無料で。路銀もなかったしちょうどいい余暇だろう。じっくり話を聞かせてもらうとしようか」


 女どもの夜は更けていく。

 不意に出来た『時間』が、彼女らの間にあった溝を埋めるかもしれない──



「不正な券を利用していることが発覚いたしましたので、宿代を頂戴したく存じます」


 ──と、思っていた時期もあったが。

 どうにも波乱は向こうからやってくるらしかった。

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