「まずは不正な権の利用による詐欺行為の補填。こちらは四人分の宿代をそっくりそのまま頂戴いたしまして。次に権に付属する酒の代金としてこのぐらい、それから同じく有料温泉の利用代金、食事代金、清掃代金、チップ代金──」
「待て待て待てぇい! 早口でよくわかんねぇモンどんどん足してねぇか!?」
小さな丸いメガネをかけた、狐耳のアンダイン人であった。
金髪に碧眼。金髪というのはウズメ大陸においては『白より上の色』とされ、この金色を備えて生まれた者は、それだけでめでたいとされる色である。
だがアンダイン大陸、特にノーム領にはかなりの数の金髪碧眼がいた。
目の前にいるこの宿屋の支配人もまた金髪碧眼の女であり、柔らかそうで豊満な体つきを、宿の従業員の着ている、和服に似た風合いの、しかしずいぶん原色系の色合いの布を使った衣服で隠している。
肌の露出はないものの、同じ女でさえも一瞬視線を吸い寄せられるほど豊満な胸には、隠しているからこその迫力が備わっていた。
そんな支配人の丸いメガネの奥の目は細く、碧眼ではあるのだが、その目の色合いはほとんど見えない。
にっこりと優しそうに微笑んで、支配人は言葉を発する。
「そうはおっしゃられましても、詳しい内容はこれこの通りに書面でも記しておりますので。確認なさりたいのであれば、書面の方をお読みいただけばいいところを、こうして丁寧にご説明申し上げているというだけでも、我が宿特有の『サービス』の心意気、というものでございましょう」
「で、このふざけた桁はなんだ? ここはそんなに高い宿なのか?」
「まぁ不正利用者への見せしめも加わった代金であることは否定いたしません」
「だからあたしらは、福引き券で引いて、もらった券で来ただけだよ!」
「入手経路についてはなんとでも言うことが出来ますゆえ」
「調べてくれよ! いねえのか! そういうやつらは!」
そういうやつらと十子が言うのは、公爵領で治安を預かる連中の話である。
この世界にはいわゆるところの『警察組織』というものが存在しない。治安は領地の長が兵によって守るものであり、それ以外はだいたい民事──話し合いだの、殴り合いだので決まるといった風情である。
というか領主兵に出張ってもらうような事態は『相当なこと』であり、基本的に民事の紛争は民事間で解決するのが普通であった。
そして領主兵というのはアンダインの貴族に仕えるアンダイン人である。
なので宿の支配人の返答はこうなる。
「呼んでもそちらの有利になることはありえませぬが……」
「……クソが! ……おい、
そう言いながら振り向けば、乖離と千尋は一瞬だけ視線を交わし、それから二者二様の笑顔を浮かべた。
なんだろう、嫌な予感がする。十子は『この二人が暴れたらまずいな』ということに今さら気付いた。
ところが十子の予想の通りには状況は推移しなかった。
千尋は言う。
「まぁ、いいではないか。明らかに法外すぎて、普通は返せん。返すための方策を聞いてからでも遅くない」
乖離はうなずく。
「ちょうど路銀もなかったし、ついでに稼げる手段を教えてもらえるならそれもよかろう」
十子は叫ぶ。
「明らかに世間知らずの外国人を騙して絞りとってやろうってツラしてるじゃねぇか!」
指さす先は宿の支配人。
丸いメガネをかけた、糸目の狐耳女である。
「あら、これは異なことを。わたくし、商売は誠実をモットーにしておりますのよ」
「どこがだよ!!!」
「こちらの赤毛のお嬢さんと違って、そちらのお二人は話がわかるご様子。でしたらもちろん、誠心誠意、支払いのための努力をしていただきましょう。あなたたちには、当宿の従業員として働いていただきます」
「このとんでもねえ額の借金を従業員の給料で返せってことか!? 絶対に裏があるだろ! なぁ! そう思うよな、乖離!」
「まぁ裏はあるだろうな」
「だったらもう出るぞ! こんなふざけた茶番に付き合ってられるか!」
「まぁまぁ十子殿。宿屋で働くというのもなかなか得難い経験になりそうだぞ」
「おい千尋ォ! なんで乗り気なんだ!? あたしがおかしいのか!?」
十子は味方だと思ってる連中からたしなめられて、もうわけがわからない。
この人斬りども、こういう理不尽に黙って従う方ではないはずなのだが。……そう、むしろ、この人斬りどもが、この段に至っても刀の柄に手を掛けないのがまずおかしい。
何かあるのではないか──
十子は勢い込んで乖離らの方を向いていた顔を、支配人へと戻す。
すると支配人は、メガネのブリッジを押し上げ、こんなことを言う。
「そこまで言われるなら結構。赤毛のお嬢さんには宿から出て行っていただきます」
「おい! なんでだよ! 借金返済はいいのか!?」
「ついでにそこの青毛のお嬢さんも出て行ってもらいましょう」
とんでもない借金に顔まで青くしていたキトゥンが、いきなり身の振り方を決められて「なんで!?」と大声を出した。
千尋も乖離も笑って見ているだけである。
さすがに十子もいよいよ『何かある』というのはわかるのだが、この人斬りどもの態度の根拠は相変わらずわからない。
「というわけで話は終わりです。お客様でも従業員でも出入りの業者でもないお二人には退散願いましょう。残るお二人は、当宿で働いて借金を返していただくということで。はいでは出てった出てった」
「あ、ちょ、おい!」
「お嬢様方、厄介な連中のお帰りですよ」
支配人がパンパンと手を叩くと、やはり浴衣のような服を着てたすきで袖まくりをした女どもが入ってきて、十子とキトゥンを持ち上げて運び出してしまう。
すさまじい力である。一度不意を突かれて持ち上げられてしまうと、十子(とキトゥン)では抵抗が出来なかった。
「おい、乖離! ……千尋! 千尋! なんで笑って見てんだてめぇ!?」
この段に至ってもなんら行動を起こさない人斬りどもに、『何かあるんだろうな』とは思いつつも、やっぱり腑に落ちない想いがあり、十子は恨めし気に叫ぶ。
何もしていないのについでみたいに追い出されるキトゥンはひたすら「なんで! ねぇ、なんで!?」と叫ぶばかり。
……十子とキトゥンはそうして宿の前に放り出され、目の前で大きな門を閉められてしまった。
かくして──
千尋・乖離と、十子・キトゥンは、二組に分かれることになったのだった。