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第211話 究極掃除人

「掃除は真心です」


 千尋ちひろ乖離かいりの業務は、支配人直々の指導・監視のもと行われるらしい。


 千尋は先導する支配人の背を負いながら、乖離にひっそりとささやきかける。


「手厚いなァ」

「まったくだ」


 千尋らの立場、公式には『借金のカタに働かされている者たち』である。

 ところがその指導には支配人直々にあたる。そもそも呼び出す段階で武器も没収しない。

 おまけに、千尋が従業員服に着替える時、『衝立ついたて』を用意された。外から見えないように、だ。


 不正な券を利用して温泉宿の恩恵をんだ、後ろ盾のない外国人犯罪者への扱いではない。


 明らかに千尋を男性と気付いている。気付いた上で、なんら狼藉を働いてこない。

 この国であれば男は即座に『施設』に入れられる。千尋の性別に気付いていればそういった方向での暗躍があってしかるべきなのだが、そういうのもない。


 かといって支配人が『男をうまいこと隠して寵愛しよう』と思っている様子でもない。そうしたいならば、従業員として働かせず、どこかに閉じ込めるべきである。


 なので、この借金には『裏』がある。


 それもどうにも、千尋らを粗略に扱わないタイプの『裏』だ。

 この支配人、千尋が男性であると気付いているだけではなく、千尋が『千尋である』と気付いている──


 思い出すのは、サラマンダー領で、領都に入った途端に取り囲まれたことだ。


 ここまで千尋も二つの精霊の遺骸の破壊に携わり、アンダイン大陸でもそれなりに名が知れている可能性ももちろんあるが、道中の様子からして、一般人は精霊の遺骸破壊事件にまつわる詳しい情報をまだ持っていない。


 ということは、別口から千尋を知っている──


『商人』あたりから情報提供を受けている可能性が高い。


 その上でこの扱いである。

『出方をうかがうか』と千尋と乖離が無言で合意するには充分だった。


 ……つまり十子は部分部分で千尋らの考えを当てていたのだ。

 何か裏があり、その裏には商人がかかわっている可能性が高いので、まずは様子を見る──これが『敵』であるなら、きっちり準備をさせてから叩き潰せばいいだろう、という、目的を忘れてもいないが、人斬りらしい『けん』の心も忘れていない、そういった行動であった。


「どう思う?」


 千尋は主語のない問いかけをした。


 乖離は肩をすくめた。


「年齢は合うと思う。それだけでは本人とまでは言えんが」


 何についてのやりとりかと言えば、支配人の正体についてのやりとりである。

 ようするに、この支配人は『商人』から情報提供を受ける立場であり、なんらかの思惑があって千尋と乖離を自分の手元に留め置く行動をする者──


 もしかしたら、公爵なのではないか。

 ノーム公、フォクシィ・ノームその人なのではないか──


 まあ、だとしたらなんで宿屋で支配人なんかやってるんだ、という話ではあるけれど。

『その意を受けた宿屋の支配人』という方が予想としての確度は高かろう、とも思うけれど……


 どういった事情にせよ、


「面白いことになりそうだ」


 千尋をわくわくさせるには充分な、『裏』がありそうだった。



「…………なんということでしょう」


 宿の支配人は風呂の様子を見て驚きの声を上げていた。


 もっとも広い大浴場の掃除……

 ほんの一時間で、文句のつけようもなく終了した。


 これは女が十人がかりで半日かけて行う規模の風呂場である。


 大浴場は自然温泉が湧いている場であるから、『ぬるつき』や『苔』なども繁茂するのだ。

 そういったものを綺麗にするために普通は人を追い出してからやるのだが、現在は繁忙期であるため、客が入った状態で清掃を行った。


 こういった時には人のいないような場所を軽くブラシでこすったり、備品を綺麗にしたりといったことしか出来ないのが普通である。大浴場の掃除は『掃除中のためしばらくご利用はご遠慮ください』と看板を出して行うことなのである。


 だがしかし、乖離と千尋、これをすっかり綺麗にしてしまう。


 まず大きな部分、力のいる部分が乖離が担当した。

 その働きぶりは女十人分に等しい。しかも、ただただ客を蹴散らして乱暴に掃除をするのではなく、うまく隙間を縫うようにしてすさまじい速度でブラシをこすらせていく。

 雑ということもない。そのブラシで汚れを擦り落とすこと、『斬れ味』と表現したくなるほど鋭い様子であった。


 一方で千尋は小柄なのもあって細かいところを担当した。

 備品を磨いたり、湯船の中の入り組んだ場所をこすったりと、そういうことである。


 その掃除の丁寧で素早く執拗であること、まるで舐めとるかのようであった。


 かくしてピカピカの大浴場が一時間で出来上がる。

 人件費含む費用対効果など考えても、冗談みたいな額の借金が本当に返済できそうなほどの働きぶりであった。


 支配人としては『まあ体力はあるだろうからそれなりにはやるだろう』ぐらいのつもりでいた。

 ようするに無茶ぶりをした自覚はあったのである。


 だが、こうまで仕上げられてしまうと……


「ふふ、ふふふふ……」


 笑いがこみ上げる。

 そばで掃除の仕上がりの検分を待っていた千尋と乖離は、支配人が急に身を震わせて笑いだすので、『どうしたんだコイツ』みたいな目を向けた。


 振り返った支配人は、細めていた目を開いて千尋らを見る。

 その青い瞳には炎が宿っているようだった。


「初めてでございますよ。これほど才能のある掃除人に出会ったのは……!」


「褒められておるのか、これは」

「雰囲気は賞賛だがどうだろう。熱量の高さがちょっとよくわからないな」


「掃除というのは経営の根幹でございます。我がノーム領は農業、医療、そして温泉でもった領。清潔こそが我が領をここまでのものとしたと言っても過言ではございません。どのような貴族家も、嫡子には所有する温泉宿で下働きとして清掃をさせるのは有名な話でございます」


「そうなのか」

「貴族が掃除というのは意外だな。興味深い」


「そうしていつしか掃除の技術を競い合う者が現れ、ノーム領では『究極掃除エクストリーム・クリーニング』という貴族競技が生まれた」


「しかし乖離も掃除などするのは意外だったな」

「千尋の方もそういった印象はなかった」

「いや、道場で……ああ、まあ、最近では家事が仕事のうち一つであったからな。ほれ、お前が焼き討ちした村でのことだ」

「剣術しかやっていなかったのかと思っていた」

「さすがにそれだけでは母上に悪かろうよ」


「あなたたちであれば、『究極掃除』に新たな記録を打ち立てられるやもしれません」


「どうしたものか。全然何を言われているのかわからんぞ」

「なるほど、共感出来ないものに燃える者を見る気持ちはこういう感じか」


「これからは、かつて『究極掃除』で記録を打ち立てたわたくしが、あなたたちを究極掃除人にするために指導してまいります」


「何か始まったぞ」

「本当に『何か』が始まったな」


「チヒロにカイリ。あなたたちは、究極掃除の頂へ登る人材でございます。さあ、ともにもっとも優れたクリンネスを目指して戦いましょう!」


「まあそれが業務と言うならば従うが」

「そうだな。借金を負っている身であることだしな」


「もっとやる気を出して!」


 そう言われても困る、みたいな空気が広がった。


 かくして実力を見せつけたことにより『何か』が始まる……


 どう考えても本筋──借金の返済とは関係ない『何か』が。


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