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第212話 究極掃除大祭

 究極掃除エクストリーム・クリーニング──


 それは『速度』『正確性』『環境』という三つの指標でどれだけ美しく掃除を行うことが出来るかという競技である。

 始まりはなんと三百年も前になる。


 もともと温泉の湧きやすいノーム領において、温泉宿という事業を興すために貴族が金を出した。

 ところがその当時、人々は『観光宿の経営』のことがわかっていなかった。一番わかっていなかったのは、クリンネスの分野だ。つまり、家の掃除ぐらいしかしたことのない者が、温泉宿の掃除というのをわかっていなかったのである。


 多くの貴族たちはもともと宿屋を経営している者や、あるいは自分の家でメイド教育をした者を指導員につけて解決を図った。

 だがしかし、そもそも、温泉宿を増やそうとして雇った農家の三女だの、あるいは農地を失った女だのというのは、一日中働くという業務形態に慣れていなかった。具体的に言えば、能力が足りない上に熱心さもなかったのである。


 こういう連中を辞めさせるわけにもいかない。この当時、ノーム領は温泉宿を新しい収入源にしようと力を入れ始めたころであり、人口というのはそもそも男が少ないこの世界においては貴重なもので、今いる不真面目な連中を辞めさせたところで、人手がどこからか生えて来るわけでもない。


 どうにかして人材にやる気を出させることは出来ないか……


 当時のノーム公爵は悩んだ末に、あまりにも解決しないものだから、こういう手段をとるしかなかった。


『自分が率先して働けば、さすがに平民どももやる気になるのではないか』


 結論から言えばならなかった。

 偉い人が働いているので、無礼打ちに遭ってはならないと偉い人がいるうちは働くのだが、宿というのは年中維持をしなければならないものであり、公爵だの貴族だのというのは、温泉宿でずっと女将さんをしているわけにもいかないぐらいには忙しい。

 一瞬だけ解決するが、基本的に問題は問題のまま……本当にどうしたらいいんだろう……あのろくでなしの極潰しども、どうにかやる気にならんものか……


 そんなふうに考えていた当時のノーム公爵は、祭りの準備をしている現場に出くわす。

 そこでは普段怠けている女どもが熱心に何かをしているのだ。貴族主導の祭りではなく地域のお祭りのようなものだったので詳細を知らなかった当時のノーム公は、『これはどういう祭りなのか』とたずねた。


「へぇ、これは『ぶっかけ祭り』というもんで……」

「ぶかっけ祭り?」

「土でも水でもなんでもぶっかけまくって、最後に立ってた女が、子宝に恵まれると、そういう祭りです。あと、この祭りで勝つと『福女』になれるってんで、みんなああして、熱心に練習しとります」

「福女とは?」

「いいことがあります」

「具体的には?」

「わかりません。ただ、他の女たちから尊敬されます」


 ノーム公爵はこの会話を経て、一つ思いつく。


『そうだ──


 ──掃除を競技にしよう』


 そうすればきっと、女どもも『練習』に熱心になり、一年に一度の掃除の腕を競う祭りのために普段から環境を美しく保つことに注力するようになるのではないか?


 その思い付きは正しかった。

 そもそもノーム領の人々はお祭り好きであったため、掃除の競技化、そしてこの年に一度の競技祭で優勝した者に与えられる名誉というものを好んだ。

 そうして掃除は領地に馴染むことになったのだが……


『ノーム領の人々は』お祭り好きであった。

 貴族も例外ではなかった。


 平民たちが楽しそうに掃除をし、『これこそ究極』と誇らしげにしているのを見て、とある貴族がこう思った。


『は? 私のがもっとすさまじい掃除を出来るが?』


 こうして掃除は速度、正確性、さらには『いかに過酷な環境で掃除が出来るか』を競うようになっていき、それは貴族の優れた魔法の力無しでは成し遂げられないものになっていった。


 いつしか平民の掃除競技と区別して、特に貴族が参加するような過酷な掃除競技を『究極掃除』と呼ぶようになっていき、それは長い月日の中で貴族の嗜みとまで言えるものになっていった……


 なお掃除は掃除なので『地域の奇祭』ぐらいの感じに他の領地からは思われてしまい、ノーム領以外にまで浸透することはなかった。

 だが究極掃除に血道を上げる者は、四年に一度、王の御前で行われる運動の祭典のカリキュラムに、この究極掃除を入れようと活動を続けているという……


「まずいな、俺は一体何を聞かされているのだろう」

「私にもわからん」


 熱く語る温泉宿支配人に、宗田そうだ千尋ちひろ乖離かいりはそろって困惑していた。

 何かとても熱意を向けているものであることは伝わるのだが、奇祭すぎてうまく腑に落ちない。


 狐耳の支配人はメガネの奥の細い目を輝かせ、乖離と千尋に語り掛ける。


「あなたたちは、わたくしの後継者足り得るかもしれません」


 その時周囲がざわめいた。

 場所は仲居たちが集う休憩室であり、熱く語る支配人の様子に、この土地の出身であろう仲居たちは引き込まれていたのだ。


 そして反応を見るに、どうにもこの支配人、究極掃除の分野においてなんらかの名を成した者であるらしい。

 そういえば『記録を打ち立てた』などと言っていたっけ──と千尋は思い出す。


 それはともかくとして、


「因果関係の整理をしてもいいだろうか」


 手を挙げる。

 支配人は「どうぞ?」と小首をかしげて千尋を手で指した。


「まず、俺たちは不正な券を用いて温泉宿に泊まったせいで、宿泊などの代金をまるまる払う羽目になり、その金がないので働いて返す──という状況なわけだ」

「ええ」

「その究極掃除の後継者になると、借金は返せるのだろうか」

「いえ、究極掃除で得られるのは名誉のみ……お金が絡まないからこそ、心のクリンネスが保たれるのです」

「ではその競技にかかずらっている場合ではないので、後継者うんぬんは遠慮申し上げる」

「…………」


「あなたが借金を帳消しにしてくれるなら参加してもいいが」


 乖離の言葉に、支配人は細かった目をクワッと開いた。


「とんでもない! 究極掃除には、そういう俗世のしがらみを持ち込まないのがマナー! お金が一度でもかかわってしまえば、競技の聖性が保てません!」

「であればやる理由がない」

「しかし名誉が手に入ります」

「名誉で人は斬れん。あと借金も返せないだろう」

「…………」


 支配人は何かの葛藤を始めたようだった。

 そして、苦し気に、うめくように声を発する。


「……わかりました。借金は……なかったこととします……」


 これには千尋も乖離もそろって首をかしげた。

 乖離が口を開く。


「働く理由がなくなった」

「しかし路銀は必要なはず」

「だが究極掃除に金は出せないと言ったばかりだが」

「……あなたたちはこれより、過酷な清掃業務に入ります。すると……どこからか収入が入ります」


 部屋にいた仲居どもが「支配人!?」「支配人! それは!」「ちょっとさすがに横暴かと!」と騒ぎ始める。

 お金がかかわらないから聖性を保っている競技と紹介した口で収入を約束したのだ。地域の祭りについての冒涜である。乖離にも千尋にもさっぱりよくわからないが、地元民にとっては譲りがたいものがあるようだった。


 しかし支配人、目を見開いて「お黙りなさい!」と一喝。


「あくまでも宿屋での通常業務! ちょーっとだけ掃除が過酷になるだけで、これは本祭を見越しての練習などではありません! ただの清掃業務です! いいですね!」


「支配人!」


 そこでずいっと出て来たのは、小柄な女である。

 大人ではあるのだろうが、身の丈は千尋とだいたい同じぐらい。どこか動きがせわしなく、ずいっと前に出る動きなど、二歩ぐらいで済む距離を五歩も踏んで出て来た。


 灰色の髪の狐耳のその小柄な女、周囲の仲居から一目置かれるなんらかの職責、あるいは能力があるらしい。前に出た瞬間、仲居たちが代表者に向けるような目をこの女に向けていた。


「支配人、いくらあなたでも──いえ、あなただからこそ、そういった不正は許されません。伝統ある究極掃除、その歴史を軽んじる行為です」


「地域の祭りについての熱い相談は、横で聞いているとさっぱり共感出来んな」

 千尋がつぶやき、乖離が横でうなずいていた。


 支配人は目を平時の細さに戻す。


「わかっています。しかし……究極掃除にはいつの間にか常連が出来、順位もだいたい開催前にブックメーカーが語るものから大幅にはずれなくなってきている。わたくしは、競技の未来のためにも、『新しい風』が必要なものと考えます」

「しかし、それは不正を許す理由にはなりません! 一度でもお金がかかわってしまえば、これまで競技の精神にチリ一つ落とさなかった女どもへの侮辱になります!」

「…………特別枠………………」

「なんです!?」

「競技の順位とは違う、エキシビジョン枠として……彼女らを参加させる……これなら、どうです」

「いきなり出て来た外国人を!? 受け入れる者などおりません!」

「しかし、彼女らは『新しい風』、伝統と歴史の中で硬直していた競技に吹き込むべき新しい風なのです」

「風が吹けばホコリが立ちます」

「立ったホコリを集めて捨てられてこその究極掃除でしょう」

「……わかりました。そこまでおっしゃるなら、私が、彼女らの実力を見ましょう」


「何か流れが変わって来たな」

「つまりどういうことが起こっているのだろう。勝負でもするのか」


「外国人! まずは、あなたたちの資格を見ます」


「なぁ乖離、『別に参加する意思がない』という指摘はすべきだろうか?」

「経験上、こういう手合いに、そういう指摘は通じない」


「究極掃除は地域に認められてこそです。また、究極掃除は地域の三大勢力の力比べの場でもあります。あなたたちは……『温泉宿』『農家』『医療』の三つのグループに面通しをして、認められなければなりません」

「わたくしも同じことを言おうと思っていました」


 そこで支配人が小柄な女の言葉を継ぐ。


「チヒロ、カイリ、あなたたちが究極掃除大祭にエキシビジョン枠で参加するためには、『温泉』『農家』『医療』の三大勢力に認められることが必要……彼女らの話を聞き、彼女らから、究極掃除大祭に参加する許可を得るのです」


「特に参加の意思はないと表明はしておくが」

「そうだな。表明だけはしておこう。恐らく無駄だが」


「ですが余所者が究極掃除大祭に参加するのは、なかなか認められ難い。そこで、今、三つの勢力を悩ませている問題を解決すること……これをあなたたちに依頼します」


 そこで千尋と乖離は、『用意されていた流れに誘導しているな』という気配を感じた。

 究極掃除の話題で支配人が熱くなっていたのは本当にしか思えなかったが、ここからの流れはあらかじめ用意されていたものであり、千尋らには最初から、この依頼をするつもりであったのだろう──と思われたのだ。


 支配人は細い目を千尋らに向けている。

 微笑んでいるが、内心はうかがい難い。


「彼女らは今、『王家御用達』を巡って争っている状況です。あなた方には、各勢力の話を聞き、この問題を解決してほしいのです」


「一応言うぞ。余所者が解決出来る問題には思えん」


「いえ、あなた方には解決の実績・・があります」


「…………ふむ」


「それに、この問題は地元の者こそ解決の叶わぬものなのです。ですから、各所を巡り、話を聞き、調整をしてみてください」


 明らかに無茶な流れのように思える。

 だが、解決の実績──


 千尋も乖離も、気付いた。


(なるほど、『商人』絡みか)


 支配人の立ち位置ははっきりしないのが現状だが、『商人』に困らされており、千尋と乖離の『活躍』も知っている立場、というのは間違いないらしい。


 その立場の者が、こうして依頼をしてくるのだ。

 これには乗っかる価値がある。……何をさせたいか曖昧なままにしているので、その真意を探ることも出来るだろう。


(直接的と言えず、さりとて間接的とも言えぬ状態で、俺たちの行動を誘導しようとしているのは、少々不気味ではあるがなァ)


 この支配人は、その正体も含めてはっきりしない。

 協力を願い出るのであればすべて明かすべきだし、そうでないならばはっきりと罠にかけるべきだ。

 あるいはこの状況そのものが罠なのかもしれないという懸念もあるが……


(向こうも、俺たちの出方を見ている、と考えるのがよかろうな)


 信用に値する人格・実力・意思があるかどうか。

 そこを含めて判断するために、こういう、よくわからないことをさせよう──という状態なのだろう。


 ともあれ、


「なるほど、引き受けた。仕事だからな」


 千尋は引き受ける。

 乖離もうなずき、同意を示した。


 なんとも不可解な探り合いである。

 だが……


(懐かしいな、この、敵とも味方とも言えぬ、はっきりと主題のわからぬ、肚の探り合いのようなやりとり)


 むしろ千尋は、この世界に来てから経験していなかった、『道場主としての渡り方』を思い出すのだ。


 互いに薄皮一枚被せた言葉をかけ合い、相手の態度からその内心を探り合う──

 政治的な戦いが、始まっていた。

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