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第215話 一方そのころ

「……なんであいつら、掃除してんだ???」


 天野あまの十子とおこは、千尋ちひろらへの接触の機会を狙っていた。

 もちろん、キトゥンも一緒だ。


 ここらは農業組合事務所のそばである。

 独特の鮮やかな長い葉が生い茂る生垣に隠れるようにして、千尋らを尾行していた十子とキトゥンは、なんだかここにたどり着き、そうして千尋らがすごい勢いであたり一面を掃除する光景を見せつけられていた。


 本当にすごい勢いだった。


 なんだろう、掃除っていうのはもっと丁寧にチマチマやる面倒くさいものだという認識が十子にはあったのだけれど、千尋たちの掃除の模様は擬音をつけるなら『ガォン』という感じで、通り過ぎた場所が勝手にピカピカになっていくという、掃除の概念を根底から覆すものだった。


 しかも家屋内でやっているわけではなく、その周辺──農業組合事務所は農地近く、ノーム公爵領領都ノーマンの目抜き通りに面する場所にあるので、あたりが土の地面であったりするわけだ。

 そのあたりを掃除すると、家屋の壁や天井はもちろん、土の地面までピカピカに輝いているという異常事態が起きている。


 土がピカピカになるのは、超高温で熱されてガラス化するとかそういう話になってくるのだが、踏んでも土は土のままだし、なんらかの十子にはよくわからないおかしなことを、あの人斬りどもがやっているのだけはわかった。


「そういえば──」同じ生垣に隠れているキトゥンが口を開く。「──なんだかんだ、アンタたちがアンダイン大陸に来てからずっと一緒にいるじゃない」

「そうだな」

「アタシは隣でアンタたちのことを見る羽目になってきたわけよね。で、それでもまあ、おかしかったけど……」


 そこでキトゥンが一瞬黙り込んだのは、表現を探してのことだった。

 しかし、見つからなかったので、単純な言葉を選ぶことにした。


「……ちょっと離れたところから見るあの連中、ヤバいわね」

「ああ、ヤバい」


 考え方とか覚悟とかがヤバいのは最初から知っていたが、行動もやや離れた場所から見るとヤバい。

 なるほどと十子は思う。たとえば紙園かみその金色こんじきであったり、百花繚乱ひゃっかりょうらん沈丁花じんちょうげであったり、あとは天女ミヤビであったりが見ていたのは、こういう景色なのだ。

 みな千尋といくらか会話をしたらおかしくなっていたが、なるほどこういうのを客観で見せつけられるとまず混乱する。混乱したところに見た目清楚美人の千尋が人斬り言動をする。そして実際に人斬り行動をする。すると脳がバグり、情緒がおかしくなり、自律神経なども乱れ、結果として千尋に狂った人々が完成するのだろう。


「で、あいつら何してたのかしら」キトゥンは唇を尖らせる。「っていうかあいつらなら、隠れてるアタシたちに気付くでしょ」

「ああ、気付くな」

「だっていうのに接触して来ないのよね。……もしかして、アタシたちのこと忘れてない?」

「……」

「黙らないでよ!?」

「まあその……あり得なくはなさそうだなと思って……」

「トーコにそう言われると不安になるんだけど!? ふ、普通、忘れないでしょ!?」

「でもあいつら、普通じゃないし……」

「そうだけど!」


 会話するほど不安ばかりが募っていく。

 しかも常識を身に付けた相手には抱かないタイプの不安である。つまり、常識がない人斬りなので、連中の心中が全然わからないということだった。


 二人が観察している前で、千尋と乖離が組合事務所から出て来る。

 何かを話している様子はわかるのだが、距離的に内容までは聞き取れない。

 あと、やはり十子らのいる方向を一瞥もしない。


 十子は人斬りどものことをほとんど『不思議パワーの使い手』と見ているので、この距離で隠れて視線を注いでいる自分たちに気付いていないとは思えなかった。

 やはり気にしていない。マジで忘れてんじゃねえだろうなあいつら、と怒りなのか不安なのかわからないものが十子の腹の底に渦巻いている。


 なので、


「……こうして黙ってても埒が明かねえ。キトゥン、行くぞ」

「チヒロたちにこっちから接触するのね?」

「いや」

「……違うの?」

「一応、あいつらがあたしらに接触しねぇのは、『今はその時ではない』と思ってると想定しよう。……正直なところ、大人しく借金を背負わされたところからして、あたしの想定は役に立ってねぇが……まあともかく、別行動を良しとしているものと思うことにする」

「本当にそうかしら!? あいつら、普通に忘れてる気も結構するけど!」

「うるせぇ」

「『うるせぇ』!?」

「そういうこと考え始めると不安になるだろ……だから、あたしらはあたしらで、あいつらが何を話してたかを調査するんだよ」

「回りくどくない!?」

「実際に千尋たちに接触して『なんで接触してきたんだろう』みたいな顔されたら……立ち直れねぇだろ……」

「それは……まあ……そう……」


 引きこもりと暴走娘の精神は脆い。

 ことに千尋らに失望されるような事態を彼女らは避けたがった。向こうがあえて接触しないでいるのに、こちらから接触してしまった場合、千尋や乖離はあからさまに失望を表には出さないだろうが、『間違えたっぽい』という事実が自分たちの心をさいなむのを、十子とキトゥンは良く知っている。


 なのでしばらく様子を見るという結論に至った。

 ……が、やっぱり意図は気になるので、千尋らに接触せず、その行動だけ調べるという回りくどいことになっている。


「そういうわけだ。事務所に突撃する」

「そうね。そうしましょう」

「じゃあ、任す」

「………………『任す』?」

「いや、あたしは外国人だろ。どのツラ下げて行くんだよ。千尋たちが持ってねぇ情報を調べるんなら、アンダイン人であるお前のが適任だろ」

「……いやいやいや!? そんなことないわよ!? あ、アンダイン人って言っても、あたしは明らかに、ほら、このへんの人たちとは違うじゃない!」


 キトゥンは青毛の猫系であり、ノーム領の人は茶色だったり白だったり金色だったりという狐系の耳と尻尾を備えている人が多い。

 これは明確な『人種の違い』であり、『同じアンダイン人』ではあっても『地元の人ではない』ことが一目瞭然なので、キトゥンの扱いは実際、千尋たちとそう変わらないのだ。


「つっても耳が頭の上に生えてるのは一緒だろ。あたしよりは馴染めるんじゃねぇかなあ」

「ねえトーコ! アンタ、千尋たちと一緒にいる時は落ち着いてるのに、アタシと二人きりになった途端急におどおどし始めるのなんなの!?」

「うるせえなあ。こちとら長年、いおりに引きこもって来る日も来る日も刀打ってたんだよ……人斬りどもに振り回されてるうちにゃあ、まあ、なんだ、常識的なことを言わなきゃならねぇ気持ちで踏ん張ってるが、こうやって離れて行動してみると……人と話すのは苦手だ」

「アタシだって得意じゃないけど!?」


 コミュニケーションに自信のない者どもが、生垣でぎゃあぎゃあ騒いでいる。


 すると、


「おい、そこの連中、何してんだ?」


 当然、見つかる。


 キトゥンと十子は、生垣の陰にしゃがんだ自分たちを見下ろす、狐耳の女を見上げて、同時に『にへら』と笑った。

 かくしてどちらが行動するとか決める前に、無理矢理にコミュニケーションの場に立たされることになった。



「ああ、あの掃除婦たちの知り合いかい。いや、外国の出身なのに見事なモンだよ。見な、事務所の床が鏡みたいになってら」


 かくして事務所で茶を出された十子とキトゥンは、十子の人種もあってあっさりと千尋たちの知り合いだということがバレ、お茶を出されることになった。

 どうにもあの人斬りどもは掃除によって地元の人の心をかなり掴んでいたらしく、十子やキトゥンに対する態度は柔らかい。

 というより、むしろ、キトゥンに対する態度が、特に柔らかい。


「それにしてもお嬢ちゃん、まだ若いのに大変だな」

「え、アタシ?」

「ああ。温泉宿に旅行に来た金持ちにも見えないし、かといって医者を求めて来た感じでもない。つまりアレだろ、お嬢ちゃんも難民ってわけだ」


 そこで十子とキトゥンが互いを見たのは、思わぬところから、千尋らでは得られない情報を得られそうな気配を察してのことである。

 二人はしばらく、会話を転がす役を視線で押し付け合って……


 話を振られたキトゥンが、対応することにされた。


「難民って……最近多いの?」

「そりゃ多いだろ。貴族家の改易も多い。貴族家が潰れりゃあ、そこで働いていた人、その家族も喰うに困ってどこかに働き口を探さにゃならん。……しかも、シルフの方じゃあ、精霊の遺骸が壊されたらしい」


 ひそやかに、とっておきの、まだあまり知られていないニュースを明かすように、農業組合職員は言った。

 キトゥンは苦笑する。


(めちゃめちゃ当事者で、破壊された当時現場にいました──なんて言えないわよね……まあ、アタシは直接かかわってないっていうか、巻き込まれただけだけど……)


「幸いにもここらはまだ農地が多いから、人手が足りない場所もある。……まあ、家族を養えるほど稼げはしないだろうがな。……そういう人たちのためにも、うちらが『御用達』にならなきゃならんのだが……」

「御用達って?」

「温泉、医療、農地でな、ちょっとしたいさかいがあって……まあ、なんだ、簡単に言えば、予算の問題だよ。配分を争ってんのさ」

「……大人の話ね」


 キトゥンがゴクリと生唾を呑み込むと、農業組合職員は笑った。


「はははは! そうだなあ、お嬢ちゃんには、まだ早い話か! ……ま、そういう、つまらん大人の事情でな、争ってて、王家の御用商人に検分をお願いしてる状況ってわけだ」

「その御用商人に気に入られたら予算をいっぱい回してもらえるってこと?」

「うーん、それがなあ。複雑っていうか──あのなお嬢ちゃん、実は、この状況を正確に把握できてるやつが、たぶん、どこにもいないんだわ」

「何よそれ!?」

「まず歴史的に、ノーム領では大きな勢力同士が争うことになった場合、公爵様じゃなくて、王家の裁定を待つ。そんでもって、予算配分についての裁定っていうのは、実は、今回限りじゃなく、伝統的に、王家からの裁定を待つモンなんだ」

「……」

「でも今回はちょっと様子が違う。『王家の後ろ盾を得たけりゃ、土地を差し出せ』っていう話になってるわけだ」

「今までは?」

「そりゃあ、賄賂……ああいや、『おもてなし』は多少はあったさ。でも、前までは『祭り』だったんだよ。アンダイン陛下に行幸していただいて、それぞれの勢力が主催する祭りを楽しんでいただく。そうして、一番陛下を喜ばせた祭りを提供した者に、陛下が恩寵をお与えくださる──こういうやつだ」

「健全じゃない」

「そんでもってな、その予算配分は、毎回勝者が変わる。去年は農業だったから今年は医療、今年が医療なら来年は温泉宿……って具合にな。いやまあ、実際には四年ごとなんだがね」

「不健全じゃない!」

「まぁ大人の世界ってなそういうモンだ。……ところが今回は『土地を出せ』っていう話になって、一同困惑してる。で、昨今のアンダイン王の……なんだ、貴族家改易だのなんだのがあって、どうにもキナ臭い。キナ臭いが、実際にどうなのかはわからんので、対応がふわふわしてる」

「ええ……?」

「一応組合ごとに『総意』はあるが、組合の中にもいろんなヤツがいるからな。通例として処理出来てたモンが、社会情勢だのなんだのの影響を受けて変わる時にゃあ、決断が必要になる。が、決断のための会議っていう習慣が、この問題についてはなかったんで、どう話し合っていいかからわからん状態なんだわ」


「ずいぶん裏事情を話してくれるが──」十子が口を開く。「──そういうのは、『難民』やら『外国人』やらに話していいモンなのか?」


 農業組合職員は、力なく笑った。


「私もさっきまでは、こういうのをよそ様に話すべきじゃあないと思ってたんだがね。……思い直したんだ。新しいことが起きてるなら、新しい意見でも集めてみようかな、って」

「……」

「間違いなく大きな変化の中にいるのはわかる。わかるんだが、『じゃあ、具体的には?』っていうのが、わからん。……ノーム領はなあ。王家の意向ってやつを重要視してきた。困ったら、王家のご意見をうかがう土地柄なんだ。だが、その王家が今は…………まあ、だろ?」


 現在のアンダイン王は、その治世を問題視されている。


「ところがだ。長年そうして決めていただいて、それに従っていると……わからなくなるんだよ。自分の意見の出し方っていうのが」

「……」

「どうすべきなんかねえ、うちらは。王家の方々に従ううちらでさえ、戸惑うような治世が最近は布かれてる。難民も出るし、どこぞの工廠に入れられたまま家族が帰らないなんていうばあさんの話もよく聞く。……感情的にはまあ、いつまでもこの王家と一緒にいちゃまずいのはわかる。わかるんだが……難しいな」

「……あたしらにも、難しい」

「そりゃそうか」

「けどまあ……気が向かねぇことをするのは、疲れるぞ」

「『心の赴くままに』か。……そいつが出来たら苦労はないねぇ。生活もある。何より、私らからはわからんだけで、王家の方々の現在の治世も、なんらかの……『良いこと』につながるのかもっていう気持ちもある」

「……」

「まぁ、ようするにだよ。私らは、誰かに決めて欲しいのさ」


 農業組合職員は疲れ果てたように笑い……


「『付いて行くのに迷いのない王』がどっかにいてくれたらいいんだけどねぇ」


 ため息をつく。

 ……キトゥンの正体を知っているわけではないだろう。


 だが、その言葉が深く刺さったように、キトゥンは視線をうつむけていた。

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