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第222話 混浴

 宗田そうだ千尋ちひろは、岩陰に隠れていた。


「なんか知らない間にトーコに連れ出されて、よくわかんないままここにいるけど、いいの!?」

「構わんだろう。十子とおこはこう見えてそういう判断は誤らん。まあ誤っても謝らんのだが」

乖離かいりよぉ、てめぇは一言多いんだよ相変わらずぅ!」


 温泉宿である。


 ノーム公──と確定したらしいあの支配人が経営している温泉宿ではない。

 医療組合に『協力』をお願いした際に世話してもらった宿である。


 ……筋から言えば、借金を背負わされている千尋と乖離はノーム公の宿に戻って、報告をすべきなのだろう。

 しかし戻ろうとしたところ、宿から十子とキトゥンが出て来た。何か情報を持っている様子だったのでそのまま合流し、ノーム公から離れる予定だったのもあって用意しいていた宿にこうして直行した、というわけである。


 そしてなぜか、四人で風呂に入っている。


 ちなみに通常の温泉宿に『男湯』『女湯』の概念はない。そもそもアンダイン王国において、男性は単独で温泉宿に来ることがなく、貴族に連れられて来るので、そういう場合は『貴族の持ち物』として、貴族に守られながら貸し切りの湯に浸かるのが通例だからだ。

 男が施設で一元管理されているこのアンダイン王国において、本来、『観光客としての男』というのは存在を想定されないのである。


 で、こういう時には十子らの方が『千尋(男)が入っているから』と遠慮するのだが、今回、十子はいたくご立腹で、そのご立腹の間に乖離が普通に『千尋、風呂はどうする?』と聞いて来た。これに『入るか』と答えたため、『そうか』ということでこの状況である。


 この状況になってなお十子がまだぷりぷり怒っていて『そばで千尋が全裸』ということを気にする余裕がないのは、乖離が天然で十子の怒りを煽り続けているというのもありそうだが、その前に十子にとって我慢ならないことがあったらしい。


「……ともかくよぉ、ノーム公の様子はイラつくんだ。昔のあたしを見てるみてぇだからな」


 彼女の怒りは、そういうことのようだった。

 どうにも引きこもって何かを待っている──行動しないような者を見ると、庵に引きこもって、乖離に玩具扱いされた異形刀を打っていた時のことを思い出すらしい。

 あの時間はあの時間で技術を磨けたよ、なんて十子は語っているものの、乖離に曰く『十子はそうやって格好つけたがるところがある』らしく、まぁ、思い出すと『無駄だった』という気持ちが沸き上がる時間でもあるのだろう。技術を磨けたのも、間違いではなかろうが、それはそれとして、心情的には……というやつだ。


「そういうのを『観測者羞恥』と言うらしいぞ」


 乖離が豆知識みたいなものを披露すると、十子が「あぁ!?」とむやみに噛み付く。

 とにかく今の十子は機嫌が悪いし、機嫌が悪い時間が長いし、機嫌が悪いことを隠そうともしていない。

 この様子は千尋と二人きりの時には見せなかったものだ。……やはり同性、それも幼馴染の乖離がいるというのは、十子にこういう『甘えた態度』をとらせるもの、なのだろう。


「で、ノーム公が中途半端って話はしたがな。てめぇらはどうすんだよ乖離。っていうか、あたしらに気付いてて合流しようとしなかったのはなんでだ?」

「面倒くさかったんだ」

「ぶっ殺すぞてめぇ!?」

「キトゥンを連れ歩くわけにはいかなかった。だからお前に押し付けた」

「はぁ? なんでだよ」

「王の血筋だからだ」

「言葉が足りねぇ」

「この領地の問題がとてつもない均衡の上で今にも崩れかけているのはわかるか?」

「……まあなんとなくな。小難しいことばっか言ってグダグダしてる印象しかねぇが、実際に難しい状況なんだろうなーってのもわかる」

「王家と懇意にするのはどこか、というのが言ってしまえばこの領地の抱えている問題だな。そこに『前王の第七子』を連れて行ってみろ。キトゥンの存在がどう利用されるかわからない。『商人』や、キトゥンの母親たちにな。だから、連れて行かなかった」

「あたしは農業組合に連れて行っちまったぞ」

「お前たちがそう決めて動く分には問題ない。とりあえず私たちのところで面倒ごとは起こらないからな」

「つまり面倒ごとを押し付けたってことか?」

「だから最初に『面倒くさかったんだ』と言った」

「てめぇは本当によぉ!」


 ばしゃばしゃと水音がする。

 千尋は大きな岩の影にいて見えないが、十子が乖離に掴みかかろうとして、乖離がそれをいなしているのだろうというのは音だけでもわかった。


(うーむ……若いお嬢さんたちが岩一つ向こうでくんずほぐれつしているというのに、この俺ときたら)


 この若い男の肉体なので、もっといろいろ思うところがあってもいいよなぁ、と千尋は考えるのだ。

 だが気分が老人のままで、『若いなあ』ぐらいしか思えなかった。

 殺し合いの時にはあれほど興奮するというのに、女性三人と混浴しているこの状況でこうなのだから、若い、若くない以前に、何かもう『そういう感じ』なのかもしれないとさえ思う。


「あー、一ついいだろうか」


 そこで水音がぱたりと止まったのは、明らかに『そういえば千尋がいた』と思い出したと、そういう様子だった。


 急に恥じらうような気配があって、ついつい『今さら遅いが……』と言いかける千尋だった。だがしかし、そういう物言いが若いお嬢さんのよくない部分をぐさりと刺してしまうのもわかるため、口をつぐむだけの配慮は出来た。


「今、千尋がいることを思い出したのか? 今さらお淑やかぶっても遅いと思うが」


 しかしデリカシーのない乖離がいるので、千尋が言葉をこらえたのは無為に終わってしまった。

 再びつかみ合い(十子はつかもうとするが、全部乖離にいなされている)が始まったのを感じつつ、千尋は気にしないことにして口を開いた。


「それで結局、キトゥン殿はどうするのだ? ノーム公という後ろ盾は、王になるには悪くないものとも思うが」


 また水音が止まる。

 今度は、視線がキトゥンに集まっているのがわかった。


「あ、あたしが答えるの!?」


「てめえ以外の誰が答えんだよ」

「まぁ、お前の人生だからな」


「どうしてさっきまでケンカしてたのに、今はそんなに息が合ってんのよ!?」


 結局のところ、十子と乖離は仲が良い。


 キトゥンは周囲に味方がいないことを察してか、お湯の中に口までつかり、ぶくぶくしてから、ちょっとだけ浮上した。


「っていうか、あたし、よくわかんない話をされて、気付いたらトーコに連れ出されて外にいて、ここに至るっていうか……」


「残してきた方がよかったっつう話か?」


「そうじゃないわよ! 一人で残さないでよ!? ……そうじゃなくって、判断とかつかないし……やっぱり王様にはなりたくない。……その話がもう終わってるのはわかってるけど!」


「別にそう慌てて言い添えなくとも、わかっているのはわかっているし、わかっている上で未だにぐちぐち言ってしまうお前の、頭と口との間に関がない様子も、慣れているつもりだ」


「カイリがアタシに優しかったこと一度もなくない? ……王になるか、ならないか──は終わってるとして、その筋道を決めろ、っていう話なのよね。…………あのねえ、正直に言っていい?」


 周囲が首肯するように沈黙し、キトゥンの方向を見ていた。

 キトゥンはチラりと岩の方を見る。その陰にいる千尋に、これからの発言を聞かれるのは恥ずかしかったし、急に『そこに男性が裸で存在する』ということが気になってしまった、というのもある。

 キトゥンはいつもこうだった。その時その時の『主題』とは関係ない『気になること』が急に頭の中に浮かんで、そればっかり気にして、『主題』がよくわからなくなってしまう。

 この性質のせいで『一つのことをじっくり考える』というのが酷く苦手なのだ。

 だから、


「……全然わかんないのよ! 王様になるって言われても! や、やらなきゃいけないこ、考えなきゃいけないこと、たくさんあるのは、わかるの! わかるけど、何から手をつけていいかわかんないの! 手をつけるべきこと考えようとしても、余計なことが気になって考えが途中で逸れちゃうし、逸れちゃうともう、面倒になって、『王様になんかなりたくない!』って言葉が口から飛び出すのよ!」


 沈黙。


「面倒になんかなるなって言いたいんでしょ! アタシだってそう思う! そう思うけど、もうね、面倒なの! 全部投げ出して、呼吸も面倒で、なんにも考えられなくなって、立ち上がることも出来なくなるのよ! みんなが思う『面倒くさい』は『がんばって気合を入れたらどうにかなること』かもしれないけど、アタシの『面倒くさい』は、気合がそもそも入んないのよ! 生きてるだけでギリギリなの!」


「共感は出来ないが理解はしよう。であればなおさら、ノーム公をそばにつけるのは悪くない選択だった。方針を横でささやいてくれるという話だったのだろう?」


「でも協力したくならなかったんだからしょうがないじゃない!」


「であればとりあえず、ノーム公のところから去ったのは正解だったということだ」


 乖離の言葉に、キトゥンが唇を尖らせ、十子が鼻で笑った。


「だが結局『決まらない』って話だぜ。キトゥンはまぁこういう性格なんでしょうがねえかもしれねぇが、グダグダしてる状況に変わりはねぇ」

「いや、状況は変わる」

「あん? ……そういや、お前と千尋は何してたんだ?」

「医療組合に協力を求めた」

「なんのために?」


 十子の声に、岩陰から千尋が答えた。


「精霊の遺骸を壊そうと思ってなぁ」


 一瞬、絶句。


 だが、十子は『もう慣れた』という様子でため息をつき、


「……お前らのやることを止めらんねぇのはわかってる。だが、一応聞くぞ。今回は、主犯になる。シルフ領では水賊どもの犯行の後始末として、結果的にシルフの聖骸を壊した。サラマンダー領では──なんだ、まあ、組合のジニに付き合う過程でサラマンダー公に敵対して、サラマンダー公が精霊そのものになった? から結果として、命を守るために精霊の、遺骸でいいのかありゃ? まあとにかく精霊を壊した。だが今回は、お前らの意思で、精霊の遺骸を壊そうってんだろ?」

「そうだ」

「そいつは重大な侵略行為だぜ。今までもやってきたとはいえ、今回は言い訳の余地がねぇ」

「言い訳などするつもりもない」

「わかったよ。で、なんのためにだ? そいつは『商人』の目的に協力するってことだぜ」

「乖離はその『商人』から直々にこの領地に招待を受けたはずだ。だが、『商人』は接触してくる気配がない。姿も影も踏ません。よほど我らと遭遇するのが怖いと見える──まあ、そういうヤツなのだろう」


 強気のようでいて臆病で、慎重なようでいて軽率。

 千尋の中で『商人』というのはそういう人物だった。つまるところ、実際は小心なのだが、舐められるのが嫌いなので大物ぶってしまう──ジニがやっていた『いじめられないための努力』を、もう少しうまくやっているのが『商人』なのだろうという見立てだ。


「そういうヤツだから、なんだ?」

「俺らに壊されそうになれば、慌てて出て来る。『手柄をとられてたまるか』という具合でな」

「…………そうかぁ?」

「別に出て来なければそれでもいい。そもそも、精霊の遺骸はこの大陸の女の『魔法』の力を支えている。それを壊せば『商人』はあの厄介な転移も、製造も出来なくなるはずだ。俺たちの『商人を殺す』という目的には、どの道一歩近づく」

「そりゃそうなんだが」

「釣り出されてくれればその場で殺す。釣り出されなければ遺骸を壊した上でそのうち殺す。……それにな、十子殿はノーム公のやり口にいらついているのだろう?」

「そうだな」

「俺もそうだ。小難しいことを言って行動しない者は、ただ放置している者よりもなお悪であると、俺は思っている」

「どっちもどっちだと思うが」

「重要なのは自分を正当化しているか否かだ。間違っていると思っているならば、間違いが正されることがありうる。だが、間違っていると思っていない者は、正されることがありえない」

「お前がそこまではっきり言うほど、ノーム公のやってることは『悪い』のか?」

「悪い。状況が明らかに変化している中で、何もせず手をこまねいている。おまけに外部からの指導者を待っている──これは明らかに『責任を避けたがる動き』だ。ただの農民、ただの浪人がそうなら、それはいい。だが、一国どころか複数の領地を横断的に差配すべき公爵がその態度では、困窮する者が出る」

「ずいぶん政治的な意見だな。いつから世直しに興味が出た?」

「これが本当に『世直し』だと思うのか?」

「……違うのか?」

「そういう隙がサルタの内乱の後押しをした」

「……」

「我らが『商人』を追うのはな、何も『殺し合いを邪魔されたから』だけが理由ではないぞ。あんなモノが自由自在に政治の中枢に出入りしていらぬ混乱をまき散らすならば、どこで何をしていても被害に遭う可能性がある。そして、『商人』の個人の武力は、だんだんと無視出来ぬものになりつつある。……想像してくれ。『公爵兵と分けるような戦力を持つ個人が、弱者の立場で強者に怨念めいた対抗心を持っており、能力によってどこにでも出現し、材料を必要とせず兵器を製造し、しかも国家の中心で王の後援を受けている』という状況だ。果たしてこれは、俺たちにとって無関係か?」

「…………無関係ではねぇな。実際、天女教総本山の内乱にも浅くない関係があった」

「そしてこれを許すのが、現在のアンダイン王国だ。政治的、客観的、あるいはこの大陸の民の視点はわからん。だが、俺の視点で商人は放置できない脅威であり、これをのさばらせる態度は、俺視点で『悪』にあたる。ノーム公の態度はまさしく、『悪』なのだ」

「……なるほど」

「まあ、とはいえ俺は善悪で斬る相手を決めるわけではないが」

「おい」

「はっはっは。──だから、『世直し』ではない。これは『防衛』だ。困窮する者とは、あの商人の暴走を許した果ての我々なのだ。そして、あの商人の動きを容認し、責任を避けたがって行動しない者が『上』にいるならば、商人の行動は止められない。ゆえに斬るしかない。人斬りとしてはな」


 ミヤビを斬ると述べた時と、理由の種類は同じだ。

 上にいる者がああなら被害に遭う者がまた必ず出る。だから、人斬りは斬る。

 政治家は政治で、扇動家は扇動で解決すればいい。組合なら農業や医療や温泉で解決すればいい。

 だが人斬りなので、斬る。それだけの話だ。


「でも斬る相手はノーム公本人じゃないんだな」

「どうせなら強い相手がいい」

「おい」

「今のところ、ノーム公本人は──まあ魔力? は強大なのだろうが、強い者には見えなかった。精霊の遺骸の方が、斬りごたえがあるだろう。そういうわけで」


 ざばあ、と千尋が立ち上がり、歩く。

 歩く先は脱衣所──


 そちらには十子たちがいる。


「オイッ!」


 普通に歩いて来る千尋に十子が目を手で隠しながら注意し、キトゥンは両手で顔を押さえて凝視し、乖離は空に浮かぶ月を見ていた。


「行くのか、千尋」

「ああ、そろそろのぼせる。……どうにも長湯しすぎたらしい」

「そうか。私は私で動く」

「それがよかろう」


 乖離以外の女が大混乱する中、千尋が湯を歩いて出て行く。

 しばらくあと……


「ち、チヒロはどこ行ったのよ……」


 キトゥンがたずねるので、乖離は首をかしげて答えた。


「だから、精霊の遺骸──ノームの影骸えいがいのところだ。もちろん斬りに行った」


 キトゥンは、色々な言葉が脳内に浮かんだ。

 だがどれもうまく言語にならなくて、ようやく絞り出すように言えたのは……


「ひ、一人で……?」


 それだけだった。

 乖離はもちろん、こともなげにうなずく。


 月が綺麗だな、とでも言いたげに、湯船から空を見上げ続けていた。

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