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第20話 聖女と疑念

◆ <聖女Side ~三人称視点>


 グリモワール王国は魔法文化が発展した事で、独自の成長を遂げた国家だ。一般市民でさえ魔法で火を焚き、上級貴族は設置された魔法陣により自動で冷気が貯まる保冷庫に食料を保存し、スイッチひとつで火を点ける事の出来る焜炉こんろで料理をする。但し、それはあくまで上級貴族と一般市民や貴族でも魔力がある者の生活。


 身分格差、貧富の差は多い。明日生きるお金がなく犯罪を繰り返す者、人間ではない自然界と共存する長い耳を持つ長寿の種族――エルフを誘拐し、奴隷として密売する闇組織すら存在している。


 聖女クレアへの密告。それはつまり、内容によっては死罪を意味する。クーデターや国家反逆などの絵空事へ本来耳を傾けてはいけない。闇へ堕ちようと破滅へ向かう者を正しい道へと導く事が聖女の務めであると彼女は常日頃より考えていた。


 だが、今のクレアは聖女としての務めよりも、僅かな悪意を持つ者すら侵入を阻むと言われる神殿の高度な結界を搔い潜り、此処まで辿り着いたこの信徒の強い意志に向き合う事が大事だと、眼前に対峙する者へ内在する意識を変えた。


「用件を手短に。監視の者が気づく前に」

「あんたの周りは敵だらけだ。だが、必ずどこかに味方は居る。己の信念のみを信じよ」

「周り? 何の話なのです?」

「――聖女システム」

「え?」

「話はそれだけだ」

「ちょっと!」


 それだけ言い残し、黒いフードを再び目深に被った男は立ち上がる。そして、部屋の入口を出る直前、去り際でひと事呟く。


「あんたの大事なペリドット・・・・・。ちゃんと届けておくよ」

「え!? 待って下さい!」 


 クレアが裏の出口より部屋を飛び出し、洗礼室外の扉を開け、礼拝堂へ出るも、既に男の姿は消えていた。結界ゲートの前へ立つ警護の者へ黒いフードの男を見なかったか尋ねるも、そんな姿の者・・・・・・見ていない・・・・・という。


 洗礼室へ向かうためにはまず、神殿の礼拝堂から専用扉を抜け、必ず結界が設置されたゲートを通過しなければならない。そもそもゲートの前に立つ警護の者が見ていない事がおかしいのだ。


「クレア! どうしたんだ?」

「あ、エルフィン」


 明らかに狼狽える様子のクレアが洗礼の儀式途中で洗礼室から出て来たため、遠巻きに見ていたエルフィンが気づき、彼女へ声を掛ける。


「クレアの様子がおかしい。そちらへ向かう。ソルファは先に戻っていてくれ」

「は!」


 ソルファはその場を離席し、礼拝堂入口にて洗礼を希望する信徒を順番に誘導していた神官へ、クレアの体調が優れないため残りの洗礼の儀式を中止する旨を指示する。


 いつもは平常心を保っているクレアの表情がアンリエッタ追放後と同じく青褪めているように見えた。話しながらも洗礼室へ入室する者を常に監視していたエルフィンから見ても、それまで異常は感じられなかった。


「クレアどうした。一体、何があったのだ?」

「あの……エルフィン王子、先程入室した信徒の方はお帰りになられましたか?」

「誰の事だ? 嗚呼、麻の服を着ていた遠方から来たという信仰深い村人は確か先程、神官へ会釈をして外へ出て行ったぞ?」

「いえ、わたくしがお話した人物はフードを被った……あ」


 そこまで話してクレアは気づく。洗礼室までの道のりは、礼拝堂の扉→廊下中央の結界ゲート→その先に洗礼室の扉という順番になっている。回廊中央の結界ゲートを潜った先には警護の者は居ない。つまり、村人がゲートを通過し、洗礼室前で村人と黒フードの男が入れ替わった可能性があるのだ。


「ではどうやって……」

「一体何の話をしているんだ、クレア。顔色が悪いぞ? 今日は休んだらどうだ」

「ええ。申し訳ございません。お言葉に甘えてそうさせてもらいますわ」


 逃げ込むようにして自室へと戻るクレア。自室であれば、自身が創った結界が施されており、外部からの傍受の心配もないのだ。


「あの方は、あの箱の中身がペリドットと何故、知っていたの?」


 〝施錠〟の魔法が施されたあの木箱。たとえソルファへ渡していた瞬間を覗かれていたとしても、中身を目視する事は決して出来ないのだ。一体何者なのか? クレアの中へ疑念が浮かぶ。そもそも味方なのかすらも分からない。


 聖女クレアの部屋は神殿の最奥に位置する。外敵から身を護るために強化された部屋の結界は、王都を護る結界に匹敵する強度を誇る。唯一外からの光を通す窓も二重になっており、光以外のものを普段は遮断しているのだ。


 窓を開けて外を見る。遠くの木から小鳥のさえずりが聞こえ、庭園の池には優雅に鯉が泳いでいる。まるでクレアの焦燥が杞憂であると知らせるかのように。


『あんたの大事なペリドット。ちゃんと届けておくよ』


 男の言葉を脳内で反芻するクレア。

 今はその者の言葉を信じるしかない。アンリエッタが無事であるという事を。


 男が呟いた〝聖女システム〟という言葉にも心当たりがないクレア。周りが敵だらけ。信徒がうそぶいた只の妄言なのか、それとも……。


 それまで民、王子、神殿、国家、全てを信用していた聖女クレア。心の片隅にほんの僅かに産まれた疑念。疑念の種は確かに彼女の深層心理へ蒔かれ、やがて雪が解け、芽吹く時を静かに待つのだった。



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