謁見を終えたわたしは、部屋に暫く閉じ籠もり、お布団に包まって時折ベッドの上を転がりながら悶えていた。部屋に内側から鍵を掛けていたのでアーレスやナタリーもそっとしといてくれたのだろう。色んな意味で疲弊したわたしはそのまま眠りについてしまっていた。
侍女のナタリーが部屋をノックしてくれた時、既に時刻は夕刻を回ってしまっていた。
「アンリエッタ様、お目覚めですか? 昨日の治療からお疲れでしょう。お食事の準備が出来ておりますよ」
アーレスではなく、ナタリーが起こしに来てくれた事に配慮を感じるけれど、お部屋でわたしが何をしていたかレイが想像していないか心配になって、また顔を赤くしてしまうわたし。
「お疲れでしたら、お部屋まで食事を運びましょうか?」
「い、いえ。大丈夫よ、ナタリー」
両手で頬を叩いて気持ちを切り替えたわたし。食事の部屋へ向かうと、いつもは先に座っているレイの姿が見当たらない。部屋の入口に控えていたアーレスに尋ねると、何やら密偵のジズが帰還したので出迎えているらしい。
嗚呼、きっと、あの突然姿を現す陰みたいな人の事だ。レイの様子がなんとなく気になったため、お食事が出来た旨を伝えに向かう事にした。今は執務室で密偵のジズとお話しているみたい。
執務室の扉の前に立つと、レイとジズの会話が聞こえて来た。
「成程、そうか。では妹も数日後には帰還するのだな」
「はい。それと、この箱を」
箱? 何の話だろう? 盗み聞きはいけないとは分かっていても、つい気になって扉の前で聞き耳を立ててしまう。
「先日、魔国とも取引がある闇商人から買いました。
「えっ!? お姉さま!?」
まさかお姉さまの名前が出て来るとは予想しておらず、思わず声を出してしまうわたし。
「丁度いい。アンリエッタ、入ると良い」
「はい、失礼します。すいません。盗み聞きするつもりはなかったんです!」
「良い。まだちゃんと紹介はしていなかったな。密偵のジズだ。主に魔国の裏の仕事をやっている」
「以後、お見知り置きを」
漆黒の外套にフードを目深に被った男性。その姿を見てわたしは気づく。これはあの〝常闇の外套〟だ。つまり、魔国に二つしかないもう一つの外套を、ジズは身に着けている事になるのだ。
「あ、あの! お姉さまは! えっと、姉クレアの様子は! お姉さまは無事ですか?」
「落ち着けアンリエッタ。彼女は無事だ。アンリエッタが魔国へ向かう前と此処へ来た直後から、ジズは既に二度グリモワールへ潜入している。アンリエッタ、お前の姉は妹の身を案じ、騎士団の者を通じて行商へこれを託していたようだ」
どうやら行商が魔国へ小箱を届ける以前に古道具屋へ売り飛ばそうとしていたため、元々魔国でも取引があるその行商と交渉し、ジズさんがその小箱を手に入れてくれたらしい。とんでもない行商だ。ジズさんには感謝してもしきれない位。
レイから渡された小さな木の箱。これは、お姉さまが得意としていた〝施錠〟の魔法だ。もし、お姉さまがわたしに向けて届けてくれたものならば、開錠の方法は分かっている。
わたしはそっと木箱を握り締めたまま、目を閉じる。掌へと〝加護〟の力を籠めた瞬間、木箱は暖かな白い光に包まれる。と、同時、わたしの胸元にあったペリドットの宝石から一筋の光が放たれる。淡翠色の光が木箱の鍵穴へと真っ直ぐ吸い込まれ、鍵の開く音がした。
木箱にあったのはネックレスと同じペリドットの宝石。わたしがそっと手に取った瞬間、今度は木箱に入っていたペリドットから一筋の光が伸び、白壁に薄っすらと映像が浮かび上がる。これは……宝石に籠められた〝投影〟の魔法。
『よかった。これを見てくれていると言う事は、あなたは無事なのですね、アンリエッタ』
「お、お姉さま!」
視界が滲む。駄目よ、〝投影〟の魔法は一度しか発動しない。ちゃんと目に焼き付けておかないと駄目だ。
『あなたの身を案じ、ソルファを通じてこの木箱を魔国へと届けるようお願いしました。無事に届くかは賭けでしたが、どうやら女神さまはわたくし達を見守って下さっているようですね』
映像が時折乱れ、ぼやける。わたしの視界が涙で揺れる。でも、それだけじゃない。映像の乱れは魔力の乱れ。お姉さまが急いでこの魔法を準備してくれた証拠だ。
『あなたがどうして追放されたのか、わたくしは知りません。わたくしは真実を知りたい。ですから、わたくしもわたくしなりにあなたを救い出せる方法を探ってみます。もう少し待っていて。またあなたと逢える日を楽しみにしています。わたくしは、あなたをずっと……ずっとずっと信じていますよ、アンリエッタ』
そこで映像は途切れた。お姉さまはわたしを信じてくれている。それだけでわたしの心は救われる。
「いい姉を持ったな、アンリエッタ」
「ありがとう……ございまず、レイ。ジズざん……」
もう、言葉もまともに出なくなっていた。泣きじゃくるわたしへ白い布を渡し、自身の胸元へと引き寄せてくれるレイ。温かい。お姉さま、レイ。みんなの心が温かい。
お姉さまを助け出すのはわたしなのに。わたしは国家反逆罪で追放された身なのに。それでもわたしを救い出すと言ってくれるお姉さまの存在が頼もしく、尊く、眩しく見えた。
そっか、尊いってこんな時に使う言葉なんだ。
「常闇の外套を使い、潜入するにはアンリエッタの〝闇の魔力〟を増やす必要があるし、危険が伴う。それに、ただ聖女を連れ出すだけでは意味はない。アンリエッタ、俺が共に行こう」
「……はい……ありがとう、レイ」
暫くしてようやく溢れる雫が収まったわたしは、レイと共に夕食会場へ向かった。まだ皇帝は別メニューを食べるため、この日の夕食は離席していたけれど、近日中には食事もご一緒出来るだろうとの事だった。
加えてジズからの報告によると、周辺諸国に遠征をしていたレイの妹さんである王女様が近日中に帰還するんだそう。妹さんの名前はミルフィー・ラミア・カオスロード。王女様が帰還する事で皇帝と王子であるレイ、そして、王女様。家族全員が久し振りに顔を合わせる事になるのだそうだ。
そこまで聞いたわたしは、〝家族全員〟という言葉に、喉の奥に前々から引っ掛かっていた疑問が生じる。
「あの……レイ。女王様、レイのお母様って」
「嗚呼、母は俺と妹のミルフィーがまだ幼い頃、息を引き取った。魔国周辺は当時、争いが絶えなくてな。母が息を引き取った事をきっかけに父上は悪魔の中でも最上級の地位を誇る悪魔の一人――サタンと契約したのだ」
「そう……だったのですね」
なんとなく察しはついていた。本来ならば、王と女王の椅子が並ぶところ、謁見の間には女王の玉座はなく、いつも空席だった皇帝の玉座とレイが座る王子の玉座があったのだから。
レイも幼い頃、最愛のお母様を亡くしている。わたしの境遇と重なる事実。尋ねていいのか分からず、今まで聞かなかった事実。レイも失う辛さを経験しているのだ。
「ジズの調査で知っている。お前も先の戦争で母を失っているのだろう? 辛い経験をよく乗り越えたな」
「それは……わたしにはお姉さまが居たからです」
お姉さまが居てくれたから今のわたしが居る。離れていてもお姉さまはわたしの事を見ていてくれる。今生きている事を噛みしめて、わたしは食卓に並ぶ南瓜のスープを口に含み、その甘味をゆっくりと噛み締めるのだった。