翌朝の事だった。いつものようにナタリーに髪を梳いてもらい、朝食会場へと向かう。アーレス、皇帝、レイへ挨拶をし、席に座ったタイミングで、革のブーツを激しく打ち鳴らし、渦を巻いた金色のツインテールを揺らしたミルフィー王女様が朝食会場へと入室して来た。
「アンリエッタ・マーズ・グリモワール! 魔国の魔女として、魔法による決闘を申し込みますわ!」
「え?」
け、決闘!? そんな突然言われても困る。ミルフィー王女とお近づきになりたいと思っていた矢先の決闘申込み。どうしたらいいのか迷ったわたしの目が泳ぐ。泳いだ先には目を閉じて残念そうな表情のレイ。アーレス、ナタリー。わたしはどうすれば……。
暫くわたしの答えを待っていたミルフィー王女だったが、彼女の威勢はとある音によって一旦収束する事となる。
『グルルルルルーーー』
「け、決闘はお食事の後にしますわよ」
顔を真っ赤にしたミルフィー王女が黙ってわたしと向かい合う形で用意された席へと座る。
「さて、全員揃ったところで、戴こうか」
こうして皇帝の合図で久し振りに家族全員揃ったカオスロード家の食事が始まった。
「して、ミルフィーよ。
「問題ありませんわよ。蜥蜴ちゃんもドワーフちゃんもうちの魅力にイチコロでしたわよ?」
「〝魅了〟は使って居まいな」
「ええ、使う迄もありませんわ」
この世界には亜人と呼ばれる人間とは違った文明で発展を遂げた種族が多数存在している。
長い耳と白磁色の肌。美しい容姿を持つ風精霊シルフィーユの力を受け継ぐエルフの国なんかも有名だ。
暫くは皇帝の質問に対し、ミルフィーが答えるやり取りが続く。ミルフィーは半年もの間、周辺諸国との外交で魔国を留守にしていたらしい。そして、彼女の留守中に皇帝は幻夢病を患った。どうやら皇帝が病に伏していた事実は彼女にも知らされていなかったらしい。恐らく皇帝の病を彼女が知った時点で彼女の遠征が中断されると思ったのだろう。王女様を前に病の件が一切話題にされないあたり『アンリエッタ、察せよ』と言ったところなのかも。
話が落ち着いて来たところで皇帝の質問はわたしへと及ぶ。
「ところで、アンリエッタよ。魔国にはもう慣れたか?」
「はい。ありがとうございます。お陰様で楽しく日々を過ごしております」
「それはよかった」
皇帝が安堵の表情を見せたのも束の間、わたしの対面上、バッファローの燻製肉を食べ終え、ミルフィー王女がお皿へナイフとフォークを置く音が食事会場に響き渡る。
「まぁ、楽しんでいられるのも今のうちね。覚悟なさい、アンリエッタ」
「食事の最中だ。そのくらいにしておけ」
「分かりましたわ、お兄様」
兄からの指摘を受け、ミルフィー王女は深い息を吐きつつ、デザートのお皿へ目を向けていった。既に全てのお皿が空になっているところを見ると、相当お腹は空いていたらしい。彼女が一旦落ち着きを取り戻した事を見届けたわたしはひと呼吸置き、王女へと話し掛けた。
「ミルフィー王女。先程の決闘の申し出、お受け致しますわ」
「待て、アンリエッタ!」
すぐさま反応したのは誰であろうレイだった。魔法の才があると謳われるミルフィー王女。わたしは女神さまの〝加護〟の魔法以外はまだ覚え立て。普通なら勝てる訳がない。でも此処で逃げてしまっていては、彼女と向き合う事は出来ない。そう思ったのだ。
「あら、ようやくやる気になったのね。では、互いに準備を終え、一時間後に訓練場へと向かいますわよ」
「承知しました」
デザートを全て食べ終えたミルフィー王女は上機嫌な様子で食事会場を後にした。
「何故、決闘を引き受けた」
「だってレイ。彼女とちゃんと向き合わないと前へ進めないと思ったから」
「儂からも先に詫びておこう。昔からミルフィーは血気盛んでな」
「とんでもないです! 皇帝陛下が謝る事では」
「決闘を受けた以上、アンリエッタ。魔法でミルフィーと相対せねばならん。彼女は強いぞ? じゃが〝契り〟の契約を結んだ其方なら勝機はあるぞ」
「勝機……」
わたしが勝負で勝つ。イメージが浮かばない。けれど、なんとかするしかない。危険と感じたらアーレスとレイで決闘を止めに入ってくれるそう。支度部屋にて民族衣装メーテを身に着ける。瞼の上に紫色のライン。頬には薄紅、口元に赤いルージュ。ナタリーのお化粧で変貌を遂げたわたしの姿は魔国の魔女に見えた。
お化粧は魔法。わたしが知らない新しい自分を顕現させてくれる。左腕にはペリドットの腕輪。胸元にペリドットのネックレス。わたしはわたしのやるべき事をやる。
覚悟を決めたわたしは決闘の会場となる訓練場へと向かう――
◆
ミルフィー王女は目元へ白と青磁色のラインを重ねて塗っている。口元は薄桃色。白く氷の文様が施されたメーテはわたしとは対極的で。手には小さな魔法の杖らしきものを持っている。
周囲には外部へ影響が出ないよう、魔法結界が張られ、結界の外には決闘の噂を聞きつけた兵士や侍女達も遠巻きに見学に来ていた。訓練場に降り立った二人の魔女。観客の眼にはそう映っているのかもしれない。
「相手が戦闘不能に陥るか降参した時点で決闘は終了となります。今回は魔法による決闘となります故、魔法以外の物理攻撃や、命を刈り取る行為も禁止です。見届け人は
「お兄様が認めたというその実力、うちへ見せてご覧なさい。完膚なきまでに叩きのめしてあげるから」
「……ミルフィー王女、よろしくお願いします」
牽制に動じず一礼するわたしが気に入らないらしく、一瞬口元を歪ませるミルフィー。ノーブルが二、三歩と後退し、開幕の合図をする。
「では、ミルフィー様、アンリエッタ様による魔法決闘、始め!」
ノーブルが開幕の合図をした直後、わたしの視界からミルフィーの姿が消えた。
「え?」
「身も心も凍えなさい――
背後から詠唱する声が無ければ襲い掛かる氷塊に押し潰されていた。
氷の魔法――
訓練場を覆う魔法結界に触れた氷の塊が
「逃げてばかりじゃあ凍っちゃうわよ?」
「そんなの、分かっています」
中間距離を取りながら続け様に氷の塊を放つミルフィー。わたしは必死に回避しつつ、ブレスレットをつけた左腕に力を籠める。やはりだ。クレアとレイの力が籠った腕輪を通す事で、魔力が掌へ集中しているのが分かる。
「身も心も凍えなさい――
「爆ぜなさい――〝
氷の塊へ向けて放たれた炎の塊が中央で爆ぜ、魔力が霧散する。白煙が晴れ、それまで続けて氷魔法を放っていた王女が動きを止め、こちらへ向けて笑みを浮かべていた。
「へぇ~面白いじゃない! いいわ、うちがちょっと遊んであげる」